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ティー〈第一部〉

〈9〉

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「……あの」
愛昼達の姿が見えなくなったときにティーが小さな声で尋ねた。
「私のことで聞きたいことってなんですか?」
ティーに言いにくいことを尋ねられて朝陽が頬を掻く。
「一応、俺はお前を“直す”のを仕事にしているからな。そして“直す”には心に植え付けられているトラウマを克服するための方法を見つけなければいけない。そのために、お前の過去に何があったのかを知らなければならない」
ティーがそれを聞いてうつむいた。足取りが重くなる。
朝陽がティーの気が軽くなるよう笑ってみせる。
「でも、自分の口から話したくないこともあるだろう。だから第三者を頼るんだ。リオンの時も最初はあいつの口からではなく、前の持ち主の両親から教えて貰った」
ティーはそれを聞いて今度は顔をあげた。驚いたような顔をしている。
「リオンさんも、何かあったのですか?」
朝陽は頷く。
「まあな。詳しくはあいつから聞け。俺からペラペラ話すのもよくないしな」
朝陽の言葉を聞きながらティーは目を伏せた。彼女の指の間で茎をつままれた桜の花がくるくると回る。
「……そうだったんですか」
少し経ってからぽつりとティーが小さな声で呟いた。その声は風でかき消され朝陽の耳には届かなかった。

リオンは二人が戻ってきたのを見つけてロックを解除した。
朝陽が後ろに回りレジャーシートをトランクに押し込む。
「それ、砂払いました?」とリオンが露骨に嫌な顔をして尋ねた。
「一回も使ってないから安心しろ」
神経質な車だな、と朝陽は心の中で呟く。
ティーを後部座席に座らせたあと、朝陽は運転席に乗り込んだ。水筒の蓋を開けコーヒーを飲む。
「どうでしたか?」とリオンが尋ねる。
「すごく綺麗だったよ。いいもの見られた、って感じだ」
そうですか、と言いながら今度は後部座席にちょこんと座っているティーの方を見た。
ティーは自分の指の間でくるくる回っている桜の花を見つめていた。リオンはその様子を見た後顔を前に向けた。
「もう自宅に帰りますか?」
「ああ」
リオンが目的地を設定するまでの間、朝陽は頬杖をつき駐車場に戻ってくる観光客を眺めていた。

朝陽がのんびり家でくつろいでいたとき、携帯電話が鳴った。すばやく通話ボタンを押し耳に当てる。
「関です」
携帯電話の向こうから凛とした女性の声が流れてきた。
「凪愛昼です」
朝陽はほっとした。そして携帯電話を肩とあごではさみ、メモ帳を取り出す。
「電話してくれて助かった。ありがとう」
「ティーについて聞きたいことって何?」
せかすように聞く愛昼に苦笑しながら朝陽が先を続ける。
「まず俺の紹介をさせてくれ。俺は『車なんでも相談所』というのをやっている。仕事内容は車の心のケア。工具では直せない部分を対話を通して“直す”のが俺の仕事だ」
愛昼が誰かに話しかけたのが聞こえた。そして、暫く経って今度は男の声で何か言うのが聞こえた。恐らくスイだろう、と朝陽は推測する。
「……なるほど。『車なんでも相談所』は本当にあるようね」
「おいおい、信じてなかったのか?」
あきれたように言うと「もちろん」と冷たく返された。朝陽はため息をつく。
「はあ。……まあ、それで今回はティーを中古で買った女性に頼まれて“修理”をすることになったんだが」
朝陽は愛昼に会うまでの経緯を話して聞かせた。愛昼は黙って朝陽の話を聞いていた。
「……そう。そんなことが……」
全て聞き終わったあと、愛昼は驚いたようにそう言った。そして黙り込む。
「まあ、なんらかの出来事が原因で車が心を病むのはおかしなことじゃない。とりあえず俺は、あいつの“修理”のために過去に何があったか知りたいんだ。多分交通事故かなんかだろう?交通捜査課のあんたなら知ってるんじゃないかと思ってな」
「……」
愛昼は黙っていた。何かのせいで彼女は話すのを拒んでいるようだった。朝陽が畳みかける。
「このままだとあいつは一生道路を走れなくなってしまう。それでいいのか?」
渋って何も言わない愛昼の代わりに、スイが答えた。
「ねえ、愛昼。話してあげましょうよ。あの事件はもうすっかりニュース沙汰になっていたんですから、今更隠すこともないじゃないですか」
「でも、あれはとても痛ましい事故だったのよ。掘り返して何回も話をするようなものじゃないわ」
そう言って躊躇している愛昼にスイが優しい声で話しかけた。
「愛昼、ティーのためですよ。それに言い方は悪いですけど、あの事件のおかげで俺と愛昼は出会えたわけじゃないですか。あれが無かったら、俺は今頃自分で自分をぶっ壊してましたよ」
「あれは俺にとって、自分のやるべき事を見つけることができた大切な出来事だったのです」とスイは続けた。
朝陽は黙って様子を探っていた。しばらく小さな声で言い合いが続いていたが、次に聞こえた言葉は愛昼の覚悟を決めた言葉だった。
「分かったわ。あなた、これから何か用事でもある?」
「いいや」と朝陽が首を振る。
「それなら五時に警察本部の交通部交通捜査課に来てちょうだい。そこで事件についてあらかた話すから」
「分かった」と朝陽は答えた。そして電話を切ると立ち上がった。
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