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一章 はじまり
第六話 ご主人様と呼ぶ者
しおりを挟むな、なんてことだ――。
本日、二度目のキス。しかも今度はヘレナのような少女でなく自分と同年代くらいの女の子。
無苦朗とて男でしかも思春期の真っ只中であるからして、女の子とキスできて嬉しくないと言えば嘘になる。
だがしかし。それは時と場合によると付け加えておくべきで、今の無苦朗には時も場合も悪すぎた。
むりやり女の子の唇を奪うだなんて、僕は男として最低だ!
素顔をさらした鎧騎士を眼下で捉え、無苦朗は自分自身を叱咤する。
最初のキスはヘレナからだったので唖然とするのみだったが、今度のは違う。
戦っている最中の事故とはいえ、そして知らぬこととはいえ、自分は女の子を押し倒し、なおかつキスまでしてしまったのだ。
無苦朗にとってそれは男として恥ずべき行いだった。だがふと気付く。そういえば、誰かに頭を押されたのではなかったかと。
「よくやった主殿、効果は上々これにて一件落着よ」
後ろから声をかけられる。ヘレナの声だ。
無苦朗は立ち上がり後ろを振り向くと、すぐ間近にはしてやったりと顔をするヘレナの姿あった。
まさかと思うがもしかして、無苦朗がヘレナへと問いかける。
「もしかしてヘレナ。僕の頭を後ろから押したのは――」
「もちろん我よ」
キミなのか? と無苦朗が言い終える前にあっさりとヘレナは自白した。
「な、なんでそんなことをっ!」
「なんでも何も、主殿の口づけをソヤツに賜ってやるためよ」
「?」
ヘレナの答えに無苦朗は首をかしげる。
キスをさせるのが目的とはどういうことだろう?
そういえば、と無苦朗がまだ倒れたままの鎧騎士へと目を向ける。
鎧騎士は、目が開いているから意識はもちろん有るのだろうが、いまだに起きようとしないどころか微動だにもしていなかった。
「……もしかしてさっきのキスのせい、なのか?」
「うむ、そうであるとも言えるし、そうでないとも言える」
「? つまり、どういうこと?」
「アヤツは口で言っても分からぬ者ゆえな、ちょういと強引に教えてやったまでよ」
主殿と自分、いや我らの関係をな、とヘレナはそう言い終えると鎧騎士を見下ろした。
僕とヘレナと鎧騎士の関係。
なんのことだろうと無苦朗もさっぱり分からない。と言うより今さらながら、どうしてヘレナは僕のことを主殿などと呼ぶのだろう。
その呼び方もなにか関係あるのだろうかと、ヘレナへ尋ねようとした無苦朗だったが。
「ここにおられましたか魔王様」
頭上から声が降ってきた。
無苦朗がハッと視線を上げると、そこには奇妙な人物が浮いていた。いや普通なら浮いてることだけでも奇妙だが、注目したのはその格好。
長い紺色のツインテールに女性特有のプロポーション、それを包むメイド服。特に無苦朗の目を引いたのはその顔面に付けられたもの。鬼となった女の顔をかたどったお面――般若の面だ。若干違いがあるとすれば面の両目部分が大きく開けられ、こちらからでも彼女の髪色と同じ紺色の瞳が見えることぐらいだろう。
異世界にも般若の面があるのかと、無苦朗は驚いた。しかしいやいやそこでは無い、と頭を振って警戒しながら般若面のメイドへと目を向ける。
「ハイネか久しぶりよな。息災だったか」
「そちらも意外とお元気そうなご様子でなによりでございます」
ヘレナと般若面のメイドが言葉を交わす。
二人のやり取りを見るに、もしかして二人は知り合いなのだろうか。そういえばあのメイドさんもヘレナのことを魔王様と言っていたし。
なら自分が警戒する必要はないのかと無苦朗が思った矢先。
「起きて早々、僭越ながら魔王様、私どもと一緒に来ていただきとうございます」
般若面のメイドがそう告げると無苦朗たちの上空を覆うように展開する黒く巨大な魔方陣。
「なんだあれは……ッ!」
次に目に映ったのは、その魔方陣から続々と現れる人外たち。その姿を例えて言うなら翼の生えた目玉の怪物。
その数はあっという間に増えていき、最終的には視界に入る空の青さより多くなった。
「『ゼーエン』か……出迎えにしては、ちと大げさではないかの」
「これでも不足であると思っているでございます。ですので――」
スッ――と般若面のメイドが腕を上げると、目玉の怪物――『ゼーエン』が指揮されるように一ヶ所へと集まっていく。
「……!」
すると今まで微笑を崩さなかったヘレナの顔がピクッと、一瞬でかすかであったが確かにひきつったのを無苦朗は見た。
あれだけの怪物の群れだ。ヘレナでなくたって動揺するだろう。
かくいう無苦朗も自分の額から冷や汗が垂れてくるを感じていた。
上空ではいつの間にかゼーエンの集合体が、ひとつの巨大な目玉を作り上げていた。さらに驚くべきことに、空には先程よりもっと大きな魔方陣が展開されていた。そこからヌッ出てきたのは茶褐色の巨大な腕。
その腕は密集したゼーエンの集合体をガシッと掴んだ。
魔方陣からさらに何かが出てくる。
「顔……?」
それは顔だった。角の生えた巨大な顔。しかしその顔には目も鼻も口も無く、真ん中に大きな穴だけが開いていた。
それから肩、胸、胴、足と続いていき、ついにそいつはその全貌をあらわにするとドシンと地響きを立てて空から落ちてきた。
巨人。それはまさしく巨人だった。その大きさたるや、都内の十階建て高層ビルに届くほどだ。
あの腕はこの巨人のものだったのか。
無苦朗が巨人を見上げていると、巨人は先程つかんだゼーエンの集合体を自身の顔に開いた穴へとはめ込んだ。
「⬛⬛⬛⬛⬛⬛ッ!」
目無し巨人から一つ目巨人へと変わった歓喜の声か、巨人の咆哮が辺りに轟く。
な、なんて声だッ。
必死に耳を塞ぐ無苦朗だったがそれでも響く巨人の咆哮。
「いかがでこざいますか魔王様。あなた様をお連れするため魔界より取り寄せた『プスフノジャアント』でございます」
「まったく、随分と時間と手間のかかるものを連れてきたものよの」
「プスフノジャアントの肉体は天然の抗魔体。魔王様、以前なら兎も角、復活したばかりのあなた様では少々てこずるかとございます」
「その気づかっているつもりでも、その実まったく気づかっていない物言い様……変わってないの」
無苦朗には巨人の声がうるさすぎて、二人の会話がまるで聞こえていなかった。二人はどうして何事もなさそうに会話ができているんだと無苦朗は不思議に思う。ヘレナなんかは自分のすぐ隣だというのに。
ただ、あの巨人はけして友達などではないのだろうなと無苦朗は半ば直感していた。
「では、ご無礼をでございます」
巨大が咆哮を止めたと思うと、その大きな手で拳を作り、こちらへ向かって降り下ろしてきた。
咄嗟に無苦朗はヘレナを助けるため、彼女を抱えて飛び退こうとしたその瞬間。
「⬛⬛⬛ーーーーッ‼」
巨人が天高く吹っ飛んだ。
「餓唖餓唖餓唖餓唖――
や か ま し い ッ ッ ! 」
天下に轟くその声は、先程までまったく起きる気配を見せなかった鎧騎士のものだった。
バッと無苦朗は鎧騎士が倒れているはずのところへ顔を向けると、そこに彼女の姿は無かった。いったいどこへ。
「――! ――!」
すると頭上から聞こえてくる鎧騎士の声。
無苦朗が上を見上げると鎧騎士がこちらへ向かって腕を広げて降ってくる。満面の笑みで。
「ご主人様ぁッ!」
「ええっ⁉」
そのまま落下の勢いで無苦朗へと鎧騎士がダイブする。
無苦朗は咄嗟にそれを受け止める。
ご主人様って何、と思いながら。
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