3 / 33
3話
しおりを挟む
翌月、戦況はさらに深刻化した。前線と呼ばれる地域では大規模な戦闘がいくつも発生し、王国軍は苦戦を強いられているという。王都の空気も重苦しく、人々の顔には疲労の色が濃くにじんでいた。貴族や騎士が徴兵されるだけでなく、農民や商人たちもさまざまな形で戦争に協力を求められ、普段の活気はどこか薄れている。
そんな中、コーラルは日々をどうにかこなしていた。伯爵家の娘として、負傷兵や貧困家庭に物資を届けたり、慈善活動を行ったりと、自分にできることを粛々と続けている。悲しみに暮れているだけではいられない。――それが、コーラルの性分だった。
使用人たちも、彼女が過度に落ち込まぬよう気を配り、そっと支えている。中には、長くコーラルに仕えてきた侍女が心配そうに声をかけることもあった。
「お嬢様、どうぞご無理はなさいませんように……最近は夜もあまり眠れていないようで」
「ありがとう。心配をかけてごめんなさい。でも、私は大丈夫よ。これぐらいで倒れていられないわ」
コーラルは微笑む。その笑みにはどこか儚さが感じられるが、それでも侍女たちは察している。コーラルは愛する人を失ったかもしれない心の痛みに耐えながら、必死に自分に与えられた役割を全うしようとしているのだ、と。
戦場へ旅立ったアリオンのことは、噂程度にしか聞こえてこなかった。「最前線で活躍している」「どこかの後方支援部隊に配属された」「既に死んだ」という真偽不明の話が飛び交い、どれを信じていいのかもわからない。コーラルは毎日のように軍の報告書に目を通しているが、アリオンの名前が公式発表に載ることはなかった。もしかすると、前線ではなく別の任務に就いているのかもしれない。
そうしてしばらくの年月が過ぎた頃、国中がすっかり戦争の空気に染まっていたある朝のこと。コーラルのもとに一本の手紙が届けられた。送り主は不明だが、王都の中央郵便を通じて届けられた正式な書簡である。紋章もない、簡素な封筒。ただし達筆な字で「コーラル伯爵令嬢殿」と書かれていることから、最低限の礼儀をわきまえた人物なのは間違いない。
コーラルは少し警戒しながらも、封を切る。そこに綴られていたのは、ある噂の真実を示すような内容だった。
――「アリオン伯爵は前線に赴いていません。後方支援部隊の事務官として安全な場所におります。しかも、軍上層部に取り入って出世を図っているという話もあります。お気の毒ですが、彼はあなたを捨てて安泰を得たのではないでしょうか」
コーラルはその手紙を読み、最初は何かの悪戯か、あるいは敵国の謀略かもしれないと疑った。だが、嫌に具体的な地名や部署、軍上官の名まで書かれている。まるで確証を得ているかのように書かれたその情報は、単なるデマにしては詳細に過ぎる。にわかには信じがたいが、だからといって完全に無視もできない。胸の内でざわつくものがあり、しばらく言葉も出なかった。
「そんな、はずは……」
思わず漏れた声は震えている。――もしそれが真実なら、アリオンはコーラルを振り、戦場へ行くと言っておきながら、実は安全圏に身を置き、さらに出世の足掛かりを掴んでいるということになる。それほどの裏切りがあろうだろうか。信じたくはなかったが、手紙を読んでしまった以上、一度芽生えた不信感を振り払うのは容易ではない。
アリオンは確かに、前線に赴けば死ぬかもしれないと話していた。あのときの言葉は嘘だったのか。自分の身を案じてコーラルを解放してくれたように見せかけて、実は彼自身が死ぬ覚悟など最初から持ち合わせていなかったのだとしたら……。コーラルは混乱の中、再び胸が苦しくなる。あの別れのとき、コーラルの前で見せたアリオンの苦しげな瞳は何だったのだろう。あれもすべて演技だったのか? いや、そんなことは信じられない。自分が愛していたアリオンは、そこまで狡猾な人間ではないと、必死に思い直そうとする。
だが……。結局コーラルの頭には、一度ちらついた疑念が引きずり続けていた。
「……確かめたい」
