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第一章

第十八話 繰り返す過去と現在

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 だめだ。

 ここで下を向いたら、私はまた同じになってしまう。

 そう心では思うのに、幾人もの令嬢たちに囲まれてありもしない悪役令嬢としての私をなじられる。

 みんな何にも知らないくせに。

 そう叫べたら、どれだけ楽だろう。

 色とりどりのドレスを着た可愛らしい令嬢たちは、まるでココにいる私が異質だとでも言うかのように取り囲んで陰湿な言葉を投げかける。

 そしてその輪はだんだんと大きくなり、言葉を投げかけていない者たちまでも巻き込んでいた。

 ただ遠巻きにクスクスと笑ったり、目を背けたり。

 結局一人として、私の声に耳を傾けてくれる人はいない。


「大変ですわねー。こんなコトをしでかして、婚約してくださる方など見つかるのかしら」

「でもほら、お金さえ積めばいいんじゃないんですの?」

「それよりもほら、あのみっともない足で誘惑するんじゃなくて?」

「あはははは」

「ここは王家主催の夜会ではないのですか? このような騒ぎをされて、困るのは私だけではないはずですが」


 言い返すことは出来なくても、止めることぐらいはできるはず。

 もうすぐ国王さまたちがお見えになる。

 それなのにこんな風に騒ぎを起こしては、きっとみんな困るだろう。

 さすがに言われた言葉の意味が分かったのか、ざわざわと少しずつ私たちを囲む輪が小さくなっていった。

 チェリーはこの騒動の収縮に、露骨に嫌そうな顔をする。

 しかしふと何かを考えた後、今までで一番のにたりとした笑みを返してきた。


「チェリー?」


 チェリーは通り過ぎるボーイから、ワイングラスを受け取った。


「かわいそうなお姉ぇさま。これでも飲んで……きゃぁ」


 ワイングラスを持ったまま近づいてきたチェリーが、何かにつまずいたようによろけたあと、私にワインをかける。


「きゃぁ!!」


 ぼたぼたと滴り落ちるワイン。

 必死に手を前にやったものの、せっかくルカが何時間もかけてくれた髪型も、グレンが送ってくれたドレスもワインまみれだ。

 わざとでしょ。

 言葉は出てこなかった。

 言ったところで、どうせ誰も私の言葉など聞いてくれない。

 
「ご、ごめんなさい、お姉ぇさま。わたし、わたし……」


 涙を堪え、消え入りそうになりながら震えるチェリー。


「チェリー様のせいではありませんわ。ワインを手渡そうとしただけではないですの」

「そうですわ。きっと、意地悪で素直に罪も認めない人に天罰が下ったんですわ」

「ホント、いい気味」


 なんでここまで初対面の人間に言われないといけないんだろう。

 私があなたたちに、何をしたって言うの。


「お姉ぇさま、そんな姿で謁見など不可能ですわ。着替えてこないと」

「ええ、そうね」


 着替えなんてどこにもないことを知っているくせに。

 今から着替えに戻れば、戻るころには夜会など終わってしまっている。

 今日ここで次の婚約者を探すようにお父様から言われていることなど、チェリーも知っているはずなのに。

 全部を邪魔したいのね。

 でももう、今の私には帰るという以外の選択肢はない。

 こんな惨めで汚い姿で謁見などできるわけもなかった。


「先に帰らせてもらうわ。グレンさまにはあなたから伝えて」

「ごめんなさい、お姉ぇさま」


 わざとらしく、涙を流す。

 そんな姿に、周りの令嬢たちはハンカチを取り出し慰める。

 泣きたいのは私の方なのに。

 でもこんなところで泣きたくなどなかった。

 小さく首を横に振ったあと、私は入り口に向かって歩き出す。


「あらごめんなさい?」


 そう言いながら、チェリーがしたのと同じようにワインが背後からかけられる。

 こうなればもう集団心理というか、やりたい放題だ。

 誰もこの狂気を止める人はいない。

 でも私はどれだけワインをかけられても、振り向くことはしなかった。

 立ち止まりたくなかった。

 心が折れてしまいそうだったから。


   ◇   ◇   ◇


「ああ、上着は馬車だっけ」


 父に言われて上着を持ってきて正解だったなぁと、うわの空で考えていた。

 ワインでぐっしょりと濡れたドレスは、水滴を落としながらも重たい。

 それに比例するように、会場を出た私の足取りすら重くなる。


「ああ、お父様に迎えをせっかく頼んだのに……」


 今日こそは、一人ではない帰り道のはずだった。

 来た時も一人なら、また帰る時も一人。


「なんだかなぁ。どうするのが正解だったのかしら」


 あの時に唯奈を助けたのがいけなかったんだろうか。

 それとも、記憶を取り戻さなければ良かったんだろうか。

 なんでいつも私だけ。

 どうしてあの子は私を。

 問いかけたって、誰も答えてくれないのにバカみたい。

 本当にバカみたい。

 
「どうしたんだ、そんなに濡れてしまって」

「……キース殿下……」


 振り返ると、そこには殿下とグレンがちょうと奥の小道から出て来たところだった。

 こんな姿を見られるなんて。

 ああ。惨めだ。


「アイリス、これはいったい」

「殿下、グレンさま……」


 なんて言い訳をしたらいいのだろう。

 いやそもそも、なんで言い訳なんて私がしてあげないといけないんだっけ。

 こんなことをされた被害者は私なのに。


「……ワインをしまって。こんな姿では謁見をするのも失礼にあたりますので、一足お先に帰らせていただきますわ」

「だがそれは、こぼしたというよりも」

「……」


 グレンの言葉に、私はただ無言でほほ笑んだ。

 そして二人に、令嬢らしく綺麗にお辞儀だけしてそのまま馬車へと向かう。

 言うのも、泣きつくのもきっと簡単だろう。

 でも、言わない。

 それがせめてもの、私の意地だから。


「それならせめてこれを」

「キース殿下?」


 小走りに追いかけて来た殿下が、自分の上着をふわりと私にかける。


「いけません、汚れてしまいます」

「構わないよ。気を付けて帰るんだよ」


 その優しさに堪えていた涙がこぼれ落ちそうになった私は、下を向きただ唇を噛みしめた。
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