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短編(1話完結)

ぶちゃ猫のナイト〜猫を被った時の話

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面に何かが宿るという話は怪談話でよくある事だ。
能面とか海外から持ち帰った面に…とか。

あいにく俺には面なんか集める趣味はない。

面どころか骨董品も民芸物も、ホラー物品の収集癖もない。
だがら、そんな俺がそういう事に巻き込まれるなんて、思いもしなかったのだ。






「ほら!似合う!可愛いっ!!」

「おい、やめろよ!!」

彼女のアパート。
特に何をする訳ではなく、だらだら家デートをしていた時だった。

彼女が突然、俺に猫の被り物を被せてきた。
被り物と言っても、完全に顔が隠れるフルフェイスの物じゃない。
顔が出ていて顎で止める帽子みたいに被るやつだ。
某遊園地なんかによくあるアレだ。

外そうとすると止められ、物凄く不機嫌な顔になった。
まだ昼飯前だし、下手に機嫌を損ねると高い出前を取らされそうなのでムッとしたままおとなしくする。
バイトの給料日前にそれをやられると痛い。
今日はカップ麺でもいいから、出かけたり出前を取ったりせずにいたかったのだ。

俺がぶーたれながらもおとなしくしていると、彼女はにこにこ笑ってトントンと膝を叩いた。
これはもしや?!と思いゴロンとすると案の定、膝枕してくれる。
してと言っても嫌がられる事が多いのに、ラッキーだ。
してくれるなら猫の被り物なんていつでも被るぜ!俺は。
調子に乗ってニャーンと猫の真似をすると、彼女は笑ってよしよしと撫でてくれる。
お腹もトントンしてくれるので眠くなってきた。
大あくびをしながら彼女を見上げた。

「大きな猫たんですね~。可愛い~。」

「ネコ好きなんだっけ??」

「うん、実家ではずっと猫、飼ってたよ~。」

「雄??」

「うん。オカマちゃんだったけど。」

「おおう……。」

俺は思わず股間を押さえた。
動物を飼う上での責任やマナーはちゃんと理解しているが、やっぱり想像するとマイ玉がキュンとすくみ上がった。
彼女の猫のニャン玉に心の中で合掌する。
それをおかしそうに彼女が笑った。

「でもね……何か、いなくなっちゃったの。」

「え??逃げちゃったのか??」

「多分……。この前の連休、私、帰ったじゃん?」

「うん。」

「そしたらいなくて、家族に聞いても、いなくなって帰ってこないっていうだけで、いついなくなったとかはっきり言ってくれないし、いなくなったのに何で連絡してくれないのって言ってもはぐらかされるし……。」

「………そうか……。」

家で動物を飼っても、家族間でも温度差というのはあるものだ。
どうやら彼女の猫は、彼女以外には家族として認識されていなかったようだ。
寂しそうに笑う彼女がなんだか切ない。

「もう歳だったし、オカマちゃんになったとはいえ男の子だし。よく言うじゃん?動物は死に際になるとどこかに行っちゃうって。だからそれなのかなぁって。家族もそう思ってたみたいだし……。」

「そっか……。」

「そしたら昨日、この被り物と目があってさ~。不細工で目つきの悪い顔が何か、あの子によく似ててさ~。思わず買っちゃったんだけど、自分で被っても見えないでしょ??」

どうやらそれで俺に被せたらしい。
俺も小さい時に犬を飼っていて別れの悲しみは知っている。
しかもそれがいつかもわからず、生きているのか死んでいるのかもわからないと言うのは、気持ちの整理がつけにくいのだろう。
俺は黙って、彼女のしたいようにさせた。
撫でてくれる彼女の手は優しくて温かい。
トントンされながら、俺はそのうち眠ってしまった。






『てめぇっ!!どこのどいつだっ!!』

いきなり酷い濁声で罵倒されて、俺はびっくりして飛び起きた。
何だ?!何事だ?!
ガバッと起き上がると、彼女のアパートだった。
何か凄くいい匂いがする。

「あ、起きた??」

「え??あ、うん??」

さっきの濁声は何だったんだ??
キョロキョロするがそんな声を出しそうな人物はいない。
テレビがついていたので、その音だろうと理解した。

「ふふふっ、凄くよく寝てたから起こさなかった。」

「今何時??」

「もう夕方の4時だよ~。」

「えぇっ?!そんなに寝てたの?!俺?!」

「ここのところバイトずっと入ってたから、疲れてたんだよ。きっと。夕飯、食べてくでしょ?」

「え?!作ってくれたの?!」

「うん。有り合わせだけど。」

「スゲー嬉しい!!」

「どういたしまして。その代わり、バイト代が入ったら、焼肉連れてってね~。」

「高くない店の食べ放題で良ければ。」

「ん~、仕方ない。それで許してしんぜよう~。」

彼女はそう言って笑った。
我ながらいい彼女に出会えたなぁと思う。

早めの夕飯は、ご飯と麸の味噌汁と回鍋肉とこんにゃくの煮物、冷奴だった。

どれも旨いのだが、何かやけに冷奴が美味しく感じた。
それをおかしそうに彼女が笑う。

「うちの猫も冷奴、好きだったんだよねぇ。はじめは鰹節狙いでテーブルに登ってきて怒ってたんだけど、そのうち冷奴自体を食べたがってさぁ。」

「猫なのに??」

「そう!変な子でしょ?!仕方ないから醤油をかけないでちょっとだけお裾分けしたりしてたんだけどさぁ。」

彼女はにこにこと猫の話をする。
きっとそうやって思い出す事が今の彼女には必要なんだと思った。
そんな彼女の話を聞いて、俺も少しだけ犬の事を思い出していた。











彼女がいなくなったのは、それから1ヶ月くらいしてからだった。
大型連休の予定を聞いたら、猫もいないし、今はちょっと実家に行きたくないというので、二人で遊びに行く予定を立てていた。
俺は1日だけ実家に顔を出して、後は彼女と過ごすつもりでいたのだが、俺が実家に行く日に彼女も実家から母親の調子が悪いと呼び出され、顔を見に行く事になった。
俺の実家は車で1時間もあればつくが、彼女の実家は新幹線で数時間の後、バスで1時間もかかる。
だから気軽に日帰りで行って帰ってと言う訳にはいかない。

