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---第二章:仮縁談の行方と冷酷公爵の甘い囁き
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王宮での正式な“婚約発表”が決まり、ソフィア・エレナは慌ただしい日々を送っていた。
元婚約者であるエドワード王子との破局から、わずか二週間足らず。普通ならば、“新たな縁談”が持ち上がっても、正式な場での発表まで数か月はかかる。それにもかかわらず、今回は異様な速さで事が進んでいるのは、ひとえに国王の政治的都合が大きかった。
ソフィアは、政略結婚というものがどういうものであるか――そして、それが上層部の思惑次第でいかに人の人生を翻弄するかを、いま改めて痛感している。
そもそも、王子との婚約が破棄されたのも王家の内情によるものだ。エドワードの心が“新しい聖女”と呼ばれるリリアナへ向かったことが直接の原因だとはいえ、国王がそれを認めなければここまで大々的に決定してしまうことはなかっただろう。
にもかかわらず、一度捨てられたソフィアを、今度はヴァルフォード公爵に押しつけてくる。自分の都合であれこれ動かされる人生に、強い憤りややるせなさを覚えないわけにはいかなかった。
一方で、ソフィアの胸中には少しだけ救いとなる光がある。
それは、婚約相手として名を連ねる“冷酷公爵”ことアレクシス・ヴァルフォードの存在だった。
噂では「戦場の悪魔」だとか「冷徹非情の男」などと散々言われているが、実際に会話を交わしてみると、その印象は大きく覆る。確かに無口で表情にも乏しいが、彼はソフィアの意思を尊重し、時にささやかな優しさを示してくれた。
初めて公爵邸を訪れたとき、温室の花々を見せてくれたことは、ソフィアにとって思いがけないほど心温まる出来事だった。冷酷だと言われる彼が、大切に花を育て、自らその魅力を語ってくれた。
その落差こそが、ソフィアの心を強く揺さぶったのだと思う。――もし、彼が噂どおりの冷血漢であったならば、ソフィアは王家に従属するしかない自分の境遇を嘆きながら、ただ従っていくしかなかっただろう。しかし、アレクシスの奥に垣間見えた“優しさ”が、ソフィアの胸に小さな希望を灯している。
もっとも、“希望”と言えるほど確信しているわけではない。二人はまだ、ほとんどお互いのことを知らないのだから。
しかし、今度の婚約は――王子との婚約時代には感じられなかった『わたし自身を見てくれるかもしれない』という期待を抱かせる。以前のソフィアならば、「婚約が決まったのだから、従うしかない」と自分を押し殺していたかもしれないが、いまはほんの少しだけ、前向きになることができるのだ。
その一方で、準備に追われる日々は、決して甘いばかりではない。
婚約発表の場となる盛大な宴は、一週間後に王宮で執り行われる予定だ。そこには多くの貴族や大商人、軍の高官たちが招かれる。その宴に向けてソフィアは、新調するドレスの仮縫いや、公爵家へ嫁ぐにあたって必要な礼儀作法、立ち居振る舞いの微調整などを、怒涛の勢いでこなしていた。
「ソフィア様、こちらの靴の色とドレスの色味ですが、微妙に差が出てしまっております。どちらかを合わせた方がよろしいのでは……」
「こっちのヘッドドレスは地味すぎますか? 公爵家にふさわしく、もう少し華やかなものに変えるか……」
「王宮の殿下方だけでなく、聖女リリアナ様もお見えになると聞いております。ドレスの裾を少し長くして、気品を強調するのもありかと……」
グランヴェル伯爵家の侍女たちが、次々と提案を持ちかける。そのたびにソフィアは、意識を集中して答えなければならない。使い慣れた伯爵家とはいえ、王子との婚約が破棄された直後の今は、彼女の心労も大きい。
(ふう……。忙しさにかまけて、ゆっくり考える時間すらないわ)
