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第3章 策略と真実
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日が高くなる前に、レクシアは数人の侍女と護衛の騎士に付き添われ、公爵領の城下町へと向かった。馬車が石畳の街道を進むと、軒を連ねる建物の窓から人々がこちらを窺っているのがわかる。
公爵家の紋章を掲げた馬車は当然ながら目立ち、道行く人々がざわざわと声を上げ、軽く礼を示している。レクシアは車窓から穏やかに微笑んで手を振り返した。緊張よりも、今は彼らの温かい気配を感じたことが大きい。
「……政略結婚で嫁いだ令嬢、として好奇の目で見られるだろうけれど、少しでも彼らが安心できるような夫人でありたい」
小さく呟くと、傍に座っていた侍女が「奥様、ご無理なさらずに」と優しく声をかけてくれる。レクシアは感謝の意を込めて「ありがとう」と微笑んだ。
収穫祭の会場は領内でも広い広場に設けられており、すでに多くの露店やテントが並んでいる。秋の豊作を祝うための市場のように、野菜や穀物、果物や手工芸品まで、様々な商品が所狭しと積み上げられていた。
馬車から降りると、護衛の騎士が人々を遠巻きに下がらせながら道を作ってくれる。レクシアはそこをゆっくりと進み、周囲に会釈しながら、各所で出迎えてくれる領民と軽く言葉を交わした。
「公爵夫人様、はじめまして。ようこそお越しくださいました!」
「今年は小麦がたくさん採れまして、ほら、このパンも絶品なんですよ!」
皆、緊張しながらも嬉しそうに笑いかけてくれる。レクシアは彼らの素朴な人柄に触れ、胸が温まる思いをした。こうして直接領民たちと交流することで、公爵家が彼らを守り、導く立場にあるのだという現実を肌で感じる。
(ダリオン様は、きっと毎年こんな人々と触れ合ってきたのね。忙しい公務の合間を縫ってでも大切にする理由がわかる気がするわ)
ただ、レクシアが歩みを進めるにつれ、少しだけ奇妙な視線も感じるようになってきた。歓声や敬意の眼差しの中に、どこか敵意や疑念に満ちた視線が混ざっている気がするのだ。周囲を見渡すが、誰かがあからさまに睨んでいるわけでもない。
「どうかされましたか、奥様?」
騎士の一人が心配そうに尋ねてくる。レクシアは「いえ、なんでもありません」と首を振り、その場はやりすごした。何かの気のせいかもしれない。けれど、その胸騒ぎは簡単には消えなかった。
その後、露店でパンや果物を買い求め、領民たちから「こんな美しい公爵夫人様なら、公爵様との間に素晴らしいお子様が……」などと微笑ましい話をされ、レクシアは頬を赤らめてしまう。政略結婚とはいえ、こうして周りから祝福されると、少し恥ずかしくもあり、同時に嬉しかった。
しばらくして、食堂として利用されている大きなテントに入り、レクシアはそこで一息つく。護衛の騎士と侍女たちも一緒に簡単な食事をとるが、突然テントの外が騒がしくなった。
「何事かしら……?」
不安げに外へ出ると、二人の商人らしき男が口論をしているのが見える。周囲の人々が困惑した様子で距離をとっている。どうも出店の場所や売り上げを巡って口論になっているらしい。
仕切っているはずの役人が間に入ろうとするが、男たちは興奮状態で言い合いをやめようとしない。
(こういうときこそ、公爵家の人間が冷静に対処すれば、皆が安心してくれるのでは……?)
