珈琲ガレット調布店 不器用な神さまたちの戯れ

谷村にじゅうえん

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第4章 疱瘡の乱

10,黄泉の国で

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 本当の暗闇というものを、都会育ちの詩は見たことがなかった。
 それが今、ある種の質量を持って詩の全身を包み込んでいた。
 匂いや音はわかる。肺を内側から凍えさせる冷気も。
 空気は冷たいのに、同時に粘つく湿気を含んでいる。
 衣擦れが耳元で響いた。

「……なあ、詩……」

 耳に湿った吐息が吹き込まれる。

「……お前、何か言えよ。まるで死んでるみたいだ」

 聞き慣れた疱瘡の神の声。だがそれは苦しげに震えて聞こえた。

「疱瘡さん……、僕は生きてるよ」

 そう答えたものの、詩も、自分が生きているのかどうか自信がない。だってこんな暗闇の中だ。
 さっきから鼻についている悪臭が濃くなった。
 冷たい手のひらが肌を這い回り、ゾワゾワする。
 それでようやく、詩は自分が生きていることを確信した。

「ねえ、ここはどこ? なんで真っ暗なの」
「ここは黄泉の国の入り口だ……。お前の目に暗闇に映るなら、それは、お前が見たくない景色が広がっているからなのかもしれない」
「見たくない景色……?」

 詩は聞き返す。

「死が、そこら辺にウヨウヨしている」

(死……?)

 遺体でも転がっているんだろうか。

「俺も、死は嫌だ。せっかく捕まえてきた人間が動かなくなってしまうから……」

 体の奥に鈍い痛みが走った。

「……っ、ねえ、疱瘡さん、何してるの……?」

 耳元で聞く彼の吐息が、さっきよりさらに乱れている。

「……ったのか……」
「……え?」
「……お前を、犯している……」

(えええ……?)

 肌をなでていたひんやりとした手が、へその真上で止まった。

「ほら、お前の中に俺がいるだろう?」
「待って……? うそ……」

 そこで何かが動いて、鈍い痛みがひどくなる。
 けれどもそれは肌を重ねる痛みとは、また違った何かに思えた。

(これ、なに……孤独? 悲しみ?)

 どうしてか、それを感じていると胸が押しつぶされそうになる。
 体ではなく心が、彼の痛みに共鳴しているのか。

「疱瘡さん、泣かないで……」

 腕を伸ばして抱きしめた。
 すると彼が震える息を吐き出す。

「……バカ言え。泣くはずない。俺には心がないんだから……」
「疱瘡さんの心、どこ行っちゃったの?」
「自分の魂と引き替えに、穢れの力を手に入れたって言っただろう」

 そうか、それで今の彼は空虚なのか。
 彼が繋げようとしているのは体でなく、空っぽな心の方かもしれなかった。

「こんなのダメだ。なくした魂、探しに行こう」

 行かなきゃいけない。そう決めた時、詩を包み込んでいた闇が拓けた。

「ここ……」

 二人は狭い洞穴に横たわっていた。
 周囲はゴツゴツした岩に囲まれていて、急な坂道になっている。
 坂道を下った先には真っ暗闇しか見えなかった。ぽっかりと穴が空いているようにも見える。
 その奥から死臭が漂ってくるように感じた。

「詩、探しに行くなんて無理だ」

 疱瘡の神が詩の体を抱き直した。

「俺はこのまま、お前とここで戯れていたい」
「こんな寂しいところで?」

 彼は詩を見つめたまま答えなかった。

「僕は帰って、温かいところでコーヒーが飲みたいな。疱瘡さんと、それからみんなと一緒に」

 彼の吐息がわずかに乱れた。

「だから、ね?」
「詩……!」

 もう言うなとでもいうように、キスで唇をふさがれる。

「……んっ……ほうそ……さん……?」

 押しのけるべきかどうか悩んだが、決断するより先に彼の気配が離れていった。

「……?」
「探しに行く当てなんてあるのか?」
「それは……」

 初めて来た黄泉の国で、当てなんてあるわけがなかった。

「仕方ないやつだな」

 疱瘡の神は相変わらずの悪臭を放ちながらも、詩の乱れた衣服を直してくれる。

「魂を取り戻したら、俺は穢れの力を失って、今度こそ少名毘古那たちに潰される」
「そんなこと僕がさせない!」

 思わず言ったけれど、鼻で笑われた。

「お前にはあいつらに対抗する力なんてないだろう」
「そうかもしれないけど……」
「カッコつけんな」

 疱瘡の神は呆れ顔をしながら詩を引き起こす。

「一緒に行ってやる。その代わり無事に魂を取り戻せたら、もう一回ヤらせろ」
「え……」
「……嫌なのかよ」

 さすがに「いい」とは言えなかった。
 友人以上の関係を受け入れるのは、それはそれで無責任だ。
 それに”もう一回”も何も、今の行為がなんだったのか詩には釈然としないままだったし。
 何も言えずにいると、疱瘡の神はあからさまなため息をつき、先に行ってしまう。

「あっ、疱瘡さん……?」

 詩はとりあえず彼を追った。
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