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第3章 策略と真実
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それから数日後。レクシアは昼過ぎの読書を終えたあと、ダリオンが書庫に置いていた文献を返しに行こうとしていた。そこへ、侍女の一人が慌てた様子で駆け寄ってくる。
「奥様! 先ほど公爵家に妙な客がいらして、執事様が応対されているのですが、どうも伯爵家からの“使者”を名乗っているようで……」
「えっ? また伯爵家の……? 先日来られた方とは別の人ということ?」
「はい。少なくとも、先日の使者の方とは違うお姿です。公爵様の許可もなく突然押し掛けてきたようで、こちらとしても困っております」
レクシアは一瞬嫌な予感に襲われる。なぜ伯爵家がこんなにも積極的に公爵家へ接触を図ってくるのか。しかも、勝手に名乗り込むだなんて、常識的に考えておかしな話だ。
急いで応接室へと向かうと、そこには憮然とした表情のオルディスと、いかにも胡散臭そうな男が睨み合っている。男はまだ若く、上等な生地の服を着てはいるが、その態度は粗野で礼儀をわきまえているようには見えない。
「どういうことですか。無作法だと承知のうえで来たんじゃないのか。この公爵家に勝手に押し入るとは……」
オルディスが冷静に諭そうとするが、男は耳を貸さず、むしろ声を荒らげる。
「公爵家に用事があるっつってんだよ! 伯爵家の関係者って言や、さすがに追い返しはしねぇだろうが!」
その場の空気は険悪なムードで満ちている。レクシアが入室すると、男は小馬鹿にしたように目を細めてこちらを見た。
「おや、あんたが公爵夫人か。ずいぶん可憐なお姿だねぇ。で、俺は誰かっていうとね――」
彼は胸を張り、嘲笑を浮かべながら名乗る。
「俺の名前はクエスト。エルデ伯爵家との商会で働いてる者さ。伯爵家が借金の返済を滞納しているから、その肩代わりを公爵家に求めに来たのよ」
その言葉に、レクシアは青ざめる。まさか、今度は商会の人間が自ら押しかけてきたというのか。しかも“滞納”などという穏やかでない単語が出てきている。
「伯爵家の借金……それは、具体的にどのような……」
「まあまあ、細かいことは置いておいて。お宅のダリオン公爵さんが、いざとなればバックアップすると伯爵家の人間に約束したって噂を聞いたんでね。それならさっさと肩代わりしてくれりゃあいいだろうが!」
クエストと名乗った男は、どこか挑発的な目つきをしている。何か裏があるかもしれない、とレクシアは警戒心を強める。
「そんな噂、私たちは聞いておりません。いずれにしろ、公爵家があなたのような方と直接金銭の話をすることはありません。まずは伯爵家と正式な手続きを行うべきでは?」
毅然とした口調で答えるレクシアに、クエストはせせら笑う。
「そう言うだろうと思って、ここに来たんだよ。あんたがエルデ家の娘なら話が早い。色々と事情があるんだろ? ま、言っとくけど、このまま支払いが滞るようなら、伯爵家は破産どころか、もっと悲惨なことになるぜ? あんたが嫁いだせいで、ますます帳尻が合わなくなってるらしいじゃねぇか」
居丈高な態度に、レクシアは憤りを感じると同時に不安が増す。伯爵家の内部がそこまで混乱しているというのは、いったいどういうことなのか。そして、それがこの男にとって都合がいいのか――あるいは、この男自身が伯爵家を追い込もうとしているのか。
「失礼ですが、クエストさん。公爵家はあなた方の借金を肩代わりする義務など一切ありません。今後そうした話を持ち出すのであれば、それなりの正式な場を設けてください。公爵様は現在不在ですので――」
