政略結婚の末に愛されたヒロインは、やがて世界を変える

鍛高譚

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第1章 政略結婚の悲哀

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 翌朝。新居での初めての朝を迎えたレクシアは、目を覚ました途端に「ここはどこだっけ?」という錯覚を起こした。いつもと違うベッド、違う天井。ほんの数秒だけ混乱し、それから昨日起こったすべての事柄を思い出して苦しくなる。
 夜が明けても、もはや伯爵家ではなく、公爵家の夫人としての一日が始まる。ダリオンはこの屋敷のどこかにいるのだろうが、昨日の態度を思い出すと、顔を合わせるのが気が重かった。
 ノックの音に促されて「どうぞ」と声をかけると、侍女が朝食の準備を知らせに来てくれる。
「ダリオン様はすでに執務室へ向かわれました。奥様は食堂へいらっしゃってくださいとのことです」
 奥様――それはレクシアにとって初めて呼ばれる呼称だった。ほんの少し、その響きに戸惑いを覚える。

 寝間着のままでは失礼なので、侍女が用意したドレスに袖を通し、急いで身支度を整える。化粧台の鏡に映ったレクシアの顔は、まだどことなく憔悴の色が残っているが、それでも「公爵夫人」として見劣りしない程度には整えようと意識を向けた。
 食堂へ向かうと、そこにはダリオンの姿はなかった。代わりに執事のオルディスが待っており、上品に整えられた朝食をテーブルに並べている。
「ダリオン様は本日、早朝から公務で城へ向かわれました。奥様には先にこちらでお食事をお楽しみいただきたいとのことです」
「そう……早いのね」
 胸の奥が寂しくなるのを覚えながら、レクシアはテーブルに腰を下ろす。結婚して初めての朝食を、夫不在でとることになるなんて、少々味気ないと思ってしまう。それでも礼儀として、気持ちを切り替えて食事に向き合おうとする。
 朝食はスープにパン、軽いサラダと果物に加えて、ハムやチーズも並べられ、見るからに高級な食材だというのがわかる。伯爵家でも十分に贅沢な食事が出ていたが、公爵家はその上を行く。味はとても美味であるはずなのに、レクシアの口にはあまり進まなかった。

 ただ、一人で黙々と食事をとるしかない。この先、彼女はこうして孤独に過ごすことが多くなるのではないか――そんな予感が、頭をもたげる。
(ダリオン様は何のために私と結婚したんだろう。協力って何を指すのか、早く知りたい。でも、彼は忙しそうだし……)
 そう考え込みながらも、レクシアは言われたとおりに食事を済ませる。初日から勝手に振る舞うわけにもいかず、彼が戻るまでどう過ごしていいかもわからない。やがて執事のオルディスが控えめに声をかけてくる。
「奥様、よろしければ館内を少し見て回られますか? この屋敷は広いので、まずは必要な場所だけでもご案内いたしますが」
 助け舟のような申し出に、レクシアは少しほっとした。行き場のない状態のままでは、余計に不安が募ってしまう。
「ぜひお願いします。何もわからないままですと、侍女さんたちにも迷惑をかけてしまいそうですから……」
「かしこまりました。それではわたくしがご案内いたします」

 こうしてレクシアは、公爵家の屋敷をひととおり見て回ることになった。広大な敷地には庭園や温室、使用人用の建物や倉庫などもあるが、まずは主に夫人として使う予定の部屋や客間、応接室などを中心に案内を受ける。伯爵家の屋敷とは比較にならないスケールと豪華さに圧倒されつつ、レクシアはなんとか必死に場所を覚えようと努めた。
 使用人たちは皆、丁寧に頭を下げ、「奥様」と称して出迎えてくれる。レクシアはぎこちなく微笑み返すが、自分が彼らの上に立つ立場になったのだと思うと、やはり落ち着かない気分だった。

 案内がひと段落する頃には、午前中がほぼ終わりを迎えていた。
「奥様、お疲れではありませんか。お部屋で少しお休みになられますか」
 オルディスの気遣いに礼を言いつつも、レクシアは首を横に振る。
「いえ、大丈夫です。……あの、ダリオン様のご予定はいつお戻りか、ご存知ですか?」
「今日は王宮での政務が立て込んでいるようで、夕方か、あるいは夜遅くになるかもしれません」
「そう……わかりました」
 あまりにあっさりとした答えに、やはりレクシアの胸に淋しさが募る。昨晩もほとんど話らしい話はできなかった。結婚してまだ一度も、夫婦としてまともに会話をしていない気がする。

 それでも、焦っても仕方がない。レクシアは当主夫人として公爵家のことを少しずつ覚えながら、いつかダリオンと向き合い、自分の役割や気持ちを伝えたいと強く思った。それが、政略結婚であろうとも――。


---

 こうして始まったレクシアの新婚生活は、幸せとは程遠い幕開けだった。冷酷と噂される夫ダリオンが何を考えているのかもわからず、頼るべき家族はもう近くにいない。
 ただひとつ、彼女の心をつなぎとめているのは、家を守るために婚姻を受け入れたという自負。そして、まだかすかに残る「夫婦としていつか理解しあえるかもしれない」という小さな望み。
 レクシアは自問する――この結婚は本当に正しかったのだろうか。
 その答えを探すためにも、まずはアングレード公爵家での日々を乗り越えなくてはならない。愛のない契約結婚だと思っていたが、果たしてその先にあるのは、さらなる悲哀か、それとも……。

 運命の日々は、まだ始まったばかりだった。

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