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二章
第七話 追われる者
しおりを挟む無苦朗は屋根の上を走っていた。
眼下にあるのは街の大通りと、そこに行き交う大勢の人々。
いま無苦朗はひとりだった。ニコの姿はない。彼女はレストランで待っている。
タイミングが悪かった。
お金の入った布袋が無い、と無苦朗が気づいた時には、既にふたりとも料理を食べ終えた後だった。
このままでは無銭飲食になってしまう。
無苦朗は嫌な汗を出しながら、ニコにそのことを伝えた。
すると彼女は笑みを浮かべ「ならば探しに行ってくるがいいッ! ここはわたしに任せよッ!」と言ってくれたのだ。店員から怪しく思われないために、料理の追加注文をしてまでだ。
無苦朗はニコに感謝しながらレストランを出た。
最初は地上を走っていたが、途中から屋根の上に変えた。人の混雑を避けるためだった。
「……あっちか!」
布袋の位置が分かった。
大通りにいくつもある路地。その中の特に細いものへ目を向ける。
あそこだ。
無苦朗はあんな場所を通ったかな、と疑問に思った。しかしすぐ振り払い、屋根から飛び降りる。
ドシンと音を立て着地すると、また走り出す。周りの歩行者を驚かせてしまったようだったが、気にしてはいられなかった。
人の間を縫って進み、ついに路地へと入る。
瞬間、無苦朗は布袋やニコのことを忘れた。
「その子から足をどけろッ!」
◆ ◆ ◆
しけてたな。
大通りから離れた路地裏。手の中で布袋を跳ねさせながら思う。
仕事がしやすそうな間の抜けた顔の男だった。実際、簡単にスれた。だけど持っているものまで間が抜けてるとは、予想外だった。
はあ、とため息をつく。跳ねさせた布袋を掴み、口紐を解く。中に入っている硬貨を一枚つまみ上げる。
どこの硬貨だ、これ。
帽子のつばを上げる。建物の隙間から見える青空へかざし、ジッと硬貨を見てみる。
帝国の硬貨ではない。
この街にはたくさんの人間が訪れる。その中には遠く、帝国領外の国から来てる奴もいる。だから見慣れない硬貨があっても不思議じゃないんだが。
「はぁ」
もう一度ため息をつく。
せめて金貨や銀貨であればよかった。それなら使えはしないが金になる。しかし、これはそのどちらでもない。銅貨でもなさそうだが、なんにしても価値は無さそうだ。他に入っているものと言えば、白い骨のような欠片くらいだ。
これだともうひと仕事しなきゃならない。
「おいッ」
またため息が出そうになると突然、後ろから声をかけられた。
ドキリとして、咄嗟に布袋を懐に隠す。
あの間抜け面の男が追いかけてきたのだろうか。
まさかと思い、声のした方へ振り返る。
そこにいたのはスキンヘッドの男だった。
あの男じゃない。けど、別の意味で面倒な奴だった。
「んだよその嫌そうな顔は。友達が話しかけてやってんだろぉ」
癪に障る声だ。硝子を引っ掻く音の方がまだ聞ける。
こいつの名前はフィス。こちらとそう背が変わらない小柄な男だ。
「ちっ、相変わらず愛想が無えな。まあ良いや、それよりほれ」
フィスがよこせというように手を出してくる。
「……なんだよ」
「とぼけんじゃねえ! やったんだろう? いま隠したもんを出しな」
やっぱりか。
フィスは自分じゃ何もやらない小悪党だ。
ただ、盗みを働いたやつを見抜く能力が異様に高い。で、そいつから自警団に報せない代わりに盗んだものを巻き上げるのだ。
というか、そんな特技あるならいっそ自警団に入れよと思う。いや、入ったところで変わらないか。
「生憎だけど、テメエが思ってるようなもんは無いぜ。ハズレだった」
懐から布袋を出す。
これは本当だ。とても金になりそうなもんじゃない。
「うるせえ、いいから渡しな」
手を出したままフィスが近づいてくる。
こいつに付きまとわれるのは嫌だし、渡してしまっても良いかなと思う。思ったが、
「お前みたいなガキは、大人の言うことだけ聞いてればいいんだよ」
その言葉にカチンときた。
「ガキみたいな身長のくせしてよく言うぜ」
「んだと、この……ッ⁉」
転身して走る。
「ま、待てこのクソガキィ!」
後ろからフィスの罵倒が聞こえる。どうやら追いかけてきているらしいけど、どんどん声は遠退いていく。あいつの足だったら、全力で走らなくたって追い付かれる心配はない。
そのまま路地を進み、何度か曲がると大通りへの出口が見えてきた。
人混みに紛れてしまえば見つけられることはない。追ってはこれないだろうが用心のためだ。
走る速さを緩める。それがいけなかった。
ガシッと後ろから腕を乱暴に掴まれる。驚くより先に壁に向かって投げられた。
「がはっ⁉」
壁に叩きつけられ、体がズルズルと地面に落ち、前のめりに伏す。
ぶつかった衝撃で吐き出しそうになりながらも考える。
フィスじゃない。距離はだいぶあったし、あいつにこんな腕力はないはず。
じゃあ誰だ、と思い顔を上げる。
「フィスの言った通りだ。張ってて正解だったぜ」
髭面の男がこちらを見下ろしていた。巨漢、というより脂肪の塊のような体だった。
こいつは、と思うと同時に、しまった、とも思う。
「はぁ、はぁ、おお、これはお見事! ガキを捕まえたんですね! さすがはモルジの旦那!」
フィスが追い付いてきた。息を切らせながらも現状を理解したようだ。過剰すぎる笑顔を作りながら、髭面の男――モルジへごまをするような調子で話しかけた。
「なあに当たり前のこと言ってんだ」
そう言いながらもモルジは、愉快なのか自身の鼻の穴を広げてニヤけている。
モルジ。犯罪者から金品を巻き上げそれを私腹の肥やしにしているやつだ。やっていることはフィスと変わらない。厄介なのは、こいつが自警団の一員であることだ。
「そうですよね。旦那にしてみればガキなんてちょちょいのちょい! いやあ失敬、失敬」
「まあ、そう気にすんな。俺とお前なんかとじゃ差があるのは当然なんだからよお」
フィスとモルジが笑い声を上げる。
このふたりが組んでいるとは聞いていた。でもまさか待ち伏せしてたなんて。
「オラ」
「ガッ!」
逃げだそうとしたら、背中に衝撃が走った。
硬いものが押し付けられる。靴だ。モルジが足で踏みつけてきたのだ。
「おめえ、なんで俺がわざわざ待ち伏せしてたの分かるか?」
「知るか、よッ」
「口の聞き方に気を付けろ!」
「カハ……ッ!」
モルジが怒ったのか、さらに体重を乗せてきた。
無理矢理に息が吐き出される。
「バカなおめえに教えてやる。俺たちはな、おめえを探してたんだよッ」
モルジが何か言っているが、苦しさでそれどころじゃない。
「モルジの旦那、それぐらいにしませんと下手したら死んじまいますよ」
「ああん? ばか野郎、これぐらいじゃあ人間はどうともならねえよ」
さらにグイッグイッと体重を乗せてくる。骨が嫌な音をたてそうになる。
「その子から足をどけろッ!」
その時だった。男の、吼えるような声が聞こえたのは。
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