最後まで言い終えないうちに、クエストが苛立ちを隠せない様子で言葉を遮る。
「へっ、わかったよ。でもな、あんたがこんな態度を取り続けてりゃ、伯爵家がどうなるかわからないぜ? 噂が広まってからじゃ遅いかもしれない。どうせダリオン公爵も、エルデ家を切り捨てるつもりなんだろ?」
まるで“脅し”のような言い方に、オルディスが怒りを含んだ声を上げる。
「いい加減にしてください。ここは公爵家です。これ以上の無礼は許しませんよ」
周囲の護衛が一歩前に出ると、クエストは舌打ちしながら引き下がる。
「ちっ……まあいい。いずれ会う機会もあるだろうしな。あんたらがどう足掻こうが、伯爵家はもう破滅寸前なんだ。せいぜい気張んな」
そう言い捨てると、クエストは侍女たちの制止を振り切って出て行ってしまった。残されたレクシアとオルディスは、しばし呆然とする。
「なんという態度……あれが商会の人間だというのなら、伯爵家は相当悪質な相手に取り込まれている可能性があるかもしれませんね」
オルディスが静かな声でつぶやく。レクシアも同感だった。
(あの男の言葉がどこまで真実なのかわからないけれど、伯爵家が危険な状態なのは間違いなさそう。公爵家が支援しないと知れば、連鎖的にトラブルが起きるかもしれない……)
まるで渦中の存在になっている伯爵家。その縁者であるレクシアも、巻き込まれずにはいられない。先日、ダリオンが言っていた「条件付きで救済する案」も、このままでは遅れをとるかもしれない。
けれど、その夜ダリオンは王宮からの緊急召集で宿泊になり、帰邸できないと連絡が入った。相談したいことは山ほどあるのに、話し合う機会さえ訪れない。
レクシアは眠れぬ夜を過ごしながら、胸を締めつけられるような不安と、ダリオンを頼りたいという切ない想いを抱える。それでも、ただ待つだけでは状況は好転しない。
(わたしがもっと強くならないといけない……。ダリオン様がいなくても、公爵家の夫人としてできることがあるはず)
そう自分に言い聞かせ、レクシアはまだ見ぬ“次の一手”を必死に模索する。そして、伯爵家を取り巻く陰謀や、クエストのような男たちが抱える“真の狙い”にも、いつかたどり着かなければ――
「奥様! 先ほど公爵家に妙な客がいらして、執事様が応対されているのですが、どうも伯爵家からの“使者”を名乗っているようで……」
「えっ? また伯爵家の……? 先日来られた方とは別の人ということ?」
「はい。少なくとも、先日の使者の方とは違うお姿です。公爵様の許可もなく突然押し掛けてきたようで、こちらとしても困っております」
レクシアは一瞬嫌な予感に襲われる。なぜ伯爵家がこんなにも積極的に公爵家へ接触を図ってくるのか。しかも、勝手に名乗り込むだなんて、常識的に考えておかしな話だ。
急いで応接室へと向かうと、そこには憮然とした表情のオルディスと、いかにも胡散臭そうな男が睨み合っている。男はまだ若く、上等な生地の服を着てはいるが、その態度は粗野で礼儀をわきまえているようには見えない。
「どういうことですか。無作法だと承知のうえで来たんじゃないのか。この公爵家に勝手に押し入るとは……」
オルディスが冷静に諭そうとするが、男は耳を貸さず、むしろ声を荒らげる。
「公爵家に用事があるっつってんだよ! 伯爵家の関係者って言や、さすがに追い返しはしねぇだろうが!」
その場の空気は険悪なムードで満ちている。レクシアが入室すると、男は小馬鹿にしたように目を細めてこちらを見た。
「おや、あんたが公爵夫人か。ずいぶん可憐なお姿だねぇ。で、俺は誰かっていうとね――」
彼は胸を張り、嘲笑を浮かべながら名乗る。
「俺の名前はクエスト。エルデ伯爵家との商会で働いてる者さ。伯爵家が借金の返済を滞納しているから、その肩代わりを公爵家に求めに来たのよ」
