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40「勘付く良庵」

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 こないだのアレって言うと、お葉ちゃんがこっそり巫戟ふげきを籠めた治癒の呪符のことだね。ずいぶんと前の気がしちゃうけど、先月くらいのことだったかな。

「あぁ治癒の呪符か。それは構わないが、お守りがわりに渡したのは使ったのか?」
「おうよ。俺じゃねえんだがわけえのが怪我した時にな。それがあんまりにも効くもんだから若い衆にも持たせた方が良いってなもんでよ、もう何枚か融通して欲しいのさ」

「そういう事なら良いだろう。大工も怪我しちゃ仕事にならないものな」

 そう言って文机に向かったせんせでしたが、少し首を捻ってどうやら諦めて、地の部が開きっぱなしの野巫三才図絵に手を伸ばしたんだけど、伸ばした手を引っ込め言いました。

「すまん棟梁。この何日か描いてなかったから図柄の細かい所が思い出せない。悪いんだが前に渡した呪符を貸してくれないか」
「なんでぇそんな事か。脅かすなよ、描けねえって言われるかと思ったぜ」

 良庵せんせは図柄の形を覚えるの得意じゃないんだよ。
 借りなくっても人の部を開けば載ってるんだけど、この後でまた地の部に用があるもんね。

 棟梁が御守りの口を開いて、小さく折り畳まれた呪符を取り出し良庵せんせへ。
 受け取ったせんせはかさりかさりとそれを開き、少し笑顔で言いました。

「この頃の僕の野巫も大したものらしい。まだ巫が充分残って――…………こ、これ――」

 あ、いけない。気付いちゃいけない事にせんせが勘付いちゃう。

「これ、僕のかんなぎ……か?」

 そう呟いた良庵せんせは、熊五郎棟梁から借りた以前に描いた治癒の呪符を目をすがめて見たり裏から見たりを繰り返してる。

「カンナギってのが何か知らねえけどよ、間違いなく良庵先生に貰ったやつだぜ?」
「あ、ああ。字や図柄には僕の癖があるからそれは間違いないんだが……この、籠められた巫の力がな……」

 あちゃー。拙いねほんと。
 でもわっちにはどうすることも出来ないもん。見守るだけだね。

「先生が描いたんなら先生の力が籠められてるに決まってるじゃねえか。だって籠めたんだろ?」
「いや、あの時の僕は巫を意識しては使えなかったんだ。だからどう籠めたか全くわからない」

 せんせは籠めてないからね巫。お葉ちゃんもいないこんな時に……ううん、いない時の方が良かったかな?

「なんでぇ分かんねえのか。けど今は上手く使えるんだろ? なら良いじゃねえか」
「……ん、まぁ、そうか、そうだな。当時より効き目もきっとあるだろう。じゃあ描くか」

 ふー、良かった。熊五郎棟梁のお陰であんまり大袈裟なことにならずに済んだみたい。
 もしその呪符に籠められた巫が自分のものじゃないってせんせが気付いちゃったら面倒だもん。


「おいおい良庵先生よぉ! 今度の呪符は凄えじゃねえか! 見ろよこれ、じゃねえの!」

 せんせが新たに描いた呪符を手に取った棟梁がそう言ってはしゃぎます。ここのところせんせが描いた呪符は大抵そんな、図柄が薄ぼんやりと仄白く輝いてるもんね。

 けど、それって甚兵衛が――

「……はっ、違うぞ棟梁! ちょっとそれ貸してくれ!」

 ――そう、甚兵衛は言ってました。
 その輝きはだって。

 二つの呪符を文机に並べて食い入るように見比べた良庵せんせでしたけど――

「やはり違う!」

 ――荒げた声と共にドンっと文机を叩きました。

「ぅおっ――びっくりするじゃねえか! 何が違うってんだよ!」
「こっちの呪符、これに籠められた巫は僕の巫じゃないんだ」

「何言ってんだ。その頃よりカンナギとかいうのが上手くなっただけじゃねえのかよ」

 棟梁の言葉に首を振ってせんせが続けます。

「今の僕の呪符よりなんだ……。断言しても良い、これは僕の巫じゃあない」
「じゃ一体いってえ誰のだって言うんでえ。俺にゃそんな力ねえぞ」

 …………あわわ。
 棟梁の言葉に首を捻って考え込んじゃう良庵せんせ。きっとあの日の――棟梁に呪符を渡した日のことを……。
 あの呪符を手にしたのは良庵せんせ、受け取った熊五郎棟梁、それに、書斎に取りに行った……

 ダ、ダメだってばそんなこと深く考えちゃダメ――

「………………お葉さん……貴女は……」


 お葉ちゃぁぁぁん!
 わっちどうしたら良い?
 これ何かしら絶対バレちゃうよー!?





◇ ◇ ◇

 久しぶりに来たけどさ、昔と違ってなんか活気がないねぇ。

 この黒狐の里、二、三百年前にはもっと子狐がはしゃぎ回ってた気がするんだけど、今朝から里中歩き回って出会ったのは五、六匹ってとこ。

 なんだか里になっちまったねぇ。


 昨日の早朝ヨルにさらわれてここに着いたのが昨夜遅く。
 古い割りには綺麗に片付けられた小さな家を与えられ、二言三言あたしに投げ掛けそのままヨルは出てっちまった。

 何をどうしたいんだアンタはってなもんだけど、そのまま無理矢理にでも、その、なんだい、こ、子作り、させられるもんだと思ってたからさ。
 正直言って気が抜けたっていうか、強張こわ ばってた肩がストンと落ちちまったよ。

 この六尾の妖狐のお葉さんがさ、情けないったらありゃしないよね。
 ぶっちゃけヨルにビビっちまってたってんだからさ。

 でもね、一晩寝ずにあたしも考えた。

 とにかく良庵せんせに累が及ばないこと、それが一等大事だけどヨルにどうこうされるのも真っ平まっぴらごめんさ。

 先ずはここから逃げ出す。
 その上でせんせに累が及ばないようにする、どっちにしたって元の生活には戻れそうにないけど、これっきゃないね。

「……それには先ず、このクソデカい結界なんとかしなきゃだね」

 黒狐の里の一番端っこ、あたしの目の前に薄っすら滲むように見える空気の壁。どうやらこれのせいでしーちゃんたちの事が感じられないらしいね。
 で、こいつにあたしが触ると――

 ばちッ

 ――て音とともに弾かれちまった。

 うーん、どうやらヨルの術らしいね。籠められた戟からヨルの匂いがするよ。里を丸ごと覆う結界、こりゃ相当だねぇ。

 腕組んで顎に片手をやって悩んでみたけどさ、あたしの巫戟であたし自身に結界張りゃあなんとかなるか……? ってなこと考えてると、目の前の滲んだ壁が歪んで一人の男が現れました。


「なんだ葉子じゃないか。元気そうで何よりだ」

 現れたのは髭面の、腹からニュッと女の顔を出した不可思議な姿の大男。

「え? お葉ちゃん? いきなり見つかったの?」

 見慣れた賑やかな感じがホッとしちまうねぇ。

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