5 / 30
第1章 政略結婚の悲哀
1-5
しおりを挟むそうこうしているうちに、馬車は公爵家の領地へ向かって進んでいく。町の通りでは人々が結婚行列を見物しようと集まっていたが、ダリオンが乗る黒塗りの馬車には近づきがたい雰囲気があるのか、皆、一歩引いたように道の端へ寄っているようにも見えた。王家に次ぐ格式の公爵家、その恐るべき威光を肌で感じる。
およそ小一時間ほどかけて、馬車はアングレード家の本邸へと到着する。巨大な門が開かれ、整然と整えられた庭園の奥には、白亜の城館がそびえ立っていた。伯爵家の屋敷もそれなりに広く美しかったが、公爵家の邸は比べものにならないほど豪壮だ。その外観は大理石の柱に彩られ、神殿のように厳かな造りをしている。
「ようこそ、アングレード公爵家へ」
玄関前には執事らしき初老の男性が姿勢よく立ち、出迎えてくれた。他にも使用人がずらりと並んでいるが、その視線は一様にダリオンではなく、あくまで「新しく来た公爵夫人」であるレクシアを観察するようなものだった。
レクシアは息をのみつつ、馬車から降りる。ドレスの裾を気にしながら一歩踏み出すと、アングレード家の執事が深々と頭を下げてくる。
「はじめまして、レクシア様。わたくしは当家の執事を務めるオルディスと申します。今後、何かお困りの際は遠慮なくお声かけくださいませ」
「ありがとうございます。お世話になります……」
レクシアがそう答えたところで、ダリオンが先に邸内へと歩き出した。そのあまりの素っ気なさに、執事は慣れているのか動じることなく微笑み、レクシアに「どうぞ」と促す。
広々とした玄関ホールを抜け、大理石の階段を上がると、そこには長い回廊が伸びていた。シャンデリアが煌めき、赤い絨毯が敷かれた優美な空間。壁には歴代の公爵家当主の肖像画や、由緒ある芸術品が飾られている。
ダリオンは特に説明もなく、奥の部屋へと進んでいく。レクシアは彼の足取りについていくが、先導する彼の背中は冷ややかで、レクシアにとっては何とも言い難い孤独を覚えるものだった。
「……失礼いたします」
ダリオンが部屋に入ると、執事が続いて扉を開け、レクシアを促す。そこは応接室のようだったが、部屋の中央にはテーブルとソファが置かれており、その周囲には数冊の古めかしい書物や文書が並べられている。
ダリオンはソファに腰を下ろすと、レクシアをじっと見つめる。まるでこれからビジネスの話をする相手を品定めするかのような眼差しだ。レクシアは少し怖くなりながらも、視線を受け止めて少しだけ姿勢を正す。
「君には、エルデ伯爵家の財政を救うだけでなく、我が家の用事にも協力してもらう」
先ほど馬車で言った言葉を繰り返すかのように切り出すダリオン。
「わたしにできることがあれば……ご要望に応えたいと考えています。ですが、どのような協力でしょうか」
「おいおい話す。まずは今後、公爵家の当主夫人として、王宮の行事や社交界にも顔を出すだろう。そこでは多くの貴族が君を見ることになる。だから……下手なことはするな」
冷たい声音で、まるで警告するようにダリオンは言葉を続ける。
「今後、我が家の名を背負う存在として、君には完璧な淑女として振る舞ってもらわねばならない。わかるな」
レクシアはぎゅっと唇を結び、うなずくしかない。そもそも「花嫁修業」という名目で礼儀作法や社交の振る舞いは一通り学んできたが、ダリオンの態度はそれらを上回る厳しさを感じさせる。
「はい。承知しました。私はエルデ家の名を汚さないように、そしてアングレード家の夫人としても恥ずかしくないように努めます」
そう答えると、ダリオンは少しだけ目を細める。そしてソファから立ち上がり、窓際に歩み寄って外を眺めた。
「……今日は長かった。君も疲れているだろう。部屋はもう準備してあるから、侍女を通じて案内させる。あとは自由にしていい」
「はい。ありがとうございます」
ダリオンはそれ以上何も言わず、静かに部屋を出て行った。レクシアが一人取り残された部屋の中には、先ほどまでの彼の冷たい気配だけが残っているように感じる。
まだ初日だというのに、彼の態度や言葉に振り回されて頭が混乱している。結婚というのは本来、もっと暖かいものだと信じていたはずだが……現実はこうなのだろうか。
やがて控えていた侍女が部屋に入り、レクシアを寝室へと案内した。そこは広々とした部屋で、天蓋付きの大きなベッドがあり、窓からは庭園が一望できる。調度品も伯爵家とは比べものにならないほど贅沢だ。しかし、レクシアの心は依然として重く、家具の豪華さよりも「自分はここで孤独に過ごすのだろうか」という不安が増していた。
「本日はお疲れでしょうから、ゆっくりお休みくださいませ。お着替えや夜着などはすでに揃えております」
侍女の言葉に礼を言い、レクシアはドレスを脱いで寝間着に着替える。衣擦れの音が妙に耳に残り、結婚式が夢か現実か、わからなくなるほど疲労している自分に気づく。
