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ファイ

〈3〉

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「あ、リオンさん」
階段を降りていく途中でリオンを見つけてティーが足を止めた。リオンはようやく見つけたとほっとすると共に、朝陽の姿が見当たらないことに怪訝な顔をする。
「ティー。朝陽はどこですか?」
ティーはフードコートの方を指さすと
「お仕事をするみたいで、雨音さんという方とお話をされています」
ティーの言葉にリオンが首をかしげる。
「ここまで来て仕事ですか」
「はい。どうやら、その方の車が変な挙動をするそうなんです」
ティーがリオンの隣に並んで歩きながら言う。会った当初に比べると、ティーは大分気後れせずにリオンと話せるようになっていた。
「変な挙動、ですか。それで、朝陽はその車を“直す”ためにその方と話をしているのですね」
こくりとティーが頷く。朝陽と離れることになって、ティーは少し寂しそうであった。しかし、それを顔に出さないよう、つとめて明るい声で続ける。
「今回の車はトラックだそうですよ」
ティーの言葉にリオンの頭には先ほどの男の姿が思い出される。
(さっきの彼は自分がトラックの人型だと言っていたが……まさか)
急に黙り込んだリオンの顔を、不思議に思ってティーが覗き込む。リオンは話を変えようとデッキの方を指さした。
「そういえば、あそこから琵琶湖が見えるのですよ。あなたも見に行きませんか」
その言葉にティーが目を輝かせる。
「琵琶湖ですか?ぜひ、行きたいです!」
そう言って嬉しそうにリオンの方に振り返ると、彼の手を握った。
「行きましょう、リオンさん!」
いきなり手を握られたことに驚いたリオンを気にせず、ティーがデッキの方に向って歩き出す。リオンは目を白黒させながらもティーについて行った。
昼に近くなってきたからか、デッキにいる人の数が先ほどより増えていた。ティーと隣に並び、リオンは今日二回目の琵琶湖を見る。
上半身を乗り出して湖を見ているティーを眺めながら、リオンは(彼女も大分明るくなったものだ)と考えていた。
こんなキラキラした顔をしているのは水族館でイルカショーを見たとき以来だろうか。
(ティーがこんなに笑顔を見せられるようになったのも朝陽のおかげだな)
そう思いながらティーの横顔を眺めていると、ぽんと肩を叩かれた。
朝陽だろうかと思って振り返ると、そこには先ほどリオンに声をかけてきた男が立っていた。男は驚いた顔のリオンを見るとふっと笑った。
「なんだ、まだいたんだな。そんなに琵琶湖を見るのは面白いか?」
そう馬鹿にするように言う男にリオンが「……ええ」と眉をひそめながら答える。
いつの間にかティーも男の方を振り返っており、男と目が合うとびくりと体を震わせた。据わった目をしている男だ。きっとティーにとって怖い相手なのだろう。
彼はティーのことをちらりと見ると
「なんだ、こいつも車か。お前の知り合いか?」と尋ねた。
「ええ。所有者が同じ人間ですから」
そう言うと男が「ふん」と鼻を鳴らした。
「二台も所有していて、どちらも人型になれるのか。……お前の運転手はよほど運転が下手だと見える」
そう馬鹿にしたように言われてリオンはムッとした。
「あなたに朝陽の何が分かると言うのですか?朝陽の運転はとても心地よいものです。決して下手ではありません」
ティーも賛成するようにコクコクと頷く。二人の必死な擁護を見て、男が少し興味を持ったような顔をする。
「ふうん?でも、お前らが人型になっているということは、そいつの運転に何か思うことがあってのことだろ?話によれば、車が人型になるときには自我ってもんが必要らしいからな」
そう言う男を見てリオンが驚いた顔をした。
「あなた、その話を誰に聞いたのですか?」
「さあな?忘れちまったよ」
そうとぼけたように言う男をリオンはじっとにらみつける。リオンはこの男から、以前遊園地で会ったあのタクシーと同じ雰囲気を感じ取った。
思わず身構えたリオンの隣で、ティーが恐る恐るといったように口を開いた。
「あ、あの、もしかして、雨音さんの所有車の方ですか?」
ティーが尋ねると男が怪訝な顔をした。
「あ?……ああ、そういやあの女、そんな名前だったかな」
