婚約破棄された悪役令嬢、放浪先で最強公爵に溺愛される

鍛高譚

文字の大きさ
7 / 29
2章隣国の公爵に拾われる

2-1隣国の公爵に拾われる

しおりを挟む
2-1隣国の公爵に拾われる

 王都を出て数日が経った。
 スカーレット・ヨークは伯爵家の馬車に揺られながら、国境の向こうへ向かおうとしていた。辺境の親戚筋、あるいはまったく別の地にある修道院……いずれにしろ、王太子アルバートによって婚約を破棄された彼女が、王都に戻れる望みはもはやほとんどない。
 父や母が必死に手を尽くしてくれるとはいえ、王家や有力貴族が結託し、スカーレットを“悪役令嬢”として扱い続ける以上、短期間で名誉が回復される見込みは薄いだろう。――彼女自身、それを十分に理解していた。

 ◇

 馬車での旅は想像以上に過酷だった。王都周辺の道こそ石畳がしっかり整備されているものの、街を出てしばらく行くと道幅は狭くなり、街道の整備状態も一気に悪化する。大きな石や木の根が露出した凸凹道を進むたび、車輪が何度も軋み、揺れが激しくなって車内にいるスカーレットの身体を容赦なく左右へと振り動かした。

 本来ならば、長い旅に慣れた御者や護衛騎士など、十分な人員を整えて出発すべきところだったが、今のヨーク伯爵家にはその余裕がない。王家から睨まれた以上、派手な準備をすれば「逃亡の意図がある」としてますます追及される恐れがあるし、何より王都の使用人たちはあからさまにスカーレットを敬遠しており、身の回りの世話を申し出る者はごくわずかだった。

 それでも、出発の際に伯爵夫人が懇意にしていた年配の御者が、最後の善意として名乗りを上げ、馬車を駆る役を引き受けてくれた。しかし彼も年齢による体力の衰えは隠せず、旅程が長引くほど心身の疲労が蓄積していくのは明らかだった。

 ある夕刻、細い峠道に差しかかったとき、事件は起きる。荷物を満載した馬車が深い轍(わだち)にはまってしまい、御者が必死に鞭を振るっても車輪が空転するばかりでまったく動かなくなってしまったのだ。幸い天候は晴れで雨のぬかるみはなかったものの、峠道は急な斜面に挟まれており、道幅が狭い。下手に押せば馬車ごと谷底へ転落しかねない危険があった。

「……どうしようもありませんな。嬢様、ここは馬車を降りて、先に少し歩いていただけますか? 荷物を減らして馬を助けないと」

 疲労困憊の御者は額の汗を拭いながらそう申し出る。スカーレットは迷わず頷いた。ドレスの裾をたくし上げ、そっと馬車を降りる。といっても、旅用の少し丈夫な衣装を選んでいるため、普通の貴族令嬢のような豪奢な装いよりは動きやすい。とはいえ、慣れない山道を歩くのは骨が折れる。地面の小石が靴底から足を突き上げ、ゆるくウェーブのかかった栗色の髪に埃が舞い込んで不快感が募る。

「大丈夫、私は歩けますから。御者さんこそお気をつけて」
「痛み入ります。しばしお待ちを……」

 御者は荷台を軽くするため、一部の荷物を地面に下ろし、馬と車輪を引き上げようと試行錯誤を繰り返す。しかし車輪は頑固に轍に噛んでおり、少しも動かない。道行きで頼めそうな助けも近くには見当たらない。深い森と岩肌が迫る峠道で、通行人の姿すらほとんどないのだ。

 スカーレットは周囲を見渡し、次第に日が沈みかけていることに気づく。空の西側は淡いオレンジのグラデーションに染まり、あと数十分もすれば明かりがなければ進めないほど暗くなるだろう。ここで夜を迎えるのは危険が大きい。魔獣や盗賊の類が出没する噂も、辺境近くでは決して珍しくはないのだ。