レクシアはそう思い、侍女や騎士を伴って前へ進み出た。
「少し落ち着いてください。何があったのか、教えてもらえますか?」
怯えた様子の周囲の人々が一斉に視線を向ける。まだ公爵夫人として在位して日も浅いレクシアだが、どこか威厳を保ち、相手を宥めるように話しかける。すると、男たちは一瞬きょとんとしてから、言葉を張り上げ始めた。
「オレの場所を勝手に取られたんだ! こっちは一週間前からここを借りるって役人に言ってたのに、こいつが今朝になってから陣取ってやがって!」
「違う! 俺もちゃんと許可をとってるんだ。役人がダブルブッキングしてるのが悪いんじゃないか!」
どちらにも言い分があるようだ。役人の手違いで同じ区画を重複して割り当てたらしい。事態を知った役人は平謝りしているが、二人の怒りは簡単には解けない。
レクシアは一通り話を聞き、なるほどと頷くと、役人にも確認する。どうやら書類の登録ミスがあったようで、意図せず同じ場所を二重に割り当ててしまったというのだ。
「それなら、少し離れた場所で追加のスペースを作ることはできませんか? ここで時間をかけて言い争っているより、そのほうがお二人にとっても売り上げにつながると思うのですが」
レクシアの提案に、役人が慌てて地図を取り出し、「そうですね……ここなら十分な広さがありそうです。ただ、少しだけ端になりますが……」と案を示す。
商人たちは互いに顔を見合わせ、不服そうではあるが、「たしかに、このままじゃ両方とも商売あがったりだ」と渋々ながら同意をする。
最終的に、騎士たちが荷物の運搬を手伝い、2軒の店はいったん移動することになった。二人も少し落ち着きを取り戻し、最後には「公爵夫人様、ありがとうございます」と頭を下げていく。
周囲にいた人々も安心した様子で散っていく。レクシアはほっと胸を撫で下ろした。
(ただの口論だったかもしれないけれど、こういう小さな問題が領民を不安にさせることもあるのよね。これもダリオン様が普段から対処している事柄のひとつなのかもしれない)
その後、レクシアは夕方近くまで収穫祭を見て回り、領民たちと言葉を交わした。トラブルはあったが、概ね穏やかで和やかな雰囲気に包まれている。公爵家の領地は豊かな土壌と人々の活気に満ちており、彼らが誇りをもって生活している姿に感銘を受けた。
いつもダリオンが守ろうとしているのは、こうした人々と土地なのだ。そう思えば、彼の多忙や厳しさも理解できる気がする。
「いつか、わたしもダリオン様の役に立てるようになりたい……」
思わずそんな言葉が口をついて出た。まだ彼との距離は遠いかもしれないが、少しずつでも近づいていきたいと願う。
公爵家の紋章を掲げた馬車は当然ながら目立ち、道行く人々がざわざわと声を上げ、軽く礼を示している。レクシアは車窓から穏やかに微笑んで手を振り返した。緊張よりも、今は彼らの温かい気配を感じたことが大きい。
「……政略結婚で嫁いだ令嬢、として好奇の目で見られるだろうけれど、少しでも彼らが安心できるような夫人でありたい」
小さく呟くと、傍に座っていた侍女が「奥様、ご無理なさらずに」と優しく声をかけてくれる。レクシアは感謝の意を込めて「ありがとう」と微笑んだ。
収穫祭の会場は領内でも広い広場に設けられており、すでに多くの露店やテントが並んでいる。秋の豊作を祝うための市場のように、野菜や穀物、果物や手工芸品まで、様々な商品が所狭しと積み上げられていた。
馬車から降りると、護衛の騎士が人々を遠巻きに下がらせながら道を作ってくれる。レクシアはそこをゆっくりと進み、周囲に会釈しながら、各所で出迎えてくれる領民と軽く言葉を交わした。
「公爵夫人様、はじめまして。ようこそお越しくださいました!」
「今年は小麦がたくさん採れまして、ほら、このパンも絶品なんですよ!」
皆、緊張しながらも嬉しそうに笑いかけてくれる。レクシアは彼らの素朴な人柄に触れ、胸が温まる思いをした。こうして直接領民たちと交流することで、公爵家が彼らを守り、導く立場にあるのだという現実を肌で感じる。
(ダリオン様は、きっと毎年こんな人々と触れ合ってきたのね。忙しい公務の合間を縫ってでも大切にする理由がわかる気がするわ)