運転手を邪険に扱う男にリオンとティーが不思議そうな顔をする。
「『だったかな』なんて……。あなたの運転手さんなんでしょう?どうして名前を覚えていないんですか?」
そう責めるように言うと、男がぎろりとティーをにらんだ。元々目つきが悪いのがさらに鋭くなり、ティーはびくりとするとリオンにしがみついた。
「俺の運転手はただ一人、由香里だけだ。それ以外のやつは運転手だなんて認めていない」
そう断言した男にリオンとティーは驚いたような顔をした。
「……あなたも運転手を亡くしたのですね」
リオンの言葉に「まあな」とその男、ファイが頷く。
「運転手が居眠りしていたトラックにぶつかられてな。……衝撃だったよ。さっきまであんなに楽しそうに笑っていた由香里が、一瞬で動かなくなっちまったんだからな」
ファイはまるで昔見た映画のワンシーンを話すかのように客観的に事故の光景を語った。そのように話せるようになるまで何年の時間が必要だったのだろうとリオンは彼を見ながら考えた。
「……でも、今は雨音さんという新しい運転手さんがいるじゃないですか。どうして雨音さんのことを運転手として認めないんですか?」
ティーが尋ねるとファイが二人の目を見つめて、心を見透かしたように笑った。
「お前らだって、なんだかんだ前の運転手のことが忘れられないだろ?」
ファイに言われ、リオンとティーは目を見開いた。それぞれの頭にはかつての相棒の姿が浮かんでいた。
「どれだけ次の運転手がいい運転手だろうと、一番最初の運転手には勝てやしない。お前らだって、今も前の運転手に会いたいと思っているはずだ。違うか?」
俯いた二人の顔を覗き込むようにしてファイが尋ねる。
「た、確かに、雅人さんにまた会えるのなら、そんなに嬉しいことはありません。でも、今、私は朝陽さんのことが一番好きなんです。だから、朝陽さんが私の所有者になってくれてよかったと心から思っています」
ファイはそう言い切ったティーを何か面白い物を見るように眺めたあと、
「ふうん。でも、そっちのお坊ちゃんはそうは思っていないみたいだぜ」とリオンの方をちらりと見た。
ティーが心配そうにリオンを見る。リオンはうつむき、地面を眺めていた。
朝陽のことは勿論好きだし、運転手であると認めている。しかし、今もなお時々頭によぎる奏汰のことを、リオンは忘れられそうになかった。
ファイはそんなリオンを薄い笑みを浮かべて見つめたあと、口を開いた。
「なあ、お前ら、せっかく人型になっているんだから、自動車学校に行って運転免許を取得したらどうだ?車でも運転免許をとれる自動車学校を俺が紹介してやるからよ」
「え……?」
ティーが驚いたように顔を上げた。リオンもゆっくりと顔をあげ、ファイを見る。
「まあ、今の運転手が嫌いだろうと好きだろうと、馬鹿な人間のせいでまた事故に巻き込まれるのはごめんだろ?そうならないように、これからは車が自分で運転をするんだ」
「車が自分で運転?どういうことですか?」とティーが新しい概念に混乱し、不安そうに聞き返す。
「そのままの意味だよ。車が自分で自分の体を動かせるようになったら、事故なんて絶対に起きなくなる。そうすればこれ以上事故に巻き込まれることはなくなるってわけさ」
ファイが言葉を言い終えるや否や、「あなたもあのタクシーから聞いたのですか?」とリオンが尋ねた。
「あのタクシー?」とファイが怪訝な顔をする。それから合点がいったような顔をした。
「……ああ、シロのことか。違えよ、俺はエルからその話を聞いたんだ」
聞いたことのない名前にリオンが首をひねった。シロというらしいタクシーはあのとき、“同志”がいると話していたが、そのうちの一台がエルという名前らしい。
「なんだ、お前は□□自動車学校のことを知っているのか」
「ええ。以前一回その、シロ……?というタクシーに聞いたことがありまして」
リオンは話についていけていないティーを横目にファイに尋ねる。
「あなたはあの自動車学校に通っているのですか?」
「まあな」とファイが頷く。
「なかなか運転ってのは奥深いもんだ。他の車を操作するのも面白いしな」
そう言うファイにリオンはさらに問いかけた。
「あなたたちは本気でいつか全ての車が運転免許をとって運転出来るようになると考えているのですか?」
リオンの言葉にファイが頷いた。
「ああ、もちろんだ。そうなるように計画しているんだからな。そのために今エルやシロ達は運転免許をとるよう車たちに勧めている。大分仲間が増えてきたんだぜ」
ファイの言葉にリオンは考え込んだ。
全ての車が運転免許をとったなら、人間が車を運転することはなくなる。そうすれば、横着いドライバーによる事故はなくなる。そうすれば。
(これ以上運転手を失う車がなくなる)
自分のことを救ってくれた朝陽のことも含めて、それは素晴らしいことだった。
「リオンさん……」
ふと顔を上げればティーが不安そうな顔でリオンのことを見つめていた。
「大丈夫ですか?すごく怖い顔をしていますよ」
そう気遣うように言われてリオンははっとすると、「すみません」と顔を隠すようにそっぽを向いた。ファイはその様子を眺めたあと、
「今度、“集まり”に連れて行ってやるよ。実際にエル達と話したほうがいいだろうしな」と言った。
ファイがリオン達のほうに近づいてくる。ティーはびくりとするとリオンの腕をぎゅっと抱きしめた。
「□□自動車学校には来られるか?」
「……ええ」
リオンが頷くとファイは満足そうに笑い、
「じゃあ、そこで落ち合おう。日にちは、そうだな……」
そこまで言ってファイが考え込んだとき、後ろから
「リオン、ティー」と朝陽の声がした。
はっとしてリオンとティーが顔を上げる。朝陽がこちらに向かって手を振っているのが見えた。
「あいつがお前らの所有者か」
ファイが朝陽をちらりと見る。リオンが頷くのを見ると、ファイが二人の耳元でささやいた。
「いいか、車が運転免許をとろうとしていることはお前の所有者に絶対に言うなよ。分かったな」
早口でファイが言うのと同時に朝陽がファイの後ろに立った。
「なんだ、二人して琵琶湖を見ていたのか」
そう話しかけられ「ええ」とリオンがどぎまぎしながら答える。
笑みを作っていた朝陽の目がファイに向けられた。そして少しの間ファイを見つめたあと、
「……お前が雨音さんの言っていた、ファイだな」と言った。
「ファイ?……ああ、あの女が何か言っていたな」
興味なさげにファイが言う。朝陽の後ろからついてきていた雨音が目を丸くした。
「え?朝陽さん、今この人がファイって……」
驚いたような顔をする雨音の方に朝陽が振り返った。
「……少し難解な話になるのですが、一部の車はこのように人の形になって出てこられるのです。そこにいる青色の髪の青年と黒髪の女性はどちらも私の所有車の人型でして。……そして、ここにいる銀髪の青年が、ファイなんです」
雨音はぽかんとして朝陽の話を聞いていたが、くらりと目眩がしたように額を抑えた。
「大丈夫ですか!?」
慌てたように朝陽が雨音の体を支える。雨音は朝陽を見て恥ずかしそうに笑った。
「あはは、すみません。今一瞬気が遠くなってしまって……」
そう言う雨音を申し訳なさそうに見ながら朝陽が続けた。
「無理に全てを理解しなくても結構です。とにかく、ファイの挙動を直すには彼と話すしかありません。それだけは分かってください」
そう言って、雨音がきちんと立てることを確認した後、朝陽は手を離した。そしてファイの方に向き直った。
「既に人型で出てきているとはな。リオンとティーを見て人型になることを思いついたのか?」
ファイがそっぽを向き、鼻で笑う。
「はっ、違えよ」
まるで教師が不良の生徒を注意している時のように、朝陽はファイを見つめて腕を組んだ。
「まあ、とにかくお前と話がしたい。ここで話すのもなんだ。お前の中を借りても良いか?」
「別に構わないが、俺はお前と話すことなんてないぜ」とファイが素っ気なく言う。
「俺がお前に話したいことがあるんだ」
朝陽はそう言ってから雨音の方に振り返ると
「ファイの中をお借りしてもよろしいでしょうか」と雨音に了承を求めた。
「は、はい」と雨音が頷く。
朝陽はお礼を述べると、今度はリオン達のほうに振り返った。
「ちょっと仕事に行ってくるよ。それまで自由にしていていいぞ。……分かっているとは思うが、ここのサービスエリアからは出ないように。いいな?」
「分かっています」とリオンが頷いた。ティーもちらりとファイを見てから頷く。
それを見届けて朝陽は再び雨音とファイの方を向いた。
「それじゃあ、行きましょうか」
ファイが何も言わずさっさと車の方に向かって歩き出す。その後を雨音と朝陽が続いた。
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