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ティー〈第一部〉

〈10〉

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朝陽は素早くスーツに着替えると外に出た。家の鍵をかけていると、後ろに誰かが立っている気配を感じた。
振り返るとティーが立っていた。名古屋城で拾った桜の花をぎゅっと握っている。
朝陽はティーにゆっくりと近づいた。
「警察本部に行ってくるよ。留守番を頼む」
そう言ってティーの横を通り過ぎようとすると、スーツの袖の部分をつかまれた。朝陽は黙って立ち止まる。
「私、話せますから。ちゃんとお話出来ますから」
そう言う彼女の声は震えていた。朝陽は困ったように微笑むとティーの頭に手を乗せた。
「ティー、無理をしなくていい。お前にも後からちゃんと聞くから、話せるようになった時に話してくれればいい」
「急いでいるわけじゃないからな」と朝陽は笑った。
頭から手を離して袖を引く。ティーの指が袖から離れた。
「どうしてですか?」
ティーは泣きそうな顔で朝陽を見て尋ねた。その質問の意味が分からず朝陽はキョトンとする。
「どうして所有車でもない私のためにわざわざ時間を割いてくれるんですか?」
朝陽はじっとティーを見た。そしてニッと笑う。
「お前を“直す”のが俺の仕事だからだよ。だから、手間をかけて申し訳ないとか思わなくていい」
それに、と朝陽は続ける。
「お前ら車は俺達人間が作ったものだからな。また“壊す”のも人間だから、“修理”まできちんと人間が面倒みないとな」
ティーが朝陽を見つめた。その口元はわずかに震えていた。
朝陽はそれを見てまたティーの頭に手を乗せた。
「じゃあ、行ってくる」
そのままぽんぽんと頭を優しく叩くと踵を返した。
「待ってください!」
歩き出そうとする朝陽の袖を今度は両手でつまんで引き留める。
「私も連れて行ってください」
ティーの言葉に朝陽は困り顔を作った。
「お前がいるとやりにくいことがあるんだよ……」
それを聞いてティーが首を振る。
「お仕事の邪魔はしません。車で待っていますから」
「そうするとリオンと二人きりになるぞ?」
朝陽の意地悪な言葉に負けないように、ティーが自分を奮い立たせ頷いた。
「それでもいいです。お願いです、私を一人にしないでください」
懇願するように言われて朝陽は頷く他なかった。

ティーと一緒に歩いてきた朝陽を見てリオンが意外そうな顔をした。そしてロックを解除する。
「一日に二回もおでかけとは、珍しいですね」
「まあな。警察本部に行く」
それを聞いて「何かしたのですか?」と疑い深い視線を向けるリオンに「何もしてないよ」と朝陽が笑ってみせる。
ティーは後部座席に座り、桜の花を強く握っていた。

駐車場に車をとめると朝陽はスーツの上着を脱いでリオンの方に放り投げた。リオンが造作なくそれを受け止める。
「じゃあ行ってくる。そこまで遅くならないとは思うよ」
朝陽はネクタイを整えながら言い、ティーを見て笑みを作った。ティーはこくりと頷いて前を向いた。
リオンもその様子を見てから前を向いた。
なんとなく気まずそうな二人の様子を眺めながら朝陽は扉を閉めた。
(ティーはまず、リオンと打ち解けるところから始めるべきだな)
車が施錠される音がした。朝陽はメモ帳とボールペンがあるか確かめながら本部の入り口に向かった。

交通部交通捜査課の窓口に入ると受付の男性が顔を出した。用件を問われ、どう答えようかと考えていると奥から愛昼が現われた。
「こっちに来てください」
そう言って返事も待たずにさっさと歩き出す愛昼の後ろを追いかける。
朝陽は小さな部屋に案内された。中は殺風景でホワイトボードやパイプイス、机が乱雑に置かれていた。
窓際にスイが立っていて朝陽を見ると会釈をした。
「ここに座って」
愛昼が朝陽を端においてあった机に誘導する。それの周りに四つのパイプイスと仕切りがおいてあったので、朝陽は子供の頃の学校の面談を自然と思い出した。
朝陽の目の前に愛昼が座り、その隣にスイが腰掛ける。端から見るとまるで朝陽が取り調べでも受けているようだ。
「へえ、警官二人が目の前に並ぶと意外と圧倒されるもんだな」
冷やかすように言う朝陽を無視して愛昼が口を開く。
「ティーに何があったかを知りたいのよね?」
愛昼の真面目な顔に朝陽も心を入れかえ仕事モードに入る。背もたれから背中を離し、前のめりになった。
「ああ。話せるところまででいい。何があったかをとりあえず知りたいんだ」
愛昼は朝陽の顔を見ながら頷いた。
「分かったわ。じゃあ話すから聞いてちょうだい」
愛昼はひと呼吸してから話し始めた。
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