追放令嬢の辺境パティスリー ~桃のタルトと第二王子の溺愛~

鍛高譚

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1話

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「さて、今日は特別な日だ。何せ……わたくしの婚約が正式に宣言される予定なのですから」

 薄紅色のベルベットのカーテンから差し込む朝日を、金の縁取りの鏡越しに受けながら、わたくしは鏡の前でそっと微笑む。柔らかなブロンドの髪を纏め上げ、ドレスの皺がないか最終チェック。完璧だ。貴族としての嗜みも、見た目も、非の打ち所がないと思っている。

 朝からずっと浮き立つ気持ちを抑えきれなかった。なにしろ、今日はわたくし――アンリ・シャルパンティエ・マ・タルト・オ・ペーシュと、王国屈指の名門公爵家の跡取り息子であるレオン=ド=ガルニエ様の婚約が、王宮にて正式に発表される日なのだ。

 「やっぱり一生に一度の晴れ舞台ですもの、最高に華やかに決めなくては!」

 ふと、鏡に映った自分の顔を見つめる。端正な顔立ちに大きな瞳、口角はわずかに上がって、自然と笑みがこぼれる。生まれたときから両親に甘やかされ、貴族としての教育を受けてきた。見よう見まねで覚えた社交界での振る舞いや、貴族としての品格。すべては今日のような舞台のためにある――そう思えば、ほんの少しだけ誇らしい気分になった。

 そしてもうひとつ。これまで秘密にしてきた“趣味”がある。思い浮かべるだけで口元が緩み、顔が赤くなる――そう、それはスイーツ、とりわけ「桃のタルト」を作ることだ。わたくしはその名の通り、タルトと桃をこよなく愛している。貴族でありながら、こそこそと城下町に足を運んでは人気の菓子店を巡り、あるいは屋敷の奥にある小さな厨房で自作を試みる。貴族としてはあまり知られたくない、でもやめられない大好きな趣味だ。

 思えば、レオン様との縁談は政略的な要素も大きかった。ガルニエ公爵家は由緒正しく、資産も莫大。わたくしの父・エティエンヌ伯爵家とは古くから親交があり、いずれはわたくしとレオン様が婚約を結ぶと見られていた。だからこそ、こうして正式な場に呼ばれるのは予定通りといえば予定通り。だが、婚約が決まるのは嬉しいことではあるものの、わたくし自身としては「大好きなスイーツを作れる環境が遠のきそう」という不安も正直なところ少しあった。

 でも、大丈夫。レオン様はお優しい方だ。わたくしの情熱に理解を示してくださり、「いつか君の作ったタルトを食べてみたい」と言ってくださったこともある。あのときのわたくしはどれほど嬉しかったことか。だからこそ、今日という日は特別なのだ。

 ――王宮の大広間は、まさに祝いの席に相応しい装いだった。天井から吊るされた数多のシャンデリアが眩い光を放ち、金と白を基調とした壁や柱が、見る者すべてを圧倒させる。貴族たちが何人も集まり、それぞれの家の格式を示す華麗なドレスやタキシードに身を包んでいた。

 大広間の中央に作られた特設ステージ。そこへ導かれるように歩を進めるわたくし。父と母が誇らしげに後ろをついてくる。その視線の先には、既にステージに立っているレオン様の姿があった。

 「本日はようこそいらっしゃいました。ガルニエ公爵家・長男のレオン・ド・ガルニエです」

 深々と頭を下げるレオン様。その黒髪と青い瞳が醸し出す高貴な雰囲気は、さすが公爵家の息子だと思わせるに十分だった。何度会っても惚れ惚れしてしまうほどの美貌と凛々しさを持ち、さらに騎士団の次期団長としても期待される実力者。公爵家の血筋と、王国からの絶対的な信頼を得ている彼と結ばれることは、わたくしにとって誇りでもあり、身の引き締まる思いでもある。

