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第2章 変動

第10話ー⑥ 人生の分かれ道

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 俺と奏多は、ベッドに並んで腰を掛けた。

 そして俺はそれからゆっくりと話し始める。

「俺は剛が受験勉強のために無理をしていたことを知っていたのに、何もしてやれなかったんだよ。あの時は俺みたいな教師になりたいって言ってもらったことが嬉しくて、目の前の剛のことが見えていなかったのかもしれない……」

 自分の中にある思いを俺は少しずつ、奏多に打ち明けていく。

 そして奏多は何も言わずに俺の話を聞いてくれていた。

「まゆおに剛が無理をしていることが心配だって言われていたのに、俺はこのまま見守ってくれなんて、無責任なことを言った……。あの時になんとかしていれば、もしかしたらこんなことにはならなかったかもしれなかったのに」

 俺は脚の上に両手で拳をつくり、悲しみを込めるようにその拳を強く握った。

「それは結果論に過ぎませんよ。誰もこんな運命が待っているなんて知りもしなかったんですから……」

 俺は奏多の言葉を遮るように答える。

「でも俺は……できるはずのことをやらなかった。俺は教師失格なんだよ……。それに研究所から戻った俺は、生徒たちに剛のことをどう伝えればいいのかがわからなかったんだ。本当のことを話せば、お前のせいだって責められるような気がして……」

 自分を守ることしか考えられなかったことへの恥ずかしさと怒りで、俺の身体が震える。

「俺が剛の話をした後に、生徒たちはみんな、剛は大丈夫だってそう言っていたよな。そんな姿を見ていたら、みんなは俺よりもずっと大きく成長していたんだってことに気が付いて……それで……」
「先生……?」

 俯いた俺を覗き込む奏多。

「……俺は研究所にいたあの頃から何にも変わっていないんだってことを思い知ったんだよ。俺は教師として、生徒たちに何もできていない。だったら、俺はここにいる意味ってあるのかなって思ってさ……みんなにはもう俺なんか必要ないのかもって……」

 それからしばらくの沈黙があり、奏多はため息をつくと、呆れた声で俺に言った。

「……先生は馬鹿、ですね」
「そう、だな……」

 馬鹿、か……。確かに奏多の言う通りだな。

 奏多はそんな俺の言葉を聞き、少々怒りながら俺に告げる。

「……みんながなんでここまで成長できたとお思いですか?」
「なんだろう。生徒同士の絆とかかな……」
「はあ。それもそうですけど、一番の理由は先生ですよ」

 奏多は俺の方を向きながら、そう言った。

 俺は奏多のその言葉に顔を上げ、奏多と顔を合わせる。

「俺、か?」
「ええ。それがわからない先生は、とんでもないお馬鹿です!」
「でも俺なんて、何にも……」
「先生がこの施設に来て、先生の言葉や行動でみんな救われたんですよ? 私もその一人です。もちろんキリヤや剛だってそう。だからみんなは先生に憧れ、先生のためにと行動ができるんです」
「そんなこと……」

 俺はただ自分のために、行動していただけなんだよ。

 そして俺は再び俯く。

 奏多はそんな俺の顔を覗きながら、その思いを語ってくれた。


「先生がいなければ、私たちはきっと過去の問題を解決できずに大人になったかもしれない。先生がいなければ、今の私たちもいなかったんです」

「俺は、そんな……」

「……私は先生に会えて、ほんとによかったって思います。好きなことを思いっきりやったらいいってそういってもらえなかったら、私は留学なんて考えなかった。先生が私の未来をつくってくれたんですよ!」


 奏多の言葉に俺は顔を上げた。


「俺が、奏多の未来を……?」

「そうです! だからこれから出会う生徒たちにも未来をつくってあげてほしい。それがきっと先生がここにいる意味だと私は思うのです。だから自分が必要ないなんて、そんなこと言わないでください……」

「生徒たちの未来をつくる……」

「剛はそんな先生の姿に憧れたのではないですか」


 奏多はそう言いながら、俺の顔を見つめた。


「……もしそうだったら、嬉しいな」

「では、先生は剛の憧れる先生であり続けないとですね。剛が目を覚ました時に恥ずかしい姿は見せられないでしょう?」

「そうだな……今のしょぼくれた姿を見せたら、本気の拳が飛んできそうだ」


 俺は奏多の言葉で自然に笑顔になっていた。

「それに私もそんな恥ずかしい人の隣にはいたくないですね!」

 奏多は意気揚々に言い放つ。

 俺はそんな奏多に、

「おいおい、隣にいる気満々なんだな」

 クスクスと笑いながら、そう答えた。

「ええ。私は先生のお嫁さんになるんですから!」

 そう言って、意地悪な笑顔をする奏多。

「じゃあ俺は、奏多が好きな俺でいなくちゃな」

 俺が真顔で伝えると、奏多は頬を赤く染める。

「先生……?」
「なんてな! ははは!」

 そして俺も意地悪な笑顔を奏多に向ける。

「もう!!」

 怒った奏多は俺の肩を叩いた。

「い、痛いって!!」
「先生なんて、もう知りません!」

 そう言って、そっぽを向く奏多。

 その姿を俺は微笑ましく思っていた。

「奏多、ありがとな。助かったよ」
「ふふふ。先生の助けになれて、光栄です」

 それから二人は見つめあい、そして微笑んだ。



 その後、奏多は自室へ戻っていった。

 一人になった俺は、研究所で言われたことを思い出す。

「『君らしくあれ』……所長や白銀さんがそう言ったのは、こういうことだったんだな」

 剛が目を覚ました時に、今よりももっと成長した教師になっていよう。

 俺は剛やみんなが憧れる存在でありたい。

 俺の存在がみんなの未来をつくることができるなら、俺は今の俺ができる精一杯のことをしよう。一人でも多くの子供たちの未来をつくるために。

 俺は決意を新たにして、職員室に置いてあるキリヤが持ってきてくれた食事を頬張った。



 翌日、俺は奏多のバイオリンの音で目を覚ました。

 そして奏多のところへ行く途中で、キリヤに出会う。

「キリヤ、おはよう」
「お、おはよう……」

 昨日のことがあり、キリヤの態度が少しよそよそしく感じた。

 昨日はキリヤにも迷惑をかけたし、俺が元通りになったことをちゃんと伝えないとな。

「昨日は食事を運んでくれてありがとな。それと心配させて悪かった。奏多から聞いたよ。俺の助けになりたかったって」

 それを聞いたキリヤは俯きながら、

「僕には何もできなかった。だから奏多に頼んだんだ。きっと奏多なら先生の助けになれるって思って。いつも助けてもらってばかりなのに肝心なところで役に立てなくてごめんね、先生……」

 悲しそうな声でそう告げる。

 俺はそんなキリヤに、微笑みながら答えた。


「そんなことないさ。キリヤがあの時、部屋に来てくれなかったら、俺はここを出て行っていたかもしれない。それに奏多を連れてこなかったら、俺の心は壊れていたかもしれないだろう」

「でも……」

「キリヤがいてくれたから、俺はここにいられる。だから、ありがとう。本当に助かったよ」

「うぅ……先生!」


 涙目になったキリヤはそのまま俺に抱きつく。

「ちょ、男同士それはやばいって!!」
「そんなの関係ない! 先生、ありがとう。大好き。僕、ずっとついていくよ!!」

 キリヤとの関係も元に戻り、俺たちはいつものように奏多のバイオリンの音を楽しんだのだった。



 今回の出来事は確かに苦い経験だったが、多くのことに気づかされた。

 ここが俺の人生の分かれ道なのかもしれない――
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