選ばれ続ける場所で、私は決めない』

鍛高譚

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第二十二話 越えようとする者の失敗

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第二十二話 越えようとする者の失敗

 焦りは、人の視野を狭める。

 静かな拒絶に耐えきれない者は、やがて「線」を見失う。そして、見失ったまま踏み出す。

 ――それが、今日だった。

 朝、庭に出ると、管理人がすでに待っていた。表情は硬く、声も低い。

「エリシア様。本日は……少々、厄介な来訪が予想されます」

「どなた?」

「王都からの貴族が数名。事前の申し入れはなく、門の外で待っています」

 私は、ため息をつかなかった。

 想定内だ。

「お断りを」

「それが……」

 管理人は言葉を濁した。

「“王子妃殿下に直接会う権利がある”と主張しています」

 私は、静かに立ち上がった。

「……では、ここで対応しましょう」

 応接ではなく、庭。

 それは、私からの意思表示だった。

 門の外には、三人の貴族がいた。いずれも、社交界では中堅どころ。声を上げるほどの地位ではないが、無視されることにも慣れていない。

「殿下! お時間を――」

「ここまでです」

 私は、門を隔てた位置で足を止めた。

「事前の約束はありません。今日はお引き取りください」

 一人が、苛立ちを隠さず言い返す。

「我々は、正当な理由があって――」

「ありません」

 重ねて、即答した。

「少なくとも、私には」

 空気が、ぴり、と張りつめた。

「……我々を、軽んじているのですか」

 別の男が、低い声で問う。

 私は、首を横に振った。

「軽んじてはいません。線を守っているだけです」

「線?」

「私の生活に踏み込まない、という線です」

 沈黙。

 そして、その沈黙に耐えきれなかったのは、彼らのほうだった。

「王子妃という立場を、理解しているのですか!」

 声が、上ずる。

「理解しています」

 私は、静かに答えた。

「だからこそ、こうしています」

 その瞬間、一人が門に手をかけた。

 ――越えた。

 管理人が一歩前に出ようとしたが、私は小さく手で制した。

「それ以上は、控えてください」

 私の声は、低かった。

「ここから先は、不法侵入です」

 男の手が、止まる。

 彼は、ようやく自分が何をしようとしたかに気づいたのだろう。

 そのとき、背後から馬蹄の音が響いた。

 現れたのは、王都の紋章を掲げた馬車だった。

 馬車から降りたのは、セドリック。

 彼は、門の外の三人を見て、無表情に告げた。

「本日の一連の行動、すべて記録しました」

 三人の顔色が、はっきりと変わった。

「殿下の名において、忠告します」

 セドリックの声は、冷静だった。

「これ以上の接触は、“干渉”と見なされます」

 誰も、反論しなかった。

 彼らは、何も言わず、引き下がった。

 静けさが戻る。

 私は、ようやく息を吐いた。

「……ありがとうございます」

「当然の対応です」

 セドリックは、そう言ってから、少しだけ声を和らげた。

「殿下は、こう仰っています。“越えた者が、最初に折れる”と」

 私は、庭を見渡した。

 踏み荒らされることなく、守られた場所。

 線は、まだ引かれている。

 夕方、村の者たちが心配そうに集まってきた。

「エリシア様、さっきのは……」

「もう、大丈夫です」

 私は、はっきりと言った。

「ここは、守られています」

 その言葉に、彼らは安堵した。

 夜、手帳を開き、私は短く記した。

 ――越線、発生。
 ――即時対応。
 ――線、保持。

 沈黙は、武器になる。

 だが、線を越えられた瞬間、沈黙だけでは足りない。

 だからこそ、私は一歩も譲らなかった。

 灯りを落とし、私は静かに目を閉じる。

 越えようとした者は、失敗した。

 そしてその失敗は、必ず、他の者への警告になる。

 静けさは、まだ――ここにある。
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