「御者さん……今日中にここを抜けられないのなら、安全な場所に避難した方がいいかもしれません。あまりにも無理をすると、私たちが怪我をするどころか……」
「承知してます、嬢様。ですが、馬車をこのまま放置するわけにもいかんのです。せめて車輪を外すなど、何らかの手段を講じたいが……」

 御者が途方に暮れたように視線を巡らせた。その様子にスカーレットも心が沈んでいく。伯爵家の援助もなく、大人数の護衛もいない今、彼女たちはほぼ自力でこの状況を打開しなければならない。

 ――そこに、遠くから蹄の音が聞こえてきた。
 希望の光か、それとも新たな危険か。スカーレットは警戒心を抱きながら、音のする方へ視線をやる。峠道の曲がり角から姿を現したのは、漆黒の毛並みを持つ一頭の馬。その馬上には銀髪の男が乗っていた。

 銀髪の男は、夕陽を背にしながらこちらへ近づいてくる。彼の身なりは一見して旅装束のようにも見えるが、織り込まれた生地は高級なものであり、その肩には何か高位の紋章と思しきデザインが刻まれていた。乗馬姿勢も堂々としており、まるで軍人か騎士のようだが、それ以上の威圧感と品位を感じさせる。

「これは……」

 距離が縮まるにつれ、スカーレットは男の容姿に驚かされる。彫りの深い整った横顔に、長身で引き締まった体躯。透き通るような銀色の髪はまるで月の光を映したかのごとく美しい。さらに、彼の瞳は冷淡さと高貴さを併せ持ち、どこか人を寄せ付けない雰囲気を放っていた。

 男は馬を止めると、まずは無言でスカーレットたちの馬車を一瞥する。そして落ち着いた声音で問うた。

「こんな時間に、こんな道で馬車が動かなくなるとは……随分と困っているようだな。どうした?」

 その低く響く声に、御者は安堵の表情を浮かべる。見知らぬ人物だが、盗賊風でもなければ怪しい集団を引き連れているわけでもない。もし力を貸してもらえるならば、これほど心強いことはない。

「ええ、実は……。峠道の轍に車輪が嵌ってしまいまして、馬も疲れ切っております。大変恐縮ですが、お力をお借りできませんでしょうか」

 御者がそう頼み込むと、男はちらりとスカーレットの方へ視線を向けた。彼女の衣服や佇まいから、ただの旅人ではなく、それなりに良家の出であることを察したのだろう。

「ふむ……そちらの嬢さんも旅の途中か? こんな辺境の峠道に、護衛もなく一人とはずいぶん危険だな」
「一応、私が護衛も兼ねておりますが、年寄りの身で……ご覧のありさまです」

 御者の自嘲気味な言葉に、男は口元にわずかな苦笑を浮かべる。そして馬を下りると、しっかりとした足取りで馬車の車輪へ近づいた。御者も「助けます」と声をかけて付き添う。

 男は馬車と轍の状態を確認し、しばらく車輪の様子を覗き込んでいたが、やがて立ち上がり、落ち着いた口調で言った。

「車輪を外すだけでは駄目だな。馬車の下に木材か石を差し込んで道をならす必要がある。……俺が持ち上げるから、お前はその間に支えを入れろ」
「はっ、はい! しかし、そんな重いものを……」

 御者は怪訝そうな顔をしたが、男は構わず両手を車輪付近の車体に当てる。まるで大岩を動かすかのように力を込めると、信じ難いことに馬車の一角が少しずつ持ち上がっていくではないか。

「……嘘……」

 スカーレットは息を呑んだ。馬車は決して軽いものではない。荷物もそれなりに積まれており、到底人の腕力だけで持ち上げられる代物ではないはずだ。それがこの男の手にかかると、不自然なほど容易く車体の傾斜が変わっていく。何かしら魔力を使ったのか、それとも単なる怪力か。

 いずれにしても、男の腕に秘められた桁外れの力を感じ、スカーレットはただ驚くばかりだった。御者が慌てて車輪の下に木片を噛ませ、さらには周囲の石や土砂を使って小さな斜面を作り出すと、馬車はようやく轍から抜け出すことに成功する。

