6 / 68
6「Satisfaction《会心》」
しおりを挟む殺しの仕事はせいぜい月に一度あるかないか。月に二度ある事は滅多にないし、ふた月ほど空く事もある。
だから喜多の奴もそうしょっちゅうは顔を見せない。
――その筈だったんだがな。
あれからちょっと可笑しな事になってて参ってんだ。
「ねぇ、それでどうする栄一くん?」
「こんなのどうかなママさん」
「それにしたって栄一くんってば綺麗な顔してるわぁ~」
私の指は特別製だが、耳だってかなり常人離れしている。
縦型ミキサー君が出すぺたこらぺたこらいう騒音の中、店内イートインコーナーでこそこそと密談する二人組の会話だって盗み聞きできる程度にはな。
――本気ならば応援する――
そう私に言った千地球のママは喜多を上手いこと引き入れて、頻繁にやって来ては合流し、小声で何やら相談するようになった。
しかし傍目には美青年――実年齢よりずいぶん若く見える喜多も実際それほど若くはないが――と熟年女性、どう見ても不穏。ウチでの密談はあまり望ましくはない。
だいたい喜多の奴、俺らみたいなもんに普通の家庭はうんぬんかんぬん吐かしてたくせにどういうつもりだ。
「カオルさんこれお願いします。熱いから気を付けて」
「はぁい店長――わぁ! 美味しそう!」
ふふっ――会心の出来のクロワッサンだ、旨いのは間違いありませんよ。
けれどクロワッサンというものは確かに旨いが、あのサクサクカリッとした食感のためには多大な犠牲を払う必要がある。
少し小ぶりな当店のクロワッサンを例にとれば、一〇〇グラムの強力粉で四つのクロワッサンが焼けるが、それに必要なバターはなんと八〇グラム。
比率にして五対四。もうそれは小麦粉を食っているのかバターを食っているのか悩むレベルではあるまいか。
――旨いものはカロリーが高い。
一概には言えないだろうが、心の片隅に置いておいても無駄にはなるまい。
だからと言う訳ではないがクロワッサンはあまり多くは焼かない。お昼前、ピーク時間の前のこの時間だけだ。
だがこれがすこぶるよく売れる。私のパン作りの腕はせいぜい並が良いとこだが、焼き立てクロワッサンは旨いからな。
焼き立てクロワッサンをカオルさんに託し、ついでに店舗へ出て問題の二人組へと近付いてはっきり言う。
「そろそろ昼ピークだ。喜多、帰れ」
「帰れってゲンちゃ――げふんっ、げふ、ごほんうほうほ――帰れってゲンゾウ、俺は今日もお客よ、お客!」
……やっぱりうほうほ言ってんじゃねえか。オマエはちょっと黙ってろ。
「ママの『千地球』だってそろそろ忙しい時間でしょう? マスター困ってますよきっと」
「ウチの昼ピーは正午過ぎからだからまだ平気よ」
とにかくマスターにチクってやろう。若いツバメに入れ上げてますよ、ってな。
「真面目な話、ウチのイートインは全部で四席、長っ尻は困るんですよ」
「だってしょうがねぇじゃねえの!」
……ほう? この流れで反論するか喜多よ。オマエに勝ち目はないぞ?
「カオルちゃんが淹れてくれるコーヒー、旨いんだからよ!」
………………分かる。それは分かっちまう。
特に力を入れている訳ではない当店のコーヒーは実際のところ大したことはない。
さすがにインスタントではないが、特別お高いブレンドだとかいう事は全くない。問屋で売ってる、値段で言えば下から二番目の豆だ。
けれど喜多の意見に全面的に賛成だ。
カオルさんが淹れてくれたコーヒーは、若干薄いんだが何故か旨い。
しかもどうやら、これが私と喜多だけじゃないらしい。あちこちで評判が良いのだ。
「喜多さんはほんと冗談ばっかりなんだから。あたしのコーヒーっていっつもなんでかアメリカンなのよ? そんな訳ないじゃない」
「いやそんな事ねえって。なんでか旨いのよカオルちゃんのコーヒー」
二人のやり取りにうんうん頷いてしまう私を尻目に、さすがに喫茶店経営らしい意見を口にする千地球のママ。
「雁野さんの仕入れてるコーヒー豆、そんなに良いのじゃないでしょ?」
確かにそう。下から数えた方が早い、お求めやすいお値段のコーヒーなのでママに頷く。
「だからだと思う。これで濃いのを淹れちゃ雑味が立ちすぎて美味しくないんじゃないかなぁ」
……なるほど。
私が淹れるより旨い理由とはそのせいなのかも知れないな。
「って事は……あたしは薄いままで出さなきゃダメ……って事ですか?」
「そうね、そうかも。雁野さんのコーヒーはもっと普通に濃いけど、カオルちゃんの方が断然美味しいもの」
っとまあ、この様にだ。
カオルさんのコーヒーに限った話でなく、この街で始めた『ロケットベーカリー』の評判はそう悪くない。
ぶっちゃけ私のパンの腕は然程でもない。
せいぜい可もなく不可もなく。どこでだって合格を貰えるという程度のものであって、絶賛を貰えるものではないという程度。
なのにこの春のオープン以来、売れ行きはそう悪くない。
まぁ理由は明白。
元々ここにあった、去年閉店したパン屋がイマイチだったってだけなんだ。
オープンからひと月もすると、一人で店を回すのが辛くなってバイトを入れる事にしたのだが、なんとその面接に来たのがカオルさん。劇的だった。
表に求人の張り紙を貼ると同時、そこをたまたま歩いていたカオルさんが手を挙げた。
『あたし! それあたしやります! 今すぐでも平気です!』
初めて目にしたカオルさんは少しの緊張と、切羽詰まった緊張感とをその身に纏わせていた。
しかしそれでも今と変わらぬ愛くるしさを全開に蓄えていた。
さっきのクロワッサンだけじゃない、いま思えばあの張り紙もまた、私の会心の作になったと言わざるを得まい。
0
あなたにおすすめの小説
中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています
浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】
ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!?
激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。
目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。
もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。
セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。
戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。
けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。
「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの?
これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、
ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。
※小説家になろうにも掲載中です。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
三年の想いは小瓶の中に
月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。
※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる