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第2章 変動

第10話ー④ 人生の分かれ道

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 研究所内にある剛の個室で、俺はベッドの前にある椅子に腰を掛けたまま、俯いていた。

 ここにきてどれくらいの時間が経っただろう。

 俺はそんなことを考えながら、眠り続ける剛を見つめる。

「みんなになんて言ったらいいのだろうな」

 本当のことを伝えるべきか、それとも真実を隠すのか。

 考えても、考えてもその答えは出ない。

「剛、俺はどうしたらいいんだろうな」

 そして俺は眠っている剛に問う。

 たくさんの機械に繋がれたまま、眠っている剛。吐息が聞こえ、生きていることは確認できる。でももうその目を覚ますことはないなんて……。

「……ごめんな、剛。俺がもっとちゃんとしていたら」

 俺はそう言って、剛の手を握りしめた。

 そして静かに部屋の扉が開く音がした。その方を向くと、そこには所長の姿があった。

 所長はゆっくりと部屋に入り、心配そうな声で俺に告げる。

「暁君、ずっと寝てないだろう? 君も無理をすれば、どうなるかわからないんだ。今はゆっくり休んでくれ。彼に何かあれば、すぐに伝えるから」

 俺は所長のその言葉に激昂し、勢いよく立ち上がった。

「何かって、何ですか! これ以上、剛に何があるっていうんですか!」

 そして俺は声を荒げながら、所長に詰め寄る。

「落ち着いてくれ。そういう意味じゃない」

 所長は俺を静止して、冷静に答える。

 その言葉に冷静になった俺は頭を抱えながら、剛のベッドに腰を掛ける。

「すみません。俺……」
「はあ。相当疲れているみたいだね。……今は休め。隣に部屋を用意してあるから。そして休んだら、施設に戻りなさい。彼のことは私たちに任せてほしい。君は君にしかできないことがあるだろう? そのことを忘れないでくれよ」

 そして所長は部屋を出て行った。

 俺は剛の顔を見つめた。

「俺にしかできないこと……」

 それを考えたけれど、今の俺にはその答えを出すことができなかった。

 そのあと、俺は所長の用意してくれた部屋に向かい、休むことにした。

 よっぽど疲れていたのか、ベッドに入ると俺はすぐに眠りに落ちていた。



 目を覚ますと、太陽の光が俺の顔に差し込んでいた。

「ま、ぶしいな……ここ、どこだっけ」

 寝ぼけた俺はいつもと違う天井をしばらく眺めてから、これまでのことを思い出した。

 ああそうだ。俺は能力の暴走した剛と一緒に研究所に来ていたんだった。

 これが悪い夢だったら、良かったのに……

 俺はそんなことを思いつつ身体を起こすと、隣の部屋にいる剛のもとへと向かった。

 ひと晩経てば、もしかしたら目を覚ましているかもしれない。

 そんな期待を抱きつつ、俺は部屋の扉を開く。

 しかし以前と状況は何も変わっていなかった。

「そう、だよな」

 たくさんの管で機械に繋がれて、眠る剛。

 そして俺は剛の傍に行き、その顔を見つめる。

「全部、夢だったなら……」

 俺は剛が暴走する少し前に見た、夢のことを思い出した。


 黒い霧に追いかけられ、飲み込まれていく夢。

 その時に感じた不安と恐怖……。


 あの夢は、もしかしたら剛が感じていた気持ちが形になったものだったのかもしれない。

 受験への不安と、どうなるかわからない自分の未来への恐怖。

「俺って、ほんとにバカだな……」

 今更、そんなことに気が付くなんて……。でも気が付かない方が、俺は幸せだったかもしれない。

 そして俺は所長の言いつけを守り、施設へ戻っていった。



 昼前に施設に到着した俺はゲートをくぐり、生徒たちのいる教室へ向かった。

 俺は廊下を歩きながら、生徒たちに剛のことをどう伝えたらいいのかを悩んでいた。

「真実を告げるか、それとも……はあ」

 その答えはでないまま、俺は教室の前についてしまう。

「……どうしたら」

 俺は扉の前で思い悩んでいると、いきなり教室の扉が開く。

「センセー、おかえり!」

 そう言いながら、いろはが勢いよく教室から出てきた。

 俺はいろはの勢いに圧倒されて、少しだけ後ずさる。

「た、ただいま」

 そして俺はそれだけをいろはに伝え、俯きながら教室へ入っていった。

「え、う、うん……?」

 俺の様子を見たいろはは少し違和感を覚えているようだった。

「おかえり、先生」

 俺が教室に入ると、キリヤは笑顔でそう言った。

 そしてキリヤだけではなく、他の生徒たちも施設に戻って来た俺を温かく受け入れてくれていた。

「ああ、ただいま」

 しかし俺は無気力にそう答える。

 そして俺が教壇に立つと、キリヤは間髪入れず、俺に問う。

「それで先生。剛は、どうなったの?」

 ここへきて、最初の聞かれることはわかっていた質問だった。

 悩みに悩んだ結果、俺は覚悟を決めて、生徒たちに真実を告げることにした。

「剛は、もう……目を覚まさないかもしれないらしい」

 俺は俯きながら、生徒たちにそう告げた。

 俺の言葉にみんなはどんな反応をするだろうか。ショックを受けるだろうか、それとも俺を責めるだろうか。

 俺は生徒たちの反応が怖くて、顔を上げることができなかった。

「……そっか。でも目を覚ます可能性もあるんでしょ? そうだとしたら、剛はきっと目を覚ますよ」

 キリヤはそう言いながら、俺の顔を覗き込んで微笑んだ。

 しかし俺はそんなキリヤの言葉を否定するように言う。

「その可能性はほとんどないって……」
「キリヤのときもそうだったけど、ちゃんと戻ってきた。だから、心配ない」

 マリアもキリヤのように、剛のことを心配していないようだった。

 そしてマリアやキリヤだけじゃなく、他の生徒たちも剛なら大丈夫と口をそろえて言っていた。

「みんな……」

 奏多は俺の横に来ると、優しい笑顔で俺に言った。

「先生、私たちは笑顔で待つことにしたんです。剛が好きだって言ってくれた笑顔を守りたいから」

 俺の知らないところで、生徒たちは今回のことを自分たちなりにどう乗り越えるかを話し合っていたことを奏多から聞かされた。

「そう、だったんだな」

 それを聞いた俺は、なぜか心がモヤモヤとする。

 俺がいなくても、生徒たちはもう平気なのかもしれない……自分たちで考え、乗り越える力があるんだから。

 生徒たちは俺がこの施設に初めて来た時よりもはるかに大きく成長しているようだった。

 しかしそれに比べて、俺はあの時から何も変わっていないのかもしれない。

 俺は生徒たちを見つめながら、そう思っていた。

「先生? どうかしました?」

 ボーっとしている俺を心配したのか奏多が、俺の顔を覗き込む。

「いや、なんでもないよ。じゃあ授業の続きをしよう」

 奏多は様子がおかしい俺にきょとんとしながら、自席に戻っていった。

 そして生徒たちは中断していたそれぞれの勉強を再開した。



 その日の晩。俺は食堂へ行かなかった。

 ……いや、正確には行けなかった、だ。

 俺は自室のベッドで寝転びながら、これからのことを考えていた。

「俺はここにいるべきじゃないのかもしれない……」

 生徒たちを救うために俺はここへ来たはずなのに、救うどころか俺は生徒を傷つけてしまった。そして未来を奪ってしまったんだ。

 俺は何度も何度も自分の過ちを責めているが、そんなことをしても剛が戻ってくるわけじゃない。

「俺は、どうしたら……」

 俺は終わらない自問自答を繰り返していた。
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