追放令嬢の辺境パティスリー ~桃のタルトと第二王子の溺愛~

鍛高譚

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19話

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 そう心に決め、わたくしは大ホールを後にする。午後は宿に戻り、体を休めながら明日の段取りを頭の中でシュミレーションしよう……そう思った矢先、廊下の向こうから見覚えのある男女がこちらに近づいてくるのが目に入った。

 「……あれは……レオン様と、リリー……!」

 反射的に息を呑む。あの婚約破棄の当事者たち――わたくしの元婚約者であるレオン=ド=ガルニエ公爵子息と、彼に寄り添う平民出身のリリー=ブランシュ。二人とも以前と変わらず、いや、むしろさらに仲睦まじそうに見える。

 レオン様は騎士の正装に身を包み、いつも通り端正な顔立ちで、周囲の人々の視線を引き付けている。リリーは可憐なドレスを纏い、控えめに微笑みを浮かべて彼の腕にしがみついていた。

 わたくしの存在に気づいた二人は、思わず足を止める。レオン様は驚いたように目を見張り、リリーは明らかに困惑の表情を浮かべる。そのまま気まずそうに顔を伏せた。

 「アンリ……? お前、どうしてここに」

 先に口を開いたのはレオン様だった。まるで亡霊でも見たかのような口ぶり。わたくしは動揺を悟られぬよう、自分を落ち着かせる。もうこの人に取り乱した姿など見せたくない。

 「お久しぶりです、レオン様。わたくしはスイーツコンテストに参加するため、辺境から戻って参りましたの」

 冷静な口調で返すと、レオン様は怪訝そうに眉を寄せた。

 「スイーツコンテスト……? 君が菓子作りを趣味にしていたのは知っていたが、まさかここまで本気だったとはね。噂で聞いたが、今は辺境で菓子店を営んでいるとか……」

 その口ぶりはどこか見下すようでもあり、信じられないものを見るようでもある。かつてのわたくしなら、きっと胸が痛んでいたことだろう。けれど、今のわたくしは胸を張って言える。

 「ええ、そうですわ。『シャルパンティエ洋菓子店』という店です。辺境の方々からはご好評を頂いております。だからこそ、王都で開かれるこのコンテストに挑戦する資格があると思いまして」

 わたくしの言葉に、レオン様は少し口をつぐむ。彼の隣ではリリーが、申し訳なさそうな顔をして「アンリ様、ご無沙汰してます……」と小声で呟く。その声にはわずかに震えがあった。

 「リリー……あなたもお元気そうで何よりですわ。レオン様との婚約は順調なのかしら」

 自分でも皮肉っぽく聞こえたかもしれない。だが、リリーは怯えた様子でレオン様の腕を握りしめるだけで、はっきりした返事はなかった。代わりにレオン様が「おかげさまでな」と、まるで護るようにリリーの肩を抱き寄せる。

 わたくしはどこか冷めた視線でそれを見つめ、軽く息を吐く。幸せそうに見えるが、何故かリリーの表情からは余裕が感じられない。婚約破棄のときのあの妖艶な雰囲気とは、どこか違う印象を受ける。

 「……まあ、コンテストに出るというのなら、せいぜい頑張るといい。王都には腕利きの菓子職人など腐るほどいる。そう簡単に結果は出ないと思うがね」

 冷めた声で言い放つレオン様。それが自分を気遣ってのことなのか、それとも純粋な“見下し”なのかは分からない。わたくしは穏やかに微笑みを返す。

 「どうなるかはやってみないと分かりませんわ。では、失礼いたします。明日、お会いすることがあるかもしれませんが……そのときは宜しく」

 わたくしは会釈をし、その場を離れた。ピエールも気を遣ってくれたのか、無言でついてくる。背後ではリリーが小さく声を上げ、レオン様が何か言い募っている気配がしたが、もう振り返る気にはなれなかった。

 (やっぱり王都は、あの日の記憶が生々しい。でも、大丈夫。今のわたくしは、あの日のわたくしではないのだから)

 そう自分に言い聞かせる。かつて愛した人を奪われた痛みや、社交界の視線への恐れはもうない。わたくしは辺境の菓子店のオーナーとして、そして“桃のタルト”をこよなく愛するパティシエとして、堂々とこの地に挑みに来たのだ。
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