「――やりました! ありがとうございます、本当に。あなたがいなければ、私たちは夜を明かさねばなりませんでした」
「助かった……! 重ね重ね感謝いたします。まさか、こんなに簡単に……」

 御者は地面に手をついて礼を述べた。その隣でスカーレットも丁寧に一礼する。

「……ありがとうございます。わたくし、スカーレットと申します。大恩をお受けしたままでは申し訳ございません。何かお礼を――」

 だが、男はスカーレットの言葉を制するかのように片手を挙げる。表情は依然として冷静で、どこか人形じみた美しさすら感じさせる。

「礼は要らない。困っているのを放っておくほど酷い性分じゃない。……それより、お前たちはこれからどうする? 峠を抜けても、ここから最寄りの街まではかなり距離がある。しかも陽は落ちかけている。今夜は安全な場所で休んだ方がいいだろう」
「たしかに、日が暮れるまでに街に着くのは無理かもしれません……」

 スカーレットが呟くように言うと、男は小さく頷く。

「俺の領地がそう遠くない。国境付近に邸があるから、良ければそこに一晩泊まっていくといい」
「え……領地がある、ということはあなたは……?」

 男はスカーレットの問いかけに直接は答えず、「早くしないと暗くなるぞ」とだけ言い残して愛馬に再び跨がる。そして馬車の御者を先導するように、片手で道を示す。その言動は強引なようにも見えるが、その実、迷いなく彼女たちを安全へ導く気概が感じられた。

 御者は一瞬ためらったものの、当てもないまま夜を迎えれば危険なのは明らかだ。幸い、相手は人目でわかるほど高貴な身分らしき雰囲気を漂わせ、しかも先ほどの善行が示すように悪意はなさそうである。スカーレットもうなずき、男に従うことを決めた。

 こうして、不思議な出会いをした銀髪の男――のちに名を知ることになるゼイン・ファーガス公爵――の導きによって、スカーレットの馬車は峠道を抜け、隣国へと続く国境地帯にある公爵領へ足を踏み入れることになったのである。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

『「君は飾りだ」と言われた公爵令嬢、契約通りに王太子を廃嫡へ導きました』

ふわふわ
恋愛
「君は優秀だが、王妃としては冷たい。正直に言えば――飾りとしては十分だった」 そう言って婚約者である王太子に公然と切り捨てられた、公爵令嬢アデルフィーナ。 さらに王太子は宣言する。 「王家は外部信用に頼らない」「王家が条文だ」と。 履行履歴も整えず、契約も軽視し、 新たな婚約者と共に“強い王家”を演出する王太子。 ――ですが。 契約は宣言では動きません。 信用は履歴の上にしか立ちません。 王命が止まり、出荷が止まり、資材が止まり、 やがて止まったのは王太子の未来でした。 自ら押した承認印が、 自らの継承権を奪うことになるとも知らずに。 公然侮辱から始まる、徹底的な強ザマァ。 救済なし。 やり直しなし。 契約通りに処理しただけですのに―― なぜか王太子が廃嫡されました。

婚約破棄された令嬢は平凡な青年に拾われて、今さら後悔した公爵様に知らん顔されても困ります

exdonuts
恋愛
婚約者に裏切られ、社交界から笑い者にされた侯爵令嬢セシリア。すべてを失い途方に暮れる中、彼女を救ったのは町外れのパン屋で働く青年リアムだった。 「もう無理に頑張らなくていい」――そう言って微笑む彼の優しさに、凍りついていた心が溶けていく。 しかし、幸せが訪れた矢先、かつての婚約者が突然彼女の前に現れて……? これは、失われた令嬢が本当の愛と尊厳を取り戻す、ざまぁと溺愛の物語。