それでも、侍女たちはソフィアのためを思って動いてくれているのだ。ここでいい加減な態度を取るわけにはいかない。ソフィアは微笑みを絶やさないよう気をつけながら、一つ一つ丁寧に答えていく。
やがて時間が過ぎ、ようやくドレスの仮縫いと小物の打ち合わせが一段落したころ、廊下の向こうから足音が聞こえる。ソフィアの部屋を訪ねるのは、父であるグランヴェル伯爵だった。
「ソフィア、少しいいかな?」
「もちろんです。どうなさいました?」
いつもは柔和な笑みを浮かべる伯爵だが、その表情はどこか心配そうでもある。ソフィアは侍女たちに目配せをし、部屋を出てもらった。
「実は……今しがた、王宮から使いが来たのだ。公爵様も同席のうえで、陛下と直接お話しする機会を設けたいとのことだ。どうやら、いくつか確認したいことがあるらしい」
「確認したいこと……? もしかして、わたしと公爵様の婚約に関する細部でしょうか」
「おそらくはそうだ。とはいえ、わたしも具体的な内容は聞いていない。かなり急な話でね……。明日の昼には王宮へ足を運ぶよう言われている」
「そんなに早く……」
またしても、王家の強引さに振り回されるのか――ソフィアは苦笑せざるを得なかった。
「分かりました。わたしはいつでも伺います。公爵様もお越しになるのですね?」
「ああ。先ほど、ヴァルフォード公爵にも正式に連絡がいったようだ。返事はまだわたしの元に届いていないが、よほどのことがない限り、彼が欠席するわけはあるまい」
伯爵が小さく息をつく。国王の命令には、たとえ公爵家と言えどもそう簡単に逆らえない。ましてや、今回はアレクシス自身も“婚約者”として公式に招集される立場だ。
「ソフィア、お前も疲れが見えているだろう。今日は早めに休んで、明日に備えるがいい」
「……はい。お気遣いありがとうございます、お父さま」
そう答えながら、ソフィアの心中にはどこか落ち着かなさが募る。――エドワード王子やリリアナも、明日の場に同席するのだろうか。
とにかく、今は父の言うとおり休むしかない。ソフィアは翌日の王宮で何が起きるのかを考えながら、少しでも精神を整えようと寝台へと向かうのだった。
元婚約者であるエドワード王子との破局から、わずか二週間足らず。普通ならば、“新たな縁談”が持ち上がっても、正式な場での発表まで数か月はかかる。それにもかかわらず、今回は異様な速さで事が進んでいるのは、ひとえに国王の政治的都合が大きかった。
ソフィアは、政略結婚というものがどういうものであるか――そして、それが上層部の思惑次第でいかに人の人生を翻弄するかを、いま改めて痛感している。
そもそも、王子との婚約が破棄されたのも王家の内情によるものだ。エドワードの心が“新しい聖女”と呼ばれるリリアナへ向かったことが直接の原因だとはいえ、国王がそれを認めなければここまで大々的に決定してしまうことはなかっただろう。
にもかかわらず、一度捨てられたソフィアを、今度はヴァルフォード公爵に押しつけてくる。自分の都合であれこれ動かされる人生に、強い憤りややるせなさを覚えないわけにはいかなかった。
一方で、ソフィアの胸中には少しだけ救いとなる光がある。
それは、婚約相手として名を連ねる“冷酷公爵”ことアレクシス・ヴァルフォードの存在だった。
噂では「戦場の悪魔」だとか「冷徹非情の男」などと散々言われているが、実際に会話を交わしてみると、その印象は大きく覆る。確かに無口で表情にも乏しいが、彼はソフィアの意思を尊重し、時にささやかな優しさを示してくれた。
初めて公爵邸を訪れたとき、温室の花々を見せてくれたことは、ソフィアにとって思いがけないほど心温まる出来事だった。冷酷だと言われる彼が、大切に花を育て、自らその魅力を語ってくれた。
その落差こそが、ソフィアの心を強く揺さぶったのだと思う。――もし、彼が噂どおりの冷血漢であったならば、ソフィアは王家に従属するしかない自分の境遇を嘆きながら、ただ従っていくしかなかっただろう。しかし、アレクシスの奥に垣間見えた“優しさ”が、ソフィアの胸に小さな希望を灯している。