 この壇上で、正式に婚約を宣言する。そうすれば、わたくしは名実ともにレオン様の婚約者。もちろんガルニエ公爵家の一員として受け入れられるのはまだ先のことだが、婚約の宣言こそが第一歩なのだ。

 「アンリ・シャルパンティエ・マ・タルト・オ・ペーシュ。あなたとの婚約を、王国の皆様に認めていただきたいと思うのですが……」

 レオン様の言葉が途中で止まる。まだ正式に発表していないはずの婚約に対して、突然の疑問を挟まれた気がした。わたくしはドキリとしながらも、一瞬でそれを隠し、優雅に微笑む。

 「はい。わたくしも心より望んでおります」

 そう言って一礼したところで、レオン様の瞳が冷たく光った。まるで、いつも見せてくださる柔和な笑顔とはまったく違う、不気味な光だ。

 「――だが、その前に。皆の前で、ひとつ告げたいことがある」

 レオン様の声が、大広間の天井に響き渡る。客たちがざわざわと騒めき始める気配が足下から感じられた。父と母の顔も、わずかに険しくなっている。何かが起こる。この空気に呑まれそうなわたくしだったが、レオン様の瞳をただ見つめ返すことしかできない。

 「実は、アンリ。君と結婚するわけにはいかなくなった」

 ひゅう、と風が吹いたかのように、会場全体が凍りつく。まさか、この場で婚約を白紙にする宣言……? 頭が真っ白になる。父が慌てて前に出ようとするのを、わたくしは手で制した。まだ状況が飲み込めない。レオン様が何を言いたいのか、まったく想像もつかない。

 「ど、どういうことでしょうか……?」

 唇がかすかに震えた。レオン様の言葉の衝撃は大きい。婚約を破棄するなんて、そんな話をまったく聞いていない。むしろ、今日それを公に宣言するはずではなかったのか。

 しかし、レオン様の表情には戸惑いの欠片もなかった。まるで、長年決めていたことを今告げるかのように、すらすらと言葉を紡ぐ。

 「君との縁談は、王国の伝統や両家の関係性を考えて決められたものだ。しかし、僕は本当に愛する女性ができてしまったのだよ。申し訳ないが、アンリ。君とは結婚できない」

 その瞬間、わたくしは血の気が引いた。愛する女性ができた? それは――誰? 王宮の貴族や令嬢は皆困惑の視線をわたしに、そしてレオン様に向けている。父と母は、ぐっと奥歯を噛みしめているようだった。

 「まあ、そんな……急にそんなことをおっしゃられても……」

 ぽつりと呟くわたくしを見て、レオン様は気の毒そうな、それでいてどこか冷ややかな瞳を向けてくる。

 「すまない。君には非がない。むしろ優秀で、美しく、何一つ欠点のない令嬢だと思っている。だが、僕が本当に心惹かれたのは……」

 そこで、レオン様は視線を会場の端に向けた。すると、貴族たちの列の後ろから、恥ずかしそうに顔を出す一人の少女が姿を現す。淡い栗色の髪を編み込みにしていて、瞳は優しい色を宿した小動物のよう。ドレスは地味だが、かえってそれがか弱さを引き立たせる。

 「リリー・ブランシュ。彼女は平民出身で、実家は薬草師の小さな店だ。だが、その優しさと健気さに、僕は救われたんだ」

 レオン様の隣にちょこんと立ったその少女――リリーは、緊張からか小刻みに震えている。それでもレオン様の腕にそっと手を添えながら、周囲の視線に耐えるように頭を下げた。まるで、小さな子兎が寄り添うようだ。

 とても愛らしい姿。確かに、守ってあげたくなる雰囲気を持った少女に見える。それだけなら、まだわたくしも納得できるかもしれない。だが、今日の発表のために華やかな装いをしていたわたくしとは対照的に、リリーのまっさらな姿が衆目を集めているのがわかる。
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