政略結婚の末に愛されたヒロインは、やがて世界を変える

鍛高譚

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第3章 策略と真実

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 翌朝。レクシアは決心して、ダリオンの執務室を訪ねることにした。いつもなら「夫の仕事を邪魔してはいけない」と遠慮していたが、今はそうも言っていられない。何より、伯爵家の問題は結婚によってもたらされる可能性のある“公爵家への損害”にも関わるのだ。自分一人で抱え込むわけにはいかなかった。
 執務室の扉をノックすると、ダリオンの声が返ってくる。
「入れ」
 恐る恐る扉を開けると、そこには机に向かって書類を読み込んでいるダリオンの姿があった。薄暗い室内は静寂に包まれ、窓から差し込む朝の光が重厚な家具を照らしている。ダリオンは顔を上げ、レクシアを見つめた。
「レクシアか。どうした?」
「少し……相談がありますの。お忙しいところ申し訳ありませんが、お時間をいただけますか」
 ダリオンは一瞬だけ怪訝そうな表情を浮かべたが、「座れ」とソファを勧める。レクシアはその正面に腰を下ろし、昨日渡された書類を鞄から取り出した。

「これは……伯爵家の従者が持ってきた書類です。父が公爵家へ助力を仰ぎたいと。内容としては、借金の返済や領地の維持費、商会との揉め事が多々あって……」
 淡々と事実を伝えながら、レクシアはダリオンの表情を窺う。彼は書類に目を通しつつ、険しい面持ちになった。
「エルデ伯爵家が、また公爵家に支援を求めている、というわけか。お前の結婚によって財政難は一時的に解消されたはずだが……ずいぶん安易だな」
 その言葉には明らかな苛立ちが滲んでいる。レクシアは胸が痛むが、それでも口を開く。
「私も、同じように感じています。でも、伯爵家はこのままだと取り返しのつかないことになりかねません。だからといって、公爵家の資金や権力を簡単に使うのは問題ですよね。私としては、どうするのが最善か、ダリオン様にご相談したくて……」

 ダリオンはしばらく黙り込んだまま、書類を読み込む。部屋の静寂が重くのしかかり、レクシアは息苦しささえ覚える。
「伯爵家は、王宮の貴族の中では比較的地位が低く、財政も脆弱だ。だからこそ、公爵家との縁を欲しがった。その結果、君と俺が結婚した……そこまではいい。だが、何度も言うように、俺たちが支援をするとなれば、“公爵家にただ乗りした”と周囲から反発を買いかねない。王宮内にも、エルデ伯爵家を快く思わない者は多いからな」
 淡々と語るダリオンだが、最後のほうは少し言葉を濁す。レクシアは不安が膨らむ一方だった。
「では、伯爵家はどうすれば……?」
「方法がまったくないわけではない。ただ、何かしらの“条件”を付ければ、公爵家が一方的に損を被らない形にできる。だが、それを伯爵家が呑むかは別だろう」
「条件、ですか……?」
「例えば、伯爵家の領地の一部を公爵家の管理下に置くとか。商会との契約権を公爵家が握るとか、いくつか手段はある。もっとも、君の実家はそれを受け入れるだろうか?」
 その言葉に、レクシアはハッとする。それはつまり、伯爵家の権力を大幅に削る提案だ。父や伯爵家の関係者がすんなり了承するとは思えない。

 (そうなると、また揉め事が起きてしまうかもしれない。でも、このままでは彼らが再び破産寸前になるのは目に見えている……)
 どうにも出口が見えない話だ。かといって、このまま伯爵家の訴えを放置すれば、いずれ大きな騒動に発展する可能性もある。
 ダリオンは書類を机に戻し、腕を組んでレクシアを見据える。
「君はどうしたい? 俺にこうして欲しいという希望があれば、聞こう」
 その問いに、レクシアは思わず息をのむ。いつもならダリオンは勝手に物事を決めるタイプだと思っていたが、ここにきて自分の意見を求めてきた。それは、ある意味“夫婦としての意思”を尊重してくれているとも取れる。
 レクシアは真剣に考えを巡らせる。自分の実家が大切なのは当然だが、公爵家にも迷惑をかけたくない。ダリオンや使用人たちに負担を強いてしまうような形は避けたい。そして、伯爵家の人々や領民も、できるだけ救いたい。
「私としては、伯爵家が公爵家に依存するだけの関係は変えたいです。少なくとも、ただ援助を受けるのではなく、何かしらの相応の対価を支払ってもらう――そういう形を取らないと、周囲からの反発もあるでしょうし、伯爵家自身のためにもならないと思います」
 それを聞いて、ダリオンはわずかに口元をゆるめる。
「そうだな。では、近々、王宮で伯爵家の問題を取り上げる場を作る。そこで伯爵家がどう動くか見極めたうえで、公爵家としての方針を決めるのが良いだろう。君には、その場での“証人”として出席してもらうかもしれないが……覚悟はあるか?」
「証人……私が?」
「君はエルデ伯爵家の令嬢だったが、今は公爵夫人という立場でもある。両方の目線を持つ人間だ。場合によっては、上手く立ち回らなければならない。覚悟がいるぞ」

 重々しいその言葉に、レクシアは戸惑いながらも頷く。結婚によって、伯爵家の人間でもあり、公爵家の人間でもある。中立とも言える立場でありながら、どちら側に力を貸すかによって状況が変わる。その責任は小さくない。
「わかりました。私なりに、最善を尽くします。……ダリオン様、ありがとうございます。お忙しいのに、こんな話を聞いていただいて」
 そう言うと、ダリオンは少しだけ眉を寄せながら、視線を外すように窓を見やる。
「……当然だろう。君は俺の妻であり、公爵家の夫人だ。守るべき存在なのだから、君が抱える問題に耳を傾けるのは当たり前だ」
 その言葉の端々に、レクシアはダリオンなりの優しさを感じ取る。まるで照れ隠しのように見えるのは、自分の思い違いだろうか。
 一方で、ダリオンが「守る」と口にするたび、レクシアの胸は微かに熱くなる。昔なら彼の冷たい印象しかなかったはずが、今は彼に対してかすかな信頼と愛着を抱いている自分がいるのだ。

 レクシアが執務室を辞して扉を閉じようとしたとき、ダリオンがふいに呼び止めた。
「レクシア」
「はい?」
 振り返ると、ダリオンは机に手を置いて立ち上がり、かすかに口を動かす。
「……お前のやり方で構わない。遠慮なく行動してみろ。もし困ったときは、俺が“力”を貸す」
 それは、まるで一緒に“問題を解決しよう”という宣言のようにも聞こえた。思わずレクシアは胸がいっぱいになり、かすれた声で「わかりました。ありがとうございます」と答える。

 ――自分は、一人じゃない。ダリオンが後ろ盾となってくれるなら、きっと伯爵家の問題も公爵家の立場もうまく両立させられるかもしれない。そう信じられるのは、彼が傍にいてくれるという確かな安心があるからだ。
(こんなふうに、ダリオン様と一緒に何かを乗り越えていくことができたら……)
 レクシアは廊下を歩きながら、胸の高鳴りを必死に抑える。公爵家と伯爵家の利害の狭間で揺れながらも、彼女は新たな決意を固めたのだった。
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