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「ねえねえ、アオイ先生!今日肝試しに行かない?」
そう隣の席のナツメに声をかけられたのは、アオイがこの学校に新任の現代文教師としてやってきて一ヶ月が経とうとしている頃だった。
「き、肝試し、ですか?」
そうナツメに言われた言葉を反芻する。まさか、さっきまで英単語のテストを真剣な顔で採点していた彼女の口からそんな言葉が出るなんて思ってもみなかったからだ。
「そう!肝試し!」と彼女はいつになく楽しそうだ。
「この学校に夜まで残って、肝試しをするの!夜の学校って怖いし、どう?面白そうじゃない?」
ナツメの言葉にアオイが首をひねった。怖いものが得意かと聞かれればそうとは言えないが、かといって苦手なわけでもない。しかし、せっかく仲の良い先輩に誘われのだ。誘いを断るわけにはいかない。
アオイは目の前にいる人懐っこい先輩を見る。ナツメはアオイがこの学校に来てからとてもよくしてくれている先輩教師だった。誰とでも愛想良く話せて、面倒見がいい。緊張でガチガチだったアオイがいろいろな教師と話せるようになったのはひとえにナツメのおかげだと言っても過言ではない。
アオイは、夜の学校で肝試しをするということへの興味と、先輩への敬意を込めてその提案に頷くことにした。
「良いですね。行きましょう」
そう言うとナツメがぱっと顔を輝かせた。自分よりも少し年上であるものの、子供っぽく愛らしい彼女のことをアオイは好いていた。
「じゃあ、今日は職員室に残っててね!」
提案が通って嬉しそうなナツメを見ながら頷く。そのとき、チャイムが鳴った。
「あ、予鈴だ。もう教室行かないとね」
そう行って英語の教科書を手に取るナツメに習ってアオイも教科書を持つ。見慣れた生成り色の教科書が手になじんで、自分が大分この学校に慣れてきたような気がしていた。
「じゃあアオイ先生、途中まで一緒に行こうか」
そう言ってナツメが隣に並ぶ。職員室から教室まで行く途中のナツメと話すこの時間も、アオイは気に入っていた。
職員室から廊下に出る扉の方に向かってナツメと一緒に歩いていたとき、不意にその扉から誰かが中に入ってきた。
急に現れたため立ち止まれず、アオイがその誰かにぶつかる。
「す、すみません!」
そう言って謝り、その人物の顔を見る。髪がぞろぞろと長く、目つきの悪いその男性は、アオイを見下ろして口を開いた。
「……別にいいよ」
そう素っ気なく言うと、そのまま歩いて行ってしまった。
「アオイ先生、ツカサ先生にぶつかっちゃうなんて、ついてないね」
ツカサと呼ばれたその教師が見えなくなってしまってから、ナツメがそう小声で言う。
学校でも浮いた存在のツカサは生物の教師だった。彼の暗い容姿と人と積極的に話そうとしない性格から、『教師達からは何を考えているか分からず不気味に思われ敬遠されている』とかつてナツメに教えてもらった。誰も彼のことを詳しく知らないことから『裏で人体実験でもやっているのではないか』と面白半分で言う教師もおり、彼については真偽不明な良くない噂が飛び交っていた。
しかし、アオイはそんな噂に興味がなかった。噂は噂だ。人が勝手に言っているだけで、本人に確かめるまではそれが真実だとはとても思えなかったし、適当な噂で盛り上がるのも好きではなかった。
それに、アオイは決して彼のことが怖くなかった。一度、彼が教卓に置いていった忘れ物を届けに生物室に行ったとき、彼は飼っている金魚に餌をあげていた。金魚を見つめている彼の顔は非常に優しく穏やかなものであった。
届けにいったついでに話してかけてみたが、彼は人見知りなだけで本当は気さくな人だと分かった。それ以来、アオイはツカサに会うたびにちょくちょく話しかけていた。彼があまり人前で話しかけられることを望まなかったので、朝や放課後のような人がいない時間しか話すことは出来なかったけれど。
ナツメがアオイに話しかける。
「ツカサ先生はちょっと変わってるから、あんまり近寄らない方がいいよ」
そう言うと近くで話を聞いていた化学教師が笑いながら口を挟んできた。
「何?ツカサの話?……そうそう、あいつ奇人だから関わらない方がいいぞ?あの事件にも関わってるんじゃないかって噂もあるし」
「ちょっと!その話はやめて!」
化学教師の言葉にナツメが血相を変えて怒る。
アオイが不思議そうに声をはりあげたナツメを見る。ナツメににらまれた化学教師は何か言ってはいけないことを言ってしまったかのように慌てて口をふさぐと、そそくさとどこかに行ってしまった。
「あの、ナツメ先生……」
暗い顔をして俯いたナツメが心配になって声をかける。ナツメははっとしたような顔をするとアオイの方に振り返った。
「なんでもない!ごめんね、変なこと言って」
そう明るく笑って見せるナツメをアオイは探るように見つめた。
『あの事件』。たまにそのことを話している教師を見かけるが、いざアオイが聞いてみると皆口を閉ざしてしまう。断片化された人の話を自分で組み立ててみたところ、ちょうど一年前にある教師が屋上から飛び降り自殺をしたということだったが、何故それが事件と呼ばれているのかはよく分からなかった。聞いてみたいが、誰もが嫌がり語ろうとしないので、アオイも遠慮して聞けずにいた。
「ほら、アオイ先生!早く行こう。授業始まっちゃうよ」
そうナツメにせかされはっとする。腕時計を見れば授業が始まるまで二分しかなかった。
慌ててナツメと共に歩き出す。教室の前の廊下を歩いていると、生徒の人だかりが目に入った。ちらりとそちらに目をやれば、数人の女子生徒たちが一人の教師を取り囲んでいた。
「またヒジリ先生だよ。相変わらず取り巻きがすごいねえ」
ナツメが感心したように遠巻きに集団を見ながら言う。
取り囲まれているのは数学教師のヒジリだった。彼は真面目で少々堅物すぎるところがあるものの、顔と頭の良さから女子生徒と女性教員のどちらからも好かれていた。今日も、数学の問題で分からないところを聞きに来たという名目のもとヒジリを拝みに来た生徒相手に、彼は冷静に応対していた。
「ヒジリ先生、モテるのは勝手ですけど授業遅れないでくださいね」
そうナツメが茶々を入れる。彼が顔をあげ、アオイたちを見た。目が合い、アオイはぺこりと頭を下げる。
「ええ。いますぐに行きます」
そう言ってしなだれる女子生徒たちに声をかけながら、彼女たちと一緒にゆっくりと教室の方に向かって歩き出した。
しばらく廊下を歩いてナツメが足を止めた。どうやら彼女が授業をする教室についたようだ。
「じゃあ、アオイ先生。今日の夜、楽しみにしているからね」
扉の前に立ってナツメがそう言ってウィンクをした。
「はい。こちらこそ楽しみにしてます」
そう言ってにっこりと笑い頭を下げる。そして、教室に入っていくナツメを見送ってから担当の教室に向かって早歩きで歩き始めた。
そう隣の席のナツメに声をかけられたのは、アオイがこの学校に新任の現代文教師としてやってきて一ヶ月が経とうとしている頃だった。
「き、肝試し、ですか?」
そうナツメに言われた言葉を反芻する。まさか、さっきまで英単語のテストを真剣な顔で採点していた彼女の口からそんな言葉が出るなんて思ってもみなかったからだ。
「そう!肝試し!」と彼女はいつになく楽しそうだ。
「この学校に夜まで残って、肝試しをするの!夜の学校って怖いし、どう?面白そうじゃない?」
ナツメの言葉にアオイが首をひねった。怖いものが得意かと聞かれればそうとは言えないが、かといって苦手なわけでもない。しかし、せっかく仲の良い先輩に誘われのだ。誘いを断るわけにはいかない。
アオイは目の前にいる人懐っこい先輩を見る。ナツメはアオイがこの学校に来てからとてもよくしてくれている先輩教師だった。誰とでも愛想良く話せて、面倒見がいい。緊張でガチガチだったアオイがいろいろな教師と話せるようになったのはひとえにナツメのおかげだと言っても過言ではない。
アオイは、夜の学校で肝試しをするということへの興味と、先輩への敬意を込めてその提案に頷くことにした。
「良いですね。行きましょう」
そう言うとナツメがぱっと顔を輝かせた。自分よりも少し年上であるものの、子供っぽく愛らしい彼女のことをアオイは好いていた。
「じゃあ、今日は職員室に残っててね!」
提案が通って嬉しそうなナツメを見ながら頷く。そのとき、チャイムが鳴った。
「あ、予鈴だ。もう教室行かないとね」
そう行って英語の教科書を手に取るナツメに習ってアオイも教科書を持つ。見慣れた生成り色の教科書が手になじんで、自分が大分この学校に慣れてきたような気がしていた。
「じゃあアオイ先生、途中まで一緒に行こうか」
そう言ってナツメが隣に並ぶ。職員室から教室まで行く途中のナツメと話すこの時間も、アオイは気に入っていた。
職員室から廊下に出る扉の方に向かってナツメと一緒に歩いていたとき、不意にその扉から誰かが中に入ってきた。
急に現れたため立ち止まれず、アオイがその誰かにぶつかる。