着替えを手伝ってもらいながら、ふと侍女に尋ねてみた。
「ダリオン様は、いつもあんな感じ……なの?」
侍女は躊躇するように少し黙ったが、やがて静かに頷いた。
「はい。公爵家の嫡男という重責がございますし、王宮の政務などでも多忙を極めておられます。あまりご自分の心情を表に出されることは……」
「そう……」
レクシアはどこか納得したような気にもなり、同時に切なさが増す。もしかすると、あれが彼の“当たり前”の態度であり、今後もずっと自分に向けられるのはあの無表情なのかもしれない。
侍女が退室し、部屋に一人になると、やっと深いため息をつく。豪奢な寝室に似つかわしくないほど、彼女の心は塞ぎこんでいた。長い一日を振り返ると、式も披露宴もすべてが人形のように動かされていただけのように思える。
「……ここからが、私の新しい人生なのね」
自嘲気味に呟いた声は、自分で思っていたよりも弱々しかった。
しかし、伯爵家を支えなければならないという使命感が、彼女の心を押しとどめる。そう、もう後には引けないのだ。もしここで投げ出すようなことがあれば、エルデ伯爵家は取り返しのつかないダメージを負うだろう。自分を慕ってくれる母や姉、使用人たち、そして父の想いを踏みにじるわけにはいかない。
ベッドに横たわり、天蓋のレースを見つめているうちに、少しずつ意識が遠のいていく。今日はあまりにも急激な環境の変化と、重圧に耐え続けたせいか、疲労が尋常ではない。瞼が重くなり、思考が薄れていく中で、レクシアは最後に小さく呟く。
「……ダリオン様って、どんな人なんだろう……」
そうして彼女は、何の答えも得られないまま眠りについた。
---
0
あなたにおすすめの小説
王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました
さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。
王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ
頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。
ゆるい設定です
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
出来損ないの私がお姉様の婚約者だった王子の呪いを解いてみた結果→
AK
恋愛
「ねえミディア。王子様と結婚してみたくはないかしら?」
ある日、意地の悪い笑顔を浮かべながらお姉様は言った。
お姉様は地味な私と違って公爵家の優秀な長女として、次期国王の最有力候補であった第一王子様と婚約を結んでいた。
しかしその王子様はある日突然不治の病に倒れ、それ以降彼に触れた人は石化して死んでしまう呪いに身を侵されてしまう。
そんは王子様を押し付けるように婚約させられた私だけど、私は光の魔力を有して生まれた聖女だったので、彼のことを救うことができるかもしれないと思った。
お姉様は厄介者と化した王子を押し付けたいだけかもしれないけれど、残念ながらお姉様の思い通りの展開にはさせない。
【完結】好きでもない私とは婚約解消してください
里音
恋愛
騎士団にいる彼はとても一途で誠実な人物だ。初恋で恋人だった幼なじみが家のために他家へ嫁いで行ってもまだ彼女を思い新たな恋人を作ることをしないと有名だ。私も憧れていた1人だった。
そんな彼との婚約が成立した。それは彼の行動で私が傷を負ったからだ。傷は残らないのに責任感からの婚約ではあるが、彼はプロポーズをしてくれた。その瞬間憧れが好きになっていた。
婚約して6ヶ月、接点のほとんどない2人だが少しずつ距離も縮まり幸せな日々を送っていた。と思っていたのに、彼の元恋人が離婚をして帰ってくる話を聞いて彼が私との婚約を「最悪だ」と後悔しているのを聞いてしまった。
心配するな、俺の本命は別にいる——冷酷王太子と籠の花嫁
柴田はつみ
恋愛
王国の公爵令嬢セレーネは、家を守るために王太子レオニスとの政略結婚を命じられる。
婚約の儀の日、彼が告げた冷酷な一言——「心配するな。俺の好きな人は別にいる」。
その言葉はセレーネの心を深く傷つけ、王宮での新たな生活は噂と誤解に満ちていく。
好きな人が別にいるはずの彼が、なぜか自分にだけ独占欲を見せる。
嫉妬、疑念、陰謀が渦巻くなかで明らかになる「真実」。
契約から始まった婚約は、やがて運命を変える愛の物語へと変わっていく——。
婚約破棄に、承知いたしました。と返したら爆笑されました。
パリパリかぷちーの
恋愛
公爵令嬢カルルは、ある夜会で王太子ジェラールから婚約破棄を言い渡される。しかし、カルルは泣くどころか、これまで立て替えていた経費や労働対価の「莫大な請求書」をその場で叩きつけた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる