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縊上先生の秘密

縊上先生の秘密 その1

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「……惰中たなか、これはどう?」
縊上いのうえに差し出されたノートを受け取り、パラパラと目を通す。
「あー……。さっきよりはいいんじゃねえの?」
「そう?それなら良かった!じゃあこっちは?」
そう言って、琥珀色の瞳をキラキラさせているのは教師仲間の縊上だ。橙色で表紙に大きく『嶽橋たかはし受け』と書かれたノートを俺に見て見てと押し付けてくる。
俺は眉間にシワを寄せる。
「あー、どうせそれも同じ感じで襲ってヤって終わりなんだろ?ただ攻めるヤツが違うだけで」
「そういう言い方しないで!行為までの導入部分とか、恋愛感情があるかないかとか、上司か部下かとかで違うんだよ!特に鈴鬼すずきと嶽橋は甘々なの!」
どっちみちまぐわうんだから俺には同じにしか見えないんだが。
今、俺、物理教師の惰中は、同僚の英語教師、縊上の"秘密のノート"を見て、そこに書かれた小説の批評をしている最中だった。
秘密のノート。簡単に言うと、こいつの書いたBL小説ノート。
……なんでこんなことになったかって? ことの発端は少し前に遡る。


俺は教師の仕事を終えて、いつものように教師寮に戻ってきていた。教師寮は学校からかなり近い。そのお陰で朝弱い俺は大変助かっている。
仕事も終わったし、さっさと自室に帰って寝ようかと思った矢先に、廊下で現代文教師の畏藤いとうと会った。そこで俺は、彼女に頼まれて、縊上が忘れた英語の教科書を届けることになった。
畏藤や縊上を含めた数人は、まったく同じ時期に新任としてこの学校に来たから、お互い仲はいい。ただ、その中でも縊上は、職員室にいてもほとんど顔を合わせない。垂れ目で、いつも自信なさげにおどおどしているあいつは、多分俺のことが苦手なんだと思う。
畏藤が行けばいいのに、とは思うが、頼まれたからには仕方ない。そう思いながら縊上のところに向かう。
扉の前に立ってコンコンとノックする。声をかけたが返事が返ってこない。
(まだ帰ってきてないのか?)
なんとなくドアノブに手をかけて押せば、扉がゆっくりと開いた。
(なんだよ、鍵かかってないじゃねえか)
不用心だな、と思いつつ扉をそっと開けて室内に入る。
他人の部屋に勝手に入るのは云々と小言を言われそうだが、ここの教師たちとは随分と長い時間一緒にいる。もはや校長を父親、教頭を母親とした家族みたいなもんだ。だから、他人という意識はお互いほぼ無いに等しい。
縊上の部屋に来てすぐに目に入ったのは、本棚にぎっしりと並べられた色とりどりの英語の辞書だ。まるで鈍器になりそうなほど太い辞書にどれだけの単語が書かれているかと思うと、英語アレルギーの俺はめまいがする。
縊上の姿を探す。しかし見当たらない。
本棚を左手に通りすぎて、奥の部屋につながる扉に向かう。こっちの部屋にいるのかもしれない。
扉を開けてそっと中を伺うと、ようやく見つけた縊上が机に向かって何かをしているのが見えた。手の動きからして、何かを書いているようだ。やけに真剣なようで、前のめりになっている。
俺は部屋に一歩踏み込んで縊上の部屋を見回した。
縊上はあまりこの部屋に人を入れたがらないから、こんな風にゆっくりあちこちを見られるのは初めてだ。
俺の部屋とは違いすっきりした壁紙、カーテン、きれいに整えられたベッド……。
俺は一通り部屋を見回した後、縊上を見た。まだ縊上は机に向かっていた。
(俺が来たことに気づいてないのか……?)
縊上はおっとりしているように見えて、意外と敏感だ。普通、誰か人が入ってきたら気配で気づく筈なのに、今は俺を振り返ることもなければ勝手に部屋に入ったことを怒るわけでもない。それだけ書くことに集中しているようだ。
「……」
縊上の小柄な背中を見て、俺の頭に悪い考えが浮かんだ。
少しおどかしてやろうか。
俺は一人ほくそ笑むと、足音を立てないようにそっと縊上に後ろから近づいた。
段々縊上の背中が近くなってくる。と同時に、縊上が書いているものも少しずつ見えてきた。
すぐ後ろに立って上から覗きこむ。ここまで来て気づかないとか、どんだけ集中してるんだよ、こいつ。
縊上は、横書きに文章を書いているようだった。それも、一行や二行でない、長い文章。
(なにを書いてるんだ?)
俺は縊上を驚かすことも忘れて文章を上から軽く読み飛ばして見ていたが、その中に自分の名前があるのを見つけて、思わず目を止めた。
(……?)
よく見たら同僚の腸辺わたなべの名前もある。
腸辺は、地理の教師だ。長い金髪を後ろで一つに結い上げている。一見、教師には見えないし、実際、俺も初めてあったとき、どこかのヤンキーが職員室に紛れ込んできたのではないかと思ったくらいだ。だが、蓋を開ければ、腸辺は、関西弁を話す陽気なやつだった。金髪なのも、家訓でしかたなく、ということらしい。いつも明るいから、ムードメーカーとして教師たちから好かれている。でもって、ちょっと悪餓鬼っぽいところが俺と気が合うから、公私ともにつるんでいる。
そんな腸辺と俺の何を書いているんだろう、と思ってしっかりと文章を読み直して絶句した。
『あ、あッ……。やめろぉ、わたなべっ……』
『ん、たなか、気持ちええんか?めっちゃやらしい顔しとるで?』
『……っぅ、そこでしゃべんなッ……あ……』
……どうみても俺と腸辺がエッチしてるとしか思えない描写。
……いや、待て、なんだこれ。
ん?これ、俺と腸辺だよな?まさか同姓同名、とかじゃないよな?
そう思いたかったが、俺らの苗字の漢字は他の人と比べてちょっと変わっている。これは俺らのことで間違いないだろう。
俺が呆気にとられて見ていると、その視線に気づいたのだろう、やっと縊上が顔をあげた。
俺と目が合うと、気の弱そうな琥珀の瞳をぱちぱちと瞬かせた。
……そして、一秒もたたないうちにその顔が真っ赤になった。
「た、惰中!?」とかなんとか言って腕をばたばたさせて、そのノートを体全体で隠そうとする。
その拍子に縊上の肘があたり、机の端に積んであったノートがバサバサと落下した。
尋常じゃないほど慌てる縊上を横目に、俺は落ちたノートを拾い上げる。
緑色のノートには、『腸辺受け』と書いてあり、紫色のノートには『鈴鬼受け』と書いてある。 
他にも様々な色のノートがあり、それぞれに教師の名前が書いてあった。
「おい、これ……」
俺がノートの束を抱えたまま縊上の方をみると、縊上がさっきまで座っていた椅子の陰に隠れてブルブルと震えているのが見えた。琥珀色の瞳にはうっすら涙が溜まっていて、いつもは陶器のように白い肌が、今は林檎のように赤く染まってしまっている。
俺は見たことのない縊上の様子に戸惑った。先程までの『おどかしてやろう』と思う気持ちはどこへやら、出来るだけ冷静を装い、ゆっくりと話しかける。
「おい縊上。これはなんだ?」
縊上は答えない。下を向いてうつむいたままだ。どうやら、瞳に涙をためているようにも見える。
なかなか答えようとしない縊上に焦れて、俺はノートの束の一番上にあった『穢川あいかわ受け』と書かれたノートを開いた。
「み、見ちゃダメ!」
縊上がものすごい勢いで俺の手からノートの束を引ったくる。速すぎて見えなかった。こいつこんなに速く動けるのか。いつもわりとおどおどしてるくせに。
ノートを胸に固く抱いて俺に背中を向ける。どうやらこれらについて教えてくれる気は全くないらしい。仕方ねえな、と俺はため息をつくと、最終手段に出た。
俺が最初に見たノート。縊上が隠しきれずに机の下に落ちている。
そのノートは水色で、表紙には『惰中受け』と書いてある。
拾い上げると、ページを繰る。そしてさっきのページにたどり着くと、
「『おいっ、腸辺、どこ触ってんだてめえ……』」
「!?」
俺の声に驚いた縊上が、こちらをものすごい勢いで振り返る。縊上と目が合うと、俺はにやりと笑った。
「どうだ?本人の音声つきは?」
「う……あ……、惰中……」
顔を真っ赤にしてパクパクと口を動かす。ダメダメと弱々しく首を振るが、その様子は俺の加虐心を煽るだけ。
俺はまたノートに目を落とすとまた音読を始めた。しかも、できるだけエロい感じで。
「『ッ、あ……もっとそこ、触ってくれ……』」
「っ、あ、返して!」
縊上が素早い動作で俺からノートを取り上げようとする。けど、さっきのようにうまくいくと思ったら大間違いだ。
俺はすばやくノートを閉じると、つかみかかってくる縊上の腕を片手で掴んだ。縊上は、必死にその手を振りほどこうとするが、俺よりも身長が低く、力の弱い縊上が勝てるわけもなく。
ノートを脇にはさみ、首元のネクタイを素早く取ると縊上の両手を後ろに回し縛りあげた。縊上は少し抵抗はしたものの、諦めたようで大人しくなった。
「さてと……」
縊上の前に『惰中受け』ノートをちらつかせる。
それを見て縊上が俯く。いつもより弱々しく見える縊上の態度に俺は気分が高揚するのを感じた。
「何をやってたのか、教えてもらおうじゃねえか」
そう低い声で尋ねると、縊上の体がブルブルと震えだしたのが分かった。
「ご……め……さい……」
「あ?何言ったかわかんねえよ」
「ひッ、……ごめんなさ……い」
こっちを潤んだ瞳で見つめてくる縊上。俺がネクタイを締め上げると、その顔は苦痛に歪んだ。
「俺の質問に答えろ。何してたんだよ」
縊上はまた俯く。そして、おずおずと口を開く。
「び、BL小説、書いてました……。き、教師同士の……」
やっと言ったか。俺は満足で口角を吊り上げると、ネクタイをほどいた。
縊上にノートを投げてよこす。そしてそのまま帰ろうとすると、
「ま、待って!」と腕を捕まれた。
「あ?なんだよ」
縊上が泣きそうな顔で俺を見ていた。
「お、ねがい……。このこと、誰にも言わないで……」
そうすがる瞳で懇願する。
瞳に溜まった涙が溢れそうだ。
さすがに虐めすぎたか。少しやり過ぎたな、と反省する。
しかしもっと泣かせてみたい、とも思う。
俺はチッと舌打ちすると、縊上の手を乱暴に振りほどいた。 
「惰中……?」と恐る恐る俺の顔を伺ってくる。おい上目遣いやめろ。
「仕方ねえな……感謝しろよ?」
俺がそういうと縊上はほっとした顔をして頷いた。
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