ただ、レクシアが歩みを進めるにつれ、少しだけ奇妙な視線も感じるようになってきた。歓声や敬意の眼差しの中に、どこか敵意や疑念に満ちた視線が混ざっている気がするのだ。周囲を見渡すが、誰かがあからさまに睨んでいるわけでもない。
「どうかされましたか、奥様?」
騎士の一人が心配そうに尋ねてくる。レクシアは「いえ、なんでもありません」と首を振り、その場はやりすごした。何かの気のせいかもしれない。けれど、その胸騒ぎは簡単には消えなかった。
その後、露店でパンや果物を買い求め、領民たちから「こんな美しい公爵夫人様なら、公爵様との間に素晴らしいお子様が……」などと微笑ましい話をされ、レクシアは頬を赤らめてしまう。政略結婚とはいえ、こうして周りから祝福されると、少し恥ずかしくもあり、同時に嬉しかった。
しばらくして、食堂として利用されている大きなテントに入り、レクシアはそこで一息つく。護衛の騎士と侍女たちも一緒に簡単な食事をとるが、突然テントの外が騒がしくなった。
「何事かしら……?」
不安げに外へ出ると、二人の商人らしき男が口論をしているのが見える。周囲の人々が困惑した様子で距離をとっている。どうも出店の場所や売り上げを巡って口論になっているらしい。
仕切っているはずの役人が間に入ろうとするが、男たちは興奮状態で言い合いをやめようとしない。
(こういうときこそ、公爵家の人間が冷静に対処すれば、皆が安心してくれるのでは……?)
レクシアはそう思い、侍女や騎士を伴って前へ進み出た。
「少し落ち着いてください。何があったのか、教えてもらえますか?」
怯えた様子の周囲の人々が一斉に視線を向ける。まだ公爵夫人として在位して日も浅いレクシアだが、どこか威厳を保ち、相手を宥めるように話しかける。すると、男たちは一瞬きょとんとしてから、言葉を張り上げ始めた。
「オレの場所を勝手に取られたんだ! こっちは一週間前からここを借りるって役人に言ってたのに、こいつが今朝になってから陣取ってやがって!」
「違う! 俺もちゃんと許可をとってるんだ。役人がダブルブッキングしてるのが悪いんじゃないか!」
どちらにも言い分があるようだ。役人の手違いで同じ区画を重複して割り当てたらしい。事態を知った役人は平謝りしているが、二人の怒りは簡単には解けない。
レクシアは一通り話を聞き、なるほどと頷くと、役人にも確認する。どうやら書類の登録ミスがあったようで、意図せず同じ場所を二重に割り当ててしまったというのだ。
「それなら、少し離れた場所で追加のスペースを作ることはできませんか? ここで時間をかけて言い争っているより、そのほうがお二人にとっても売り上げにつながると思うのですが」
レクシアの提案に、役人が慌てて地図を取り出し、「そうですね……ここなら十分な広さがありそうです。ただ、少しだけ端になりますが……」と案を示す。
商人たちは互いに顔を見合わせ、不服そうではあるが、「たしかに、このままじゃ両方とも商売あがったりだ」と渋々ながら同意をする。
最終的に、騎士たちが荷物の運搬を手伝い、2軒の店はいったん移動することになった。二人も少し落ち着きを取り戻し、最後には「公爵夫人様、ありがとうございます」と頭を下げていく。
周囲にいた人々も安心した様子で散っていく。レクシアはほっと胸を撫で下ろした。
(ただの口論だったかもしれないけれど、こういう小さな問題が領民を不安にさせることもあるのよね。これもダリオン様が普段から対処している事柄のひとつなのかもしれない)
その後、レクシアは夕方近くまで収穫祭を見て回り、領民たちと言葉を交わした。トラブルはあったが、概ね穏やかで和やかな雰囲気に包まれている。公爵家の領地は豊かな土壌と人々の活気に満ちており、彼らが誇りをもって生活している姿に感銘を受けた。
いつもダリオンが守ろうとしているのは、こうした人々と土地なのだ。そう思えば、彼の多忙や厳しさも理解できる気がする。
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