もっとも、“希望”と言えるほど確信しているわけではない。二人はまだ、ほとんどお互いのことを知らないのだから。
しかし、今度の婚約は――王子との婚約時代には感じられなかった『わたし自身を見てくれるかもしれない』という期待を抱かせる。以前のソフィアならば、「婚約が決まったのだから、従うしかない」と自分を押し殺していたかもしれないが、いまはほんの少しだけ、前向きになることができるのだ。
その一方で、準備に追われる日々は、決して甘いばかりではない。
婚約発表の場となる盛大な宴は、一週間後に王宮で執り行われる予定だ。そこには多くの貴族や大商人、軍の高官たちが招かれる。その宴に向けてソフィアは、新調するドレスの仮縫いや、公爵家へ嫁ぐにあたって必要な礼儀作法、立ち居振る舞いの微調整などを、怒涛の勢いでこなしていた。
「ソフィア様、こちらの靴の色とドレスの色味ですが、微妙に差が出てしまっております。どちらかを合わせた方がよろしいのでは……」
「こっちのヘッドドレスは地味すぎますか? 公爵家にふさわしく、もう少し華やかなものに変えるか……」
「王宮の殿下方だけでなく、聖女リリアナ様もお見えになると聞いております。ドレスの裾を少し長くして、気品を強調するのもありかと……」
グランヴェル伯爵家の侍女たちが、次々と提案を持ちかける。そのたびにソフィアは、意識を集中して答えなければならない。使い慣れた伯爵家とはいえ、王子との婚約が破棄された直後の今は、彼女の心労も大きい。
(ふう……。忙しさにかまけて、ゆっくり考える時間すらないわ)
それでも、侍女たちはソフィアのためを思って動いてくれているのだ。ここでいい加減な態度を取るわけにはいかない。ソフィアは微笑みを絶やさないよう気をつけながら、一つ一つ丁寧に答えていく。
やがて時間が過ぎ、ようやくドレスの仮縫いと小物の打ち合わせが一段落したころ、廊下の向こうから足音が聞こえる。ソフィアの部屋を訪ねるのは、父であるグランヴェル伯爵だった。
「ソフィア、少しいいかな?」
「もちろんです。どうなさいました?」
いつもは柔和な笑みを浮かべる伯爵だが、その表情はどこか心配そうでもある。ソフィアは侍女たちに目配せをし、部屋を出てもらった。
「実は……今しがた、王宮から使いが来たのだ。公爵様も同席のうえで、陛下と直接お話しする機会を設けたいとのことだ。どうやら、いくつか確認したいことがあるらしい」
「確認したいこと……? もしかして、わたしと公爵様の婚約に関する細部でしょうか」
「おそらくはそうだ。とはいえ、わたしも具体的な内容は聞いていない。かなり急な話でね……。明日の昼には王宮へ足を運ぶよう言われている」
「そんなに早く……」
またしても、王家の強引さに振り回されるのか――ソフィアは苦笑せざるを得なかった。
「分かりました。わたしはいつでも伺います。公爵様もお越しになるのですね?」
「ああ。先ほど、ヴァルフォード公爵にも正式に連絡がいったようだ。返事はまだわたしの元に届いていないが、よほどのことがない限り、彼が欠席するわけはあるまい」
伯爵が小さく息をつく。国王の命令には、たとえ公爵家と言えどもそう簡単に逆らえない。ましてや、今回はアレクシス自身も“婚約者”として公式に招集される立場だ。
「ソフィア、お前も疲れが見えているだろう。今日は早めに休んで、明日に備えるがいい」
「……はい。お気遣いありがとうございます、お父さま」
そう答えながら、ソフィアの心中にはどこか落ち着かなさが募る。――エドワード王子やリリアナも、明日の場に同席するのだろうか。
とにかく、今は父の言うとおり休むしかない。ソフィアは翌日の王宮で何が起きるのかを考えながら、少しでも精神を整えようと寝台へと向かうのだった。
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