その言葉に、レクシアは青ざめる。まさか、今度は商会の人間が自ら押しかけてきたというのか。しかも“滞納”などという穏やかでない単語が出てきている。
「伯爵家の借金……それは、具体的にどのような……」
「まあまあ、細かいことは置いておいて。お宅のダリオン公爵さんが、いざとなればバックアップすると伯爵家の人間に約束したって噂を聞いたんでね。それならさっさと肩代わりしてくれりゃあいいだろうが!」
クエストと名乗った男は、どこか挑発的な目つきをしている。何か裏があるかもしれない、とレクシアは警戒心を強める。
「そんな噂、私たちは聞いておりません。いずれにしろ、公爵家があなたのような方と直接金銭の話をすることはありません。まずは伯爵家と正式な手続きを行うべきでは?」
毅然とした口調で答えるレクシアに、クエストはせせら笑う。
「そう言うだろうと思って、ここに来たんだよ。あんたがエルデ家の娘なら話が早い。色々と事情があるんだろ? ま、言っとくけど、このまま支払いが滞るようなら、伯爵家は破産どころか、もっと悲惨なことになるぜ? あんたが嫁いだせいで、ますます帳尻が合わなくなってるらしいじゃねぇか」
居丈高な態度に、レクシアは憤りを感じると同時に不安が増す。伯爵家の内部がそこまで混乱しているというのは、いったいどういうことなのか。そして、それがこの男にとって都合がいいのか――あるいは、この男自身が伯爵家を追い込もうとしているのか。
「失礼ですが、クエストさん。公爵家はあなた方の借金を肩代わりする義務など一切ありません。今後そうした話を持ち出すのであれば、それなりの正式な場を設けてください。公爵様は現在不在ですので――」
最後まで言い終えないうちに、クエストが苛立ちを隠せない様子で言葉を遮る。
「へっ、わかったよ。でもな、あんたがこんな態度を取り続けてりゃ、伯爵家がどうなるかわからないぜ? 噂が広まってからじゃ遅いかもしれない。どうせダリオン公爵も、エルデ家を切り捨てるつもりなんだろ?」
まるで“脅し”のような言い方に、オルディスが怒りを含んだ声を上げる。
「いい加減にしてください。ここは公爵家です。これ以上の無礼は許しませんよ」
周囲の護衛が一歩前に出ると、クエストは舌打ちしながら引き下がる。
「ちっ……まあいい。いずれ会う機会もあるだろうしな。あんたらがどう足掻こうが、伯爵家はもう破滅寸前なんだ。せいぜい気張んな」
そう言い捨てると、クエストは侍女たちの制止を振り切って出て行ってしまった。残されたレクシアとオルディスは、しばし呆然とする。
「なんという態度……あれが商会の人間だというのなら、伯爵家は相当悪質な相手に取り込まれている可能性があるかもしれませんね」
オルディスが静かな声でつぶやく。レクシアも同感だった。
(あの男の言葉がどこまで真実なのかわからないけれど、伯爵家が危険な状態なのは間違いなさそう。公爵家が支援しないと知れば、連鎖的にトラブルが起きるかもしれない……)
まるで渦中の存在になっている伯爵家。その縁者であるレクシアも、巻き込まれずにはいられない。先日、ダリオンが言っていた「条件付きで救済する案」も、このままでは遅れをとるかもしれない。
けれど、その夜ダリオンは王宮からの緊急召集で宿泊になり、帰邸できないと連絡が入った。相談したいことは山ほどあるのに、話し合う機会さえ訪れない。
レクシアは眠れぬ夜を過ごしながら、胸を締めつけられるような不安と、ダリオンを頼りたいという切ない想いを抱える。それでも、ただ待つだけでは状況は好転しない。
(わたしがもっと強くならないといけない……。ダリオン様がいなくても、公爵家の夫人としてできることがあるはず)
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