「す、すみません!」
そう言って謝り、その人物の顔を見る。髪がぞろぞろと長く、目つきの悪いその男性は、アオイを見下ろして口を開いた。
「……別にいいよ」
そう素っ気なく言うと、そのまま歩いて行ってしまった。
「アオイ先生、ツカサ先生にぶつかっちゃうなんて、ついてないね」
ツカサと呼ばれたその教師が見えなくなってしまってから、ナツメがそう小声で言う。
学校でも浮いた存在のツカサは生物の教師だった。彼の暗い容姿と人と積極的に話そうとしない性格から、『教師達からは何を考えているか分からず不気味に思われ敬遠されている』とかつてナツメに教えてもらった。誰も彼のことを詳しく知らないことから『裏で人体実験でもやっているのではないか』と面白半分で言う教師もおり、彼については真偽不明な良くない噂が飛び交っていた。
しかし、アオイはそんな噂に興味がなかった。噂は噂だ。人が勝手に言っているだけで、本人に確かめるまではそれが真実だとはとても思えなかったし、適当な噂で盛り上がるのも好きではなかった。
それに、アオイは決して彼のことが怖くなかった。一度、彼が教卓に置いていった忘れ物を届けに生物室に行ったとき、彼は飼っている金魚に餌をあげていた。金魚を見つめている彼の顔は非常に優しく穏やかなものであった。
届けにいったついでに話してかけてみたが、彼は人見知りなだけで本当は気さくな人だと分かった。それ以来、アオイはツカサに会うたびにちょくちょく話しかけていた。彼があまり人前で話しかけられることを望まなかったので、朝や放課後のような人がいない時間しか話すことは出来なかったけれど。
ナツメがアオイに話しかける。
「ツカサ先生はちょっと変わってるから、あんまり近寄らない方がいいよ」
そう言うと近くで話を聞いていた化学教師が笑いながら口を挟んできた。
「何?ツカサの話?……そうそう、あいつ奇人だから関わらない方がいいぞ?あの事件にも関わってるんじゃないかって噂もあるし」
「ちょっと!その話はやめて!」
化学教師の言葉にナツメが血相を変えて怒る。
アオイが不思議そうに声をはりあげたナツメを見る。ナツメににらまれた化学教師は何か言ってはいけないことを言ってしまったかのように慌てて口をふさぐと、そそくさとどこかに行ってしまった。
「あの、ナツメ先生……」
暗い顔をして俯いたナツメが心配になって声をかける。ナツメははっとしたような顔をするとアオイの方に振り返った。
「なんでもない!ごめんね、変なこと言って」
そう明るく笑って見せるナツメをアオイは探るように見つめた。
『あの事件』。たまにそのことを話している教師を見かけるが、いざアオイが聞いてみると皆口を閉ざしてしまう。断片化された人の話を自分で組み立ててみたところ、ちょうど一年前にある教師が屋上から飛び降り自殺をしたということだったが、何故それが事件と呼ばれているのかはよく分からなかった。聞いてみたいが、誰もが嫌がり語ろうとしないので、アオイも遠慮して聞けずにいた。
「ほら、アオイ先生!早く行こう。授業始まっちゃうよ」
そうナツメにせかされはっとする。腕時計を見れば授業が始まるまで二分しかなかった。
慌ててナツメと共に歩き出す。教室の前の廊下を歩いていると、生徒の人だかりが目に入った。ちらりとそちらに目をやれば、数人の女子生徒たちが一人の教師を取り囲んでいた。
「またヒジリ先生だよ。相変わらず取り巻きがすごいねえ」
ナツメが感心したように遠巻きに集団を見ながら言う。
取り囲まれているのは数学教師のヒジリだった。彼は真面目で少々堅物すぎるところがあるものの、顔と頭の良さから女子生徒と女性教員のどちらからも好かれていた。今日も、数学の問題で分からないところを聞きに来たという名目のもとヒジリを拝みに来た生徒相手に、彼は冷静に応対していた。
「ヒジリ先生、モテるのは勝手ですけど授業遅れないでくださいね」
そうナツメが茶々を入れる。彼が顔をあげ、アオイたちを見た。目が合い、アオイはぺこりと頭を下げる。
「ええ。いますぐに行きます」
そう言ってしなだれる女子生徒たちに声をかけながら、彼女たちと一緒にゆっくりと教室の方に向かって歩き出した。
しばらく廊下を歩いてナツメが足を止めた。どうやら彼女が授業をする教室についたようだ。
「じゃあ、アオイ先生。今日の夜、楽しみにしているからね」
扉の前に立ってナツメがそう言ってウィンクをした。
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