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二章
第八話 居なくなる者
しおりを挟む「なんだあ、おめえは?」
肥満体の男がこちらを睨んでくる。その足下にはひとりの少年。顔を歪め、呼吸も出来ないといった様子だ。
「もう一度言う、その少年から足をどけるんだッ!」
「はっ、なんで言うこと――」
男――モルジが言い終わるより前に無苦朗は動いた。
モルジの足下へ一直線に駆けると、その太い足を押し退け、少年を抱える。
驚き、バランスを崩したモルジの巨体がグラリと揺れ、そのまま無苦朗の方へと倒れてくる。
しかし無苦朗はそれを難なく避けると、前方へ飛び出し距離を取った。
無苦朗は腕の中の少年を見る。
気のせいだろうか、この少年とはどこかで会ったような。
「――ッ! ゴホッ、ゴホッ!」
少年が咳き込む。
「しっかり、大丈夫だからゆっくり息を吸うんだ」
無苦朗が少年を地面に下ろす。
そうとう苦しかったのだろう、少年はへたりこんだまま顔を上げようとしない。
「モルジの旦那⁉ この野郎、何しやがった!」
すると、モルジへ駆け寄る小柄な男がいた。
フィスだ。フィスが無苦朗に向かって甲高い声を飛ばしてくる。
肥満体の男の仲間だろうか、と思う無苦朗。モルジの巨体の後ろにいたので気づかなかったのだ。
「こんなことしてタダですむと思ってんのかッ!」
「それはこっちの台詞だ! どうして彼にこんな酷いことをしたんですか」
「どうしてだと? ……ははん、さてはお前、この街の人間じゃあないな」
「それがどうしたっていうんですか」
フィスが無苦朗へしたり顔をする。
視線はそのまま、指先を倒れているモルジへ向けて言う。
「このモルジの旦那はな、こう見えてもこの街の自警団に所属してんだ。それがどういう意味だか分かるよな」
自警団という言葉に、無苦朗はまさかと思った。
自分の知識が正しいならば自警団とは、治安を守る警察官のようなもののはずだ。
「それなら余計に、なぜ子供を踏みつけるようなことを」
「かーっ、お前も頭の悪い野郎だな。そいつが盗人だからに決まってんじゃねえか」
「なんだって⁉」
こんな子供が、と無苦朗は驚き、少年を見下ろす。
少年の呼吸はもう落ちついているようだった。しかし顔を上げる素振りを見せない。
否定しないということは、本当なんだろうか。
「オラッ! 分かったんだったら、さっさと行きやがれ間抜け野郎。ここは見逃してやるからよ」
フィスが無苦朗へシッシッと手を払う。その手がガシッと別の大きな手に掴まれた。
「勝手なこと言うんじゃねえぞフィスゥ」
「モ、モルジの旦那。ぶ、無事だったんですね!」
フィスの手を掴んだのは倒れていたモルジによるものであった。そのままゆっくり起き上がってくる。
倒れたにも関わらず、ダメージのようなものは見受けられない。
それはそうだろう。ただ足を払っただけなのだから。
「だ、旦那。ちょいと手が痛いんで放してくれると――」
「俺にこんなふざけたことしてくれた奴を、のこのこ帰そうとしてんじゃねぇ!」
「グヘッ!」
モルジが大きく手を振りかざすと、フィスの顔を殴った。吹っ飛ばされるフィス。
「な、なにをしてるんだ!」
無苦朗はその行動に驚く。
彼らは仲間じゃなかったのか。
「うるせぇ! この俺の邪魔しやがってゴミ野郎が!」
《肉体強化》
するとモルジが何事か言うと、その体に薄ぼんやりと光が灯った。
あれはまさか。
「魔法かッ!」
「よそ者のおめえは行方不明者で処理する必要も無え! 俺を怒らせたこと後悔しやがれ!」
そう言ってモルジが無苦朗へ飛びかかってくる。肥満とはとうてい思えないほどの俊敏さだ。その勢いのまま拳を振るってくる。
しかし。
「な、なにィ⁉」
無苦朗はその拳を難なく受け止めた。
魔法を使ったおかげか、モルジは確かに速かった。
しかしライラックと戦った無苦朗にとって、その動きはスローモーションも同然であった。
「は、放しやがれ! 俺を自警団と知ってんのか⁉」
「あなたが自警団というのは分かりました。あの子が盗みを働いたというのも信じましょう。だがそれはッ!」
モルジが脱げだそうと抵抗するが、無苦朗はさらに掴む力を強くする。
「決して子供を傷つける理由にはならないッ!」
「ぐぅ……!」
叫ぶのを我慢しているのか、歯を食い縛るモルジの顔が茹だったように真っ赤になる。
しかしついに限界がきたのか口を開く。
「わ、分かった! やりすぎたのは認める! だから放してくれェッ!」
瞬間、無苦朗は掴んだ拳をパッと放した。
モルジは自由になると、自分の手を擦りながらじりじりと後ろ下がる。
「このよそもんが、覚えてやがれよ。おめえは絶対に許さねえからな! おいフィス! いつまで寝てんだ!」
「ひゃっ⁉」
モルジが蹴ると、倒れていたフィスが飛び跳ねるように起き上がった。殴られたせいで気絶していたらしい。
「怖かったらせいぜい早くこの街から出るんだな!」
「モルジの旦那⁉ ま、待ってください」
そう言い残し、無苦朗とは反対方向へ走っていく二人。
とりあえず、この場は退いてくれたようだ。
ふう、と息を吐く無苦朗。
初めて訪れた、それこそ異世界に来てからという意味でも、街で問題を起こしたくなかった。
大きい事態にならなければ良いが、と無苦朗は心配する。
いや、悪い想像をするのはやめよう。少年も救えたわけだし。
無苦朗は少年のいる方へ目を向ける。
「……あれ?」
が、そこに居るはずの少年の姿は、どこにも無かった。
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