コーラルは自室の机に手紙を置くと、小さく決意を固めるように呟いた。もしこの手紙の内容が真実だとすれば、アリオンはあまりにも酷い裏切りを働いたことになる。だが、そう断じる前に、コーラルとしては何としてでも事実を知る必要がある。たとえそれが辛い真相だったとしても。
まだこの戦争は続いている。アリオンが後方支援部隊にいるというのなら、その部署を辿ればいずれ所在が掴めるかもしれない。もちろん簡単ではないだろう。軍は各地に物資を搬入し、書類業務だけでも膨大な量になる。だが、多少のコネクションがあれば情報を得ることは不可能ではない。コーラル伯爵家の人脈を使えば、後方支援部隊の事務官の名簿にアリオンの名があるかないか程度は確かめられるはずだ。
――こうしてコーラルは動き出した。愛するがゆえに捨てきれなかった想いが、さらに深い闇へ導くことになるとも知らずに。
そんな中、コーラルは日々をどうにかこなしていた。伯爵家の娘として、負傷兵や貧困家庭に物資を届けたり、慈善活動を行ったりと、自分にできることを粛々と続けている。悲しみに暮れているだけではいられない。――それが、コーラルの性分だった。
使用人たちも、彼女が過度に落ち込まぬよう気を配り、そっと支えている。中には、長くコーラルに仕えてきた侍女が心配そうに声をかけることもあった。
「お嬢様、どうぞご無理はなさいませんように……最近は夜もあまり眠れていないようで」
「ありがとう。心配をかけてごめんなさい。でも、私は大丈夫よ。これぐらいで倒れていられないわ」
コーラルは微笑む。その笑みにはどこか儚さが感じられるが、それでも侍女たちは察している。コーラルは愛する人を失ったかもしれない心の痛みに耐えながら、必死に自分に与えられた役割を全うしようとしているのだ、と。
戦場へ旅立ったアリオンのことは、噂程度にしか聞こえてこなかった。「最前線で活躍している」「どこかの後方支援部隊に配属された」「既に死んだ」という真偽不明の話が飛び交い、どれを信じていいのかもわからない。コーラルは毎日のように軍の報告書に目を通しているが、アリオンの名前が公式発表に載ることはなかった。もしかすると、前線ではなく別の任務に就いているのかもしれない。
そうしてしばらくの年月が過ぎた頃、国中がすっかり戦争の空気に染まっていたある朝のこと。コーラルのもとに一本の手紙が届けられた。送り主は不明だが、王都の中央郵便を通じて届けられた正式な書簡である。紋章もない、簡素な封筒。ただし達筆な字で「コーラル伯爵令嬢殿」と書かれていることから、最低限の礼儀をわきまえた人物なのは間違いない。
コーラルは少し警戒しながらも、封を切る。そこに綴られていたのは、ある噂の真実を示すような内容だった。
――「アリオン伯爵は前線に赴いていません。後方支援部隊の事務官として安全な場所におります。しかも、軍上層部に取り入って出世を図っているという話もあります。お気の毒ですが、彼はあなたを捨てて安泰を得たのではないでしょうか」
コーラルはその手紙を読み、最初は何かの悪戯か、あるいは敵国の謀略かもしれないと疑った。だが、嫌に具体的な地名や部署、軍上官の名まで書かれている。まるで確証を得ているかのように書かれたその情報は、単なるデマにしては詳細に過ぎる。にわかには信じがたいが、だからといって完全に無視もできない。胸の内でざわつくものがあり、しばらく言葉も出なかった。
「そんな、はずは……」
思わず漏れた声は震えている。――もしそれが真実なら、アリオンはコーラルを振り、戦場へ行くと言っておきながら、実は安全圏に身を置き、さらに出世の足掛かりを掴んでいるということになる。それほどの裏切りがあろうだろうか。信じたくはなかったが、手紙を読んでしまった以上、一度芽生えた不信感を振り払うのは容易ではない。
アリオンは確かに、前線に赴けば死ぬかもしれないと話していた。あのときの言葉は嘘だったのか。自分の身を案じてコーラルを解放してくれたように見せかけて、実は彼自身が死ぬ覚悟など最初から持ち合わせていなかったのだとしたら……。コーラルは混乱の中、再び胸が苦しくなる。あの別れのとき、コーラルの前で見せたアリオンの苦しげな瞳は何だったのだろう。あれもすべて演技だったのか? いや、そんなことは信じられない。自分が愛していたアリオンは、そこまで狡猾な人間ではないと、必死に思い直そうとする。
