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一章 はじまり
第十話 戦いに挑む者
しおりを挟む「ふむ――来んと思うてたあやつが一番乗りとはの」
天高くあべこべに浮かぶ城を見やりながら、ヘレナは表情を変えずしかし意外であると言うように呟いた。
「キミは、あの浮いた城が何なのか知ってるのかい?」
ヘレナの呟きを聞いた無苦朗は、心当たりのありそうな彼女に城の正体を聞こうとする。
「知っているもなにも、今まさに我々が話していた者たち――天魔四恐の一人が住みかだの」
「な、なんだって⁉」
あれほど巨大な建造物が浮いていることも驚いたけど、それがヘレナを狙っていると聞かされた人物の城だなんて。
「ならキミはこんなところにいちゃいけない、早く逃げないと!」
「……ムクローよ、お主まだ我をただの童子なだと思っていないかの?」
そんなことは思っていない。ヘレナの力が強力なのは先程の一件で見ていたし、魔王と呼ばれるただ者でない存在なのも聞かされた。
「でもキミはおそらく、その天魔四恐という人たちが現れたら戦おうと考えてるんじゃないか?」
「その通りだの」
やっぱり、と無苦朗は思った。なんで皆――この場にいる者たちだけだが――こうもすぐ戦おうとするんだ。
「そのにんげ、ムクロー様のいう通りでございます!」
意外にもハイネが賛同してくれた。いや、彼はもともとヘレナに逃げてほしいと言ってたんだった。
「『魔皇転生』で復活していないのなら尚更でございます。それは魔王様が一番分かっているはずでございましょう。そんな体たらくではとても奴等を退けることなどできないでございます」
ハイネがヘレナへ懇願するように言った。
無苦朗にはどういう意味か分からなかったが、その必死さだけは伝わってきた。
「そうだ。とにかくここは彼の言う通り一度安全な場所へ」
「カカカッ! 心配せずとも安心せよムクロー殿」
しかし、無苦朗とハイネの懇願に答えたのはヘレナではなく、城を睨み付けて愉快そうに笑うニコの声だった。
「彼奴らの相手はこのニコが引き受けようぞッ。魔王は草葉の陰にでも隠れておれいッ!」
「待つんだニコ、僕の話しを聞いてれっ」
そもそも戦うという選択肢から離れてほしい。そう無苦朗が言おうとしたら、ヘレナがふぅと息を吐いた。
「どちらにせよ、あやつから逃げることは叶わぬよ」
それはどうして、と無苦朗が思ったその時――。
ピシャアッ!
鳴ったと思うより前に、それはすでに落ちていた。
突如、空に浮かぶ城から、天を裂くように紫色の閃光が地上へ向かって放たれたのだ。
それは雷のようであった。
「――⁉」
無苦朗は息を呑んだ。
雷が無苦朗たちの間近へと落ちる。それに続くように轟音が鳴り響いた。しかし、無苦朗が驚いたのはそのせいだけではなかった。
人だ。人がいた。先程まで誰もいなかった場所、雷が落ちたと思われる場所にいつの間にか人が立っていたのだ。
「……」
それは男だった。紫と白の装飾が施された鎧を身にまとい、美丈夫と呼べる端正な顔立ちをした男だ。何者なのだろう。
「我が名はライラック。御方、魔王アートラとお見受けする」
そう言うと男――ライラックは腕を組み、無苦朗たちへ射ぬくような眼光を向けてきた。
アートラ? と一瞬だれのことか分からなかった無苦朗だったが、すぐにヘレナの名前だと思い出した。
「ライラック……まさか、『紫雷』のライラックでございますかッ!」
「ほう、あれがそうか。確かにひしひしと肌に染み入るこの殺気、少なくとも凡百の輩ではなさそうだッ」
ハイネがその名前を聞き、叫ぶように驚いた。逆にニコは口の端をつり上げて、自身の拳に力を込めた。
そしてニコが殺気を感じるように、無苦朗はライラックから凄まじいプレッシャーを感じていた。ただ立っているようにしか見えないのにだ。
「然り。して我に何ようだライラックよ」
無苦朗がライラックのプレッシャーに耐える傍ら、ヘレナは平然と逆にライラックへ聞き返した。
「俺に御身の命、譲り受けたい」
命を譲り受けたいだって。つまりこのライラックという男性があの天魔四恐で、ヘレナを狙ってやって来たということなのか。
無苦朗がライラックを見やる。
「ほう。我の命をな……残念だったの、少し前ならばいくらでもくれてやれたのだが、今はこの――」
ヘレナは自分の命が狙われているのにも関わらず、あくまで冷静だった。そればかりか、また無苦朗にスッと近づくと自身の身体を添える。
「我が主殿であるムクローの物なのでの。遠路はるばるやって来たお主には悪いが、命やることまかり通らんの」
相手を煽るために言っているのか、本心なのか、はたまたその両方なのか、何にせよ依然としてヘレナの立ち振舞いは変わらないように見える。しかし――。
「……ムクロー?」
無苦朗がヘレナの肩を掴んだ。
何事かと思い、ヘレナが無苦朗の顔を見上げると、その顔からは先程までとはまた違う強い意思が感じられた。
無苦朗がそのままヘレナをむりやり自分の後ろへと退かせる。
「ヘレナ、キミは下がってるんだ」
「しかしムクロー「いいから早く!」っ⁉」
ヘレナが驚く。まだ出会ってからいくらも時間が経っていないとはいえ、無苦朗が自分の言葉を遮ってまで行動するのは初めてだったからだ。
「ライラックさん、貴方はどうしてヘレナを狙うんですか?」
無苦朗が前に出てきたことに、ライラックの眼光が何者だと問うようにさらに鋭さを増した。しかし無苦朗はそれに怯むことなく相手から目線をそらさない。
「……俺の願いのためだ」
「願い?」
少し間を置いてライラックが答えた。
願いとヘレナの命になんの関係があるのだろう。
「その願いのために貴方はヘレナを殺すと言うんですかッ!」
「それがいま俺がここにいる理由だ」
もう話すことは無いということか、ライラックからのプレッシャーが大きくなる。
身体が震える。地面に膝をつけてしまいそうだ、と無苦朗は思った。だが、それを良しとはしなかった。なぜなら。
「主殿、あまり無茶をするな膝が笑うてるぞ」
ヘレナだ。彼女はニコと戦っていた時もハイネがやって来た時も、その飄々とした雰囲気を崩さなかった。先程もそうだった。しかし――その顔には笑顔が無かった。微笑すら作られていなかった。
それが、無苦朗に懸念をおぼえさせ、同時に前に出させる理由となっていた。
「ありがとうヘレナ。でも、僕は大丈夫ッ!」
無苦朗が体の震えを自力で止める。そして拳をグッと握りこむと、そのままライラック目掛けて突き出した。
「ライラック! 君の相手は僕がやる。彼女には指一本、触れさせはしないぞッ!」
無苦朗はライラックへ己が戦う意思を見せつけた。
当の宣戦布告をされた紫雷の名を冠する男は、その表情を変えることなくジッと無苦朗たちをただ見つめていた。
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