やぶ医者の女房 〜あたしの正体が妖狐だと知られたら、離縁されてしまうでしょうか〜

ハマハマ

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31「巫と戟」

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 夕方から二人は道場に篭りっきりです。

 途中夕飯だけ食べに戻った時に調子を聞いてみましたけど、良庵せんせはにこやかに微笑んで言ってのけました。

「まだちっとも分かりません」

 どうやら難航してるらしいですけど、今まで濃霧の中を彷徨っていたようなものだったのが、どうやら正しい手順で歩く為の灯りを手に入れた安心感がにこやかにさせる様子でした。

 再び道場に戻った二人をしーちゃん越しに覗いてみようかと、ちょいと視界を共有した途端に薮井青年がしーちゃんこっちを見たもんでびっくりしちまいました。

『良庵先生。先ほどから気になっていたんですが、そのお腰の……なにやら兎か何かの足の……それは一体?』
『御守りです。兎の妖魔の足先らしいんですよ』

 そういや薮井青年は妖魔退治が生業でしたね。
 あたしはともかくしーちゃん達は見つかるとややこしいかしらねぇ。

 普通にそこらをうろちょろしてるなっちゃんはすでに見つかってるけど、まだ小狐なんでが弱いせいか特に反応ありませんでした。


 そう、こないだ蝮の三太夫としーちゃんが吐いたあの光の波動、あれが巫戟ふげきのもう片割れ、かんなぎと対を成すげきなんです。

 こないだ良庵せんせが、野巫三才図絵を『人ではない何かの為のもの』と表現しましたが、確かに戟を使いこなせる妖魔であれば三才図絵の内容をある程度は使える筈なんです。
 けどま、戟が使えるからって野巫なんて使いませんけどね、普通の妖魔は。


 良庵せんせと薮井青年は、すっかり日が落ちてからも道場で何かごそごそやってます。
 あたしも退屈なんで繕いものでもしようと思いはするんですけど、あちこちで焚いちゃ行灯あんどんの油代も馬鹿になりません。

 だもんで、あたしもなっちゃん連れて道場へやってきました。

「あたしもちょいと灯り借りますね」
「先にやすんで下さって構いませんよ」

 良庵せんせならそう仰るでしょうけど――

「亭主そっちのけで寝るなんてあたしにゃ出来ませんよ。お気になさらず続けて下さいな」

 ――一晩二晩寝ないくらいでどうなるものでもないですしね、あたしは。


 膝の上で丸くなったなっちゃんのふわふわ柔毛やわげを時折り撫でながら、チクチクチクっと針を動かします。
 料理と違ってお針はあんまり得意じゃないんで、時間が掛かっちまって逆に丁度良いねぇ。

 お針の途中で少し手を止め二人の様子を見てみれば。

 あら、これはなんだか耽美な感じ。

 胡座で座る良庵せんせの背に回った薮井青年が、体を密着させつつそれぞれの手をせんせの手に乗せて、そして耳元で囁くように一言。

「どうです、感じますか?」
「は、はい。感……じ、ます。なんだか……暖かい……ような、気持ち良い……ような――」

「良いですね。もっと私を全身で感じて下さい。いきますよ!」
「は、はい! あ、あぁっ――く、来る! 熱いのが、甚兵衛どのの熱いのが――っ!」


 …………良庵せんせ。

 あたしにゃは無いんですけど、新たな扉が開いちまいそうですよ。

 ヤキモチ妬くどころかずっと見てたい気になっちまいましたけど、「ぁあっ!」なんて小さく叫んだ良庵せんせが前のめりに倒れ込んだところで二人は体を離しました。

 なんだかホントに浮世絵にしちまいたいような二人なんですけど、いっそ春画にしたらバカ売れ間違いなしですねぇ。

 良庵せんせが荒く乱れた呼吸を整えようとハァハァ言ってる間に、薮井青年がその向かいに腰を下ろします。ちぇっ。

「……い、今のがかんなぎ……?」
「本来ならもっと時を掛けて行うのですが、生憎と時がない故このような手段しか私には思いつきませんでした。申し訳ない」

 良庵せんせにぺこりと頭を下げつつも、あたしに向けても目顔で謝る薮井青年。
 今のがかよく分かっていらっしゃるらしいです。

 甚坊、あの頃のあんたと違ってあんたの孫はなかなか経験豊富みたいだねぇ。


「いま良庵先生の体を通ったのは私の巫。それ単体ではなんの意味も持ちませんが、これを使い熟せなければ野巫の力は得られません」
「逆に言えば、これさえ使えれば……」

「仰る通り。三才図絵のまでは扱える様になります」
「地の部……まで?」

「天の部は無理です。私どころか祖父でさえ扱えぬ……いや読む事さえ叶わぬ代物です」

 そうなんです。
 天の部を扱えるようには、どうやったって普通はなれません。
 アレは巫と、妖魔の力である戟をも併せ持つ者しか使えないのです。

 あたしかい?
 野巫三才図絵を書いたのはこのあたしですよ?

 決まってます。
 あたしはかんなぎげきの両方を使える数少ない存在。
 天の部まで扱える一等凄いの遣い手があたしなんですよ。

 三才図絵を書いたのはあたしですけど、が生きてりゃもちろん二等でしょうけどねぇ。


「心配いりませんよ。地の部が使えれば、そんじょそこらの妖魔なんて何ほどのこともありませんから」

 あたしや姉さん、さらにヨルなんかが『そんじょそこらの妖魔』に当てはまるかは別にして、確かに薮井青年の言う通りだね。

 剣の腕もある良庵せんせが使えりゃ、こないだの三太夫みたいなただの獣の妖魔だったら楽勝ですよ。


「では先ほど流した私の巫、あれを思い浮かべてご自分の巫を感じてみて下さい」
「……僕の巫を……感じる……。え? それってどうやれば……?」

 この薮井青年、教えるのあんまり上手じゃありませんね。良庵せんせよりも五、六個はお若いでしょうしそりゃそうっちゃそうなんですけど。

「すみません。私はそれを言葉で教える知識を持ちません。なんと言っても私は巫の力を感じられるようになるのに……」

 ……勿体つけますね。
 どうせ甚坊と同じ、とか言うんでしょ。

「……三年掛かりましたから」

 ……甚坊よりも掛かりましたか……。
 ま、甚坊の師匠は甚坊じゃなくってあたしですからね。師匠の差ってことにしときましょうか。

「それで、その……言いにくいんですが……一刻(二時間)ほど仮眠しても良いですか? 明日も上方へ向けて歩き詰めなので……」

 今は恐らく草木も眠る丑三つ時。
 夜明けまで二刻あるかないかですからね、そこを半分の一刻と言ったのは逆に薮井青年の誠意の表れでしょうねぇ。



 道場に良庵せんせ一人を残して、布団を敷いておいた客間へ薮井青年を案内します。

 僕が案内しますとせんせは仰ったんですけれど、せっかく吹き込んだ薮井青年のかんなぎの感覚を忘れちまっちゃいけませんからね。


 道場から母屋へ繋がる廊下を行く時、後ろを歩く薮井青年が静かに口を開きました。

、どうしてご自分で教えてあげないんですか?」

、だってしょうがないじゃないか――」

 ――……あっ。

 つい昔の気分で返事しちまったよ。参ったねこりゃ。
 なんとか誤魔化せないものかしら?

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