だが……。結局コーラルの頭には、一度ちらついた疑念が引きずり続けていた。
「……確かめたい」
コーラルは自室の机に手紙を置くと、小さく決意を固めるように呟いた。もしこの手紙の内容が真実だとすれば、アリオンはあまりにも酷い裏切りを働いたことになる。だが、そう断じる前に、コーラルとしては何としてでも事実を知る必要がある。たとえそれが辛い真相だったとしても。
まだこの戦争は続いている。アリオンが後方支援部隊にいるというのなら、その部署を辿ればいずれ所在が掴めるかもしれない。もちろん簡単ではないだろう。軍は各地に物資を搬入し、書類業務だけでも膨大な量になる。だが、多少のコネクションがあれば情報を得ることは不可能ではない。コーラル伯爵家の人脈を使えば、後方支援部隊の事務官の名簿にアリオンの名があるかないか程度は確かめられるはずだ。
――こうしてコーラルは動き出した。愛するがゆえに捨てきれなかった想いが、さらに深い闇へ導くことになるとも知らずに。
3
あなたにおすすめの小説
『外見しか見なかったあなたへ。私はもう、選ぶ側です』
鷹 綾
恋愛
「お前のようなガキは嫌いだ」
幼く見える容姿を理由に、婚約者ライオネルから一方的に婚約を破棄された
公爵令嬢シルフィーネ・エルフィンベルク。
その夜、嫉妬に狂った伯爵令嬢に突き落とされ、
彼女は一年もの間、意識不明の重体に陥る――。
目を覚ました彼女は、大人びた美貌を手に入れていた。
だが、中身は何ひとつ変わっていない。
にもかかわらず、
かつて彼女を「幼すぎる」と切り捨てた元婚約者は態度を一変させ、
「やり直したい」とすり寄ってくる。
「見かけが変わっても、中身は同じです。
それでもあなたは、私の外見しか見ていなかったのですね?」
静かにそう告げ、シルフィーネは過去を見限る。
やがて彼女に興味を示したのは、
隣国ノルディアの王太子エドワルド。
彼が見ていたのは、美貌ではなく――
対話し、考え、異論を述べる彼女の“在り方”だった。
これは、
外見で価値を決められた令嬢が、
「選ばれる人生」をやめ、
自分の意思で未来を選び直す物語。
静かなざまぁと、
対等な関係から始まる大人の恋。
そして――
自分の人生を、自分の言葉で生きるための物語。
---
婚約者の幼馴染って、つまりは赤の他人でしょう?そんなにその人が大切なら、自分のお金で養えよ。貴方との婚約、破棄してあげるから、他
猿喰 森繁
恋愛
完結した短編まとめました。
大体1万文字以内なので、空いた時間に気楽に読んでもらえると嬉しいです。
そんなに妹が好きなら死んであげます。
克全
恋愛
「アルファポリス」「カクヨム」「小説家になろう」に同時投稿しています。
『思い詰めて毒を飲んだら周りが動き出しました』
フィアル公爵家の長女オードリーは、父や母、弟や妹に苛め抜かれていた。
それどころか婚約者であるはずのジェイムズ第一王子や国王王妃にも邪魔者扱いにされていた。
そもそもオードリーはフィアル公爵家の娘ではない。
イルフランド王国を救った大恩人、大賢者ルーパスの娘だ。
異世界に逃げた大魔王を追って勇者と共にこの世界を去った大賢者ルーパス。
何の音沙汰もない勇者達が死んだと思った王達は……
【完結】真実の愛とやらに目覚めてしまった王太子のその後
綾森れん
恋愛
レオノーラ・ドゥランテ侯爵令嬢は夜会にて婚約者の王太子から、
「真実の愛に目覚めた」
と衝撃の告白をされる。
王太子の愛のお相手は男爵令嬢パミーナ。
婚約は破棄され、レオノーラは王太子の弟である公爵との婚約が決まる。
一方、今まで男爵令嬢としての教育しか受けていなかったパミーナには急遽、王妃教育がほどこされるが全く進まない。
文句ばかり言うわがままなパミーナに、王宮の人々は愛想を尽かす。
そんな中「真実の愛」で結ばれた王太子だけが愛する妃パミーナの面倒を見るが、それは不幸の始まりだった。
周囲の忠告を聞かず「真実の愛」とやらを貫いた王太子の末路とは?
婚約破棄された令嬢は、もう誰の答えも借りません
鷹 綾
恋愛
「君との婚約は破棄する。――君は、もう必要ない」
王太子から一方的に突きつけられた婚約破棄。
その理由は、新たに寵愛する令嬢の存在と、「君は優秀すぎて扱いづらい」という身勝手な評価だった。
だが、公爵令嬢である彼女は泣かない。
怒りに任せて復讐もしない。
ただ静かに、こう告げる。
「承知しました。――もう、誰の答えも借りませんわ」
王国のために尽くし、判断を肩代わりし、失敗すら引き受けてきた日々。
だが婚約破棄を機に、彼女は“助けること”をやめる。
答えを与えない。
手を差し伸べない。
代わりに、考える機会と責任だけを返す。
戸惑い、転び、失敗しながらも、王国は少しずつ変わっていく。
依存をやめ、比較をやめ、他人の成功を羨まなくなったとき――
そこに生まれたのは、静かで確かな自立だった。
派手な断罪も、劇的な復讐もない。
けれどこれは、
「奪われたものを取り戻す物語」ではなく、
「もう取り戻す必要がなくなった物語」。
婚約破棄ざまぁの、その先へ。
知性と覚悟で未来を選び取る、静かな逆転譚。
妻よりも幼馴染が大事? なら、家と慰謝料はいただきます
佐藤 美奈
恋愛
公爵令嬢セリーヌは、隣国の王子ブラッドと政略結婚を果たし、幼い娘クロエを授かる。結婚後は夫の王領の離宮で暮らし、義王家とも程よい関係を保ち、領民に親しまれながら穏やかな日々を送っていた。
しかし数ヶ月前、ブラッドの幼馴染である伯爵令嬢エミリーが離縁され、娘アリスを連れて実家に戻ってきた。元は豊かな家柄だが、母子は生活に困っていた。
ブラッドは「昔から家族同然だ」として、エミリー母子を城に招き、衣装や馬車を手配し、催しにも同席させ、クロエとアリスを遊ばせるように勧めた。
セリーヌは王太子妃として堪えようとしたが、だんだんと不満が高まる。
ヴェルセット公爵家令嬢クラリッサはどこへ消えた?
ルーシャオ
恋愛
完璧な令嬢であれとヴェルセット公爵家令嬢クラリッサは期待を一身に受けて育ったが、婚約相手のイアムス王国デルバート王子はそんなクラリッサを嫌っていた。挙げ句の果てに、隣国の皇女を巻き込んで婚約破棄事件まで起こしてしまう。長年の王子からの嫌がらせに、ついにクラリッサは心が折れて行方不明に——そして約十二年後、王城の古井戸でその白骨遺体が発見されたのだった。
一方、隣国の法医学者エルネスト・クロードはロロベスキ侯爵夫人ことマダム・マーガリーの要請でイアムス王国にやってきて、白骨死体のスケッチを見てクラリッサではないと看破する。クラリッサは行方不明になって、どこへ消えた? 今はどこにいる? 本当に死んだのか? イアムス王国の人々が彼女を惜しみ、探そうとしている中、クロードは情報収集を進めていくうちに重要参考人たちと話をして——?
俺はお前ではなく、彼女を一生涯愛し護り続けると決めたんだ! そう仰られた元婚約者様へ。貴方が愛する人が、夜会で大問題を起こしたようですよ?
柚木ゆず
恋愛
※9月20日、本編完結いたしました。明日21日より番外編として、ジェラール親子とマリエット親子の、最後のざまぁに関するお話を投稿させていただきます。
お前の家ティレア家は、財の力で爵位を得た新興貴族だ! そんな歴史も品もない家に生まれた女が、名家に生まれた俺に相応しいはずがない! 俺はどうして気付かなかったんだ――。
婚約中に心変わりをされたクレランズ伯爵家のジェラール様は、沢山の暴言を口にしたあと、一方的に婚約の解消を宣言しました。
そうしてジェラール様はわたしのもとを去り、曰く『お前と違って貴族然とした女性』であり『気品溢れる女性』な方と新たに婚約を結ばれたのですが――
ジェラール様。貴方の婚約者であるマリエット様が、侯爵家主催の夜会で大問題を起こしてしまったみたいですよ?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる