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三
しおりを挟む「うまいな、この白飯。本当に一度冷凍したやつなのか?」
桜花は右手に箸、左手には飯茶碗を持ちながら、自分の右斜め前に座っている大弥へ聞いた。
「はい。炊いてすぐでしたら、そんなに味も落ちないんですよ」
「ほう、ならば我も試してみようではないか」
桜花の正面に座る無枯が煮物の鶏肉を口に入れた。
「飯が余ることがあればな」
桜花は煮物の大根を箸で取ると、ご飯と一緒に口に入れた。
「良かったらこちらも飲んでください」
大弥はお椀を二つ、卓袱台へ並べた。中には豆腐の味噌汁が注がれていた。
「そんなもんどっから」
「これも部屋から持ってきました。朝、いつも作っては夜まで食べきれないんです。私、少なく作るのがどうも苦手で」
そう言って、顔をほんのりと赤く染める大弥の傍らには、味噌汁の入った小鍋が置かれていた。
「すまねえな。結局、朝めし全部用意してもらって」
「いいんですいいんです、困った時にはお互い様です。また何時でも言ってください。私ひとりですと、どうしても余らせてしまいますから」
「うむ、そうしてもらおう」
「調子に乗るんじゃない」
「ふふふ」
笑い声がしたので桜花が大弥の方へ顔を向けた。すると彼女は口元を手で伏せながら笑っていた。
それに吊られて桜花も顔をほころばせる。
無枯はパクパク、ズルズルと食べ続けている。
ふと、桜花は時計を見た。彼は目玉が飛びでそうなほど、目を見開いた。
「ああああああぁぁーッ!?」
「ブゥゥゥゥッ!」
桜花が大声を上げると、味噌汁を飲んでいた無枯が吹き出した。桜花の服にそれがかかる。
「汚ぁ!」
「ゴホッ、ゴホッ」
味噌汁を吹いた無枯が苦しそうに咳き込む。
「しっかりしてください無枯さん」と大弥が無枯の背中を擦る。
「ゴホッ、この阿呆者、またも、大声をゴホッ、出しおって」
無枯は咳をしながら批難の目を桜花に向けた。
向けられた桜花は、そんなこと気にしてる場合じゃねえと言うばかりに、ガバッと服を脱いだ。彼の筋肉の塊のような肉体があらわになる。
「お、鬼守先輩、そんなに慌てなくてもシミになる心配はキャアッ」
大弥が短い悲鳴を上げた。それもそのはず、上も下も脱いだ桜花はパンツ一枚の姿となったからである。
「ど、どうしたんですか鬼守先輩」
大弥はエプロンで赤くなった自身の顔を覆う。
「桜花。ゴホッ貴様、何をいきなり脱いでいる」
無枯は変わらず咳をしながら、怪訝な顔をした。
「すまん。ちょいと急がなきゃならんのだ」
桜花は二人の目を気にすることなく、時計の方を指差した。時計の時刻は七時二十分を表している。これは彼にとって学園に遅刻をしてしまう時間帯であった。
彼はパンツ一枚のまま、壁際に吊るしてある白の半袖ワイシャツを、ハンガーから外した。
「ズボンズボンズボン」
桜花はワイシャツを羽織ると、ボタンをかけながら、部屋の中をぐるぐる回る。
「無枯ッ、俺のズボンはどこだ」
「知るか」
「あの、もしかしてアチラでは」
大弥が窓の外を指差す。そこには黒の学生ズボンがゆらゆらと揺れていた。
「おお、そうだった」
桜花は窓に近づき、外に吊るされているズボンを引っ張り込んだ。
「昨日濡れちまったんで、外に干してたんだった」
そのまま彼はズボンを履くと、通したままにしておいたベルトをギュッと締めた。
「よし。大弥、色々と世話になったのにすまねえが、すまねえついでに、食器の後片付けとか頼めるか?」
「え、あ、はい。それは良いんですが」
「ありがとな、何から何まで。このお礼は絶対するからよ。じゃ、後は任せた」
そう言って桜花は、卓袱台に置いていた鍵をポケットにしまうと、飛ぶように玄関へ向かった。
ドアの鍵を開けた彼はバッと玄関から飛び出すと、外廊下の欄干に足をかける。そして思いっきり外に向かって飛んだ。
ドンと地面に着地した彼は、間を置くことなく、鬼灯荘の門へと向かう。
門の内側には一台の茶色い自転車が留めてあった。
桜花は自転車のサイドスタンドを上げると、サドルの上に跨り、
「行くぞ『黄龍』ッ」
と言って彼はサドルを握った。黄龍とは自転車の名前である。元々は黄色だったのだが、錆びついて茶色くなってしまったのである。
「とっ、その前に時間は、と」
彼はペダルを漕ぎ出す前に、ズボンのポケットから【生徒手帳】を出そうとした。生徒手帳とは、それ一つで電話、財布、時計、身分証明書、ネットなど色々な機能が利用できる、手帳型の多機能電子機器である。
しかし、ズボンの何処を弄ってみても、生徒手帳は無かった。
桜花は手のひらを額に当てた。
「しまったぁ、部屋に忘れてきたか」
彼は天を仰ぎ見る。帰ってきた時は紺色を薄く残していた空が、今ではすっかり青くなっていた。
「ええい、面倒だが戻るしかあるまい」
「鬼守せんぱーいっ」
桜花が自転車から降りようとした時、後ろから大弥の声がした。
桜花が振り向くと、彼女は二階の欄干から身を乗り出し、こちらに向かって大きく手を降っていた。その手には黒い長方形の物体が握られている。紛れもなく生徒手帳であった。
「忘れ物ですよーっ」
「すまーん、助かったー」
桜花にとって、まさしく天の助けであった。
「待っててくださーい、今そちらに行きますからーっ」
「いやー、待ってくれー」
階段へ向かおうとする大弥へ、桜花は待ったをかけた。
「どうしてですかーっ?」
「そっから手帳を投げてくれー。そっちのほうが早い」
桜花と大弥の距離は十メートルほどである。
「でもーっ、私、非力なうえに運動神経皆無ですしー」
「闘気を使えば届くだろー」
「ですがーっ」
「良いから良いからー、手帳もそう簡単には壊れねえからバーンと来ーい」
「……分かりましたーっ、私、やってみますっ!」
大弥は口元を引き締めると、グッと肘を上げた。すると彼女の体が、青白い蒸気のようなものに包まれた。
あ、そういやと桜花は今になって思い出した。
「ちょ、ちょっと待ておお」
「えーいっ」と大弥は、桜花が言い切るより先に、生徒手帳を投げた。
生徒手帳が飛んでいく。青空高く、放物線を描きながら、どこまでも飛んでいく。飛んでいって――ついには見えなくなった。
桜花は大弥の体質をすっかり忘れていた。
彼女は闘気のコントロールがとても不器用なのである。
「うおおおおおお! 俺の手帳おおおお!」
「すみませえぇぇぇん!」
大弥の謝罪をバックに、桜花は自転車をロケットのように発射させた。
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