婚約破棄された公爵令嬢は、ただ冤罪を晴らしたいだけなのです

明衣令央
恋愛
王太子アレクシスから突然の婚約破棄を告げられた公爵令嬢エレノア。 身に覚えのない冤罪まで着せられ、学園は騒然となる。 王家の調査が始まる中、彼女の前に現れたのは誠実な第二王子ウイリアム。 静かに真実へと歩み出すエレノアの影で、 “時”をめぐる運命が、ゆっくりと動き始めていた――。

捨てられた公爵令嬢は氷の宰相に愛されすぎて困っています 〜婚約破棄の果てに見つけた真実の愛〜

nacat
恋愛
婚約者の王太子に「平民上がりの令嬢が」と断罪された公爵令嬢・リリアーナ。 居並ぶ貴族の前で婚約破棄を告げられ、家を追放された彼女の前に現れたのは、氷の宰相と恐れられる冷徹な美貌の青年、アラン・グレイス。 無表情で冷たいと噂された彼が見せたのは、誰も知らないほど深い優しさと狂おしいほどの独占欲だった。 最果ての領地で始まる、ざまぁと溺愛の逆転劇。 そして、王国を揺るがす陰謀の真実が明らかになるとき、二人の愛はすべてを変える――。

【完結】冷遇され続けた私、悪魔公爵と結婚して社交界の花形になりました~妹と継母の陰謀は全てお見通しです~

深山きらら
恋愛
名門貴族フォンティーヌ家の長女エリアナは、継母と美しい義妹リリアーナに虐げられ、自分の価値を見失っていた。ある日、「悪魔公爵」と恐れられるアレクシス・ヴァルモントとの縁談が持ち込まれる。厄介者を押し付けたい家族の思惑により、エリアナは北の城へ嫁ぐことに。 灰色だった薔薇が、愛によって真紅に咲く物語。

婚約破棄されたので辺境伯令嬢は自由に生きます~冷酷公爵の過保護が過ぎて困ります!~

sika
恋愛
「君のような女と婚約していたなど、恥だ!」 公爵嫡男に突然婚約を破棄された辺境伯令嬢リーゼは、すべてを捨てて故郷の領地へ戻る決意をした。 誰にも期待せず、ひっそりと生きようとするリーゼの前に現れたのは、冷酷と噂される隣国の公爵・アルヴィン。 彼はなぜかリーゼにだけ穏やかで優しく、彼女を守ることに執着していて――。 「君はもう誰にも踏みにじられない。俺が保証しよう」 呪いのような過去を断ち切り、真実の愛を掴むざまぁ×溺愛ラブストーリー!

[完結]7回も人生やってたら無双になるって

紅月
恋愛
「またですか」 アリッサは望まないのに7回目の人生の巻き戻りにため息を吐いた。 驚く事に今までの人生で身に付けた技術、知識はそのままだから有能だけど、いつ巻き戻るか分からないから結婚とかはすっかり諦めていた。 だけど今回は違う。 強力な仲間が居る。 アリッサは今度こそ自分の人生をまっとうしようと前を向く事にした。

婚約破棄された地味令嬢は、無能と呼ばれた伯爵令息と政略結婚する ~あなたが捨てたのは宝石でした~

新川 さとし
恋愛
「地味で可愛げがない」と婚約破棄された侯爵令嬢クリスティーヌ。 王子の政務を陰で支え続けた功績は、すべて無かったことにされた。 居場所を失った彼女に差し出されたのは、“無能”と噂される伯爵令息ノエルとの政略結婚。 しかし彼の正体は、顔と名前を覚えられない代わりに、圧倒的な知識と判断力を持つ天才だった。 「あなたの価値は、私が覚えています」 そう言って彼の“索引(インデックス)”となることを選んだクリスティーヌ。 二人が手を取り合ったとき、社交界も、王家も、やがて後悔することになる。 これは、不遇な二人が“最良の政略結婚”を選び取り、 静かに、確実に、幸せと評価を積み上げていく物語。 ※本作は完結済み(全11話)です。 安心して最後までお楽しみください。

処理中です...