「ごめんね、せっかく色々予定を立ててくれたのに……。」

彼女は申し訳なさそうに言った。
その顔は連休の予定を潰してしまった申し訳無さの他に、何か不安を含んでいるように見えた。

「予定は別にいいよ。気にすんなって。それよりお母さん、なんともないといいね。」

「うん……。」

彼女は歯切れ悪くそう返事をした。
どうしたのかと思って聞いてみたが、曖昧に笑って大丈夫と言うだけだった。
何かあるんだろうけどよその家庭の事だし、彼女が話してくれるまでは無理に突っ込まないほうがいいのだろうと思った。

これを俺は後で、無理にでも聞いておけば良かったと後悔した。

結論から言えば、彼女はそれから帰って来なかった。

帰省して数日は電話が通じたが、やがてSNSでしか返事が来なくなり、そのうち音信不通になった。
電話をかけても「お客様のおかけになった電話番号は、現在、電波が悪いか電源が~」と言うお約束のメッセージが流れるだけ。
田舎で電波が届きにくいとも言っていたので、帰路につく時に連絡があるかなぁと待っていたが、結局、連休が終わっても連絡がつかなかった。
アパートにも行ってみたが、帰っている気配がない。
学校に行って彼女の友達にも聞いてみたが、やはり連絡がつかなくて心配しているようだった。

「何か……実家に帰るの嫌がってたのよ…あの子……。」

「うん。何か、家族が変になったとか……。」

何か心当たりがないか聞いてみると、ちょっと顔色を曇らせて話してくれた。

「変になった??」

「詳しくは私達もわからないのよ。聞いても困ったみたいに笑うだけで、大した事じゃないって言うし。そう言われると、こっちからあんまり突っ込んで聞くのも…ねぇ?」

友人たちも何か変だったと思ってはいたが、やはり突っ込んで聞けなかったようだ。
俺はどうしていいのかわからないまま、もう一度彼女のアパートに行った。
もらった合鍵で中に入るが、やはり帰ってきた様子はない。

「……どこいったんだよ…どうしたんだよ……。」

俺は途方に暮れ、暗い部屋の中で項垂れた。
そしてふと、足元にあの被りものが落ちている事に気づいた。
不細工で目つきの悪い猫の被りもの。
彼女の猫によく似ていると言っていたその被りものと目があった。

どうしてそんな真似をしたのかはわからない。
俺は何故か、その被りものをも拾い上げて頭に被った。


「遅せぇっ!!遅せぇんだよ!!てめぇっ!!」

「うわっ?!」


突然、いつか居眠りから叩き起こしてきた酷い濁声が聞こえた。
俺はびっくりしてあたりを見渡す。
当然だが誰もいないし、テレビもついていない。
訳がわからず、俺はキョロキョロするばかり。

「キョロキョロしてんじゃねぇ!!時間がねぇ!!とっとと俺を姫の所に連れて行けっ!!」

「姫?!と言うか!お前は誰だよ?!どこにいるんだよ?!」

「てめぇの頭の上だ!!ボケェっ!!」

そう言われ、俺は固まった。
そして恐る恐る、頭にかぶっているもふもふの猫の被り物を手に取った。

え??何??
これから声が聞こえてるのか?!

それを見つめてしばらく考える。
あ、うん、多分俺、疲れてるんだなぁ~。

はははと乾いた笑いを浮かべ、俺は被り物をテーブルに置いた。
そしてそのまま出ていこうとした。


「って?!ちょっと待ってくれ?!姫って彼女の事か?!」


はたと思い、俺は半信半疑になりながらも、恐る恐るまた猫の被りものを被った。

「話の途中で外すんじゃねぇっ!!このボケがっ!!」

相変わらず酷い濁声で罵倒される。
何なんだよ、これ?!
もういっそ、聞かなかった事にして外してしまいたい。

「また外そうとか思ってんじゃねぇっ!しばくぞっ!!」

「……うるせぇっ!!何なんだよ?!お前はっ!!」

「俺様は姫のナイトだっ!!さっさと俺を姫の所に連れて行けっ!!」

姫のナイト??
そう言われ、俺はちょっと考えた。
多分、姫っていうのは彼女の事だろう。
でもナイトって??

「……………あ、猫??」

「猫って言うな!!俺は姫のナイトだっ!!」

突然、バラバラだったパズルのピースが全部はまった。
彼女は猫を飼っていた。
最近、いなくなってしまった猫。
多分死んでしまったと思われる猫。

その猫の名前がナイトだった。

「………え?!ええええぇぇぇぇ?!化け猫?!」

「化け猫じゃねぇっ!!……まぁ…死んでんけどよ……。」

「ひいいぃぃぃ~っ!!」

「うるせぇっ!!死んでようとなんだろうと!この際、どうでも良いだろうが!!」

「よくない!よくないっ!!」

「うるせぇっ!!時間がねぇんだよ!!姫の身が危ねぇっ!!」

「え?!彼女が?!」

「だよ!!てめぇの事は気に要らねぇが!一事休戦だ!!姫を助けに行くぞ!!手伝えっ!!」

そう俺は不細工で目つきの悪い猫の被りもの…もとい、彼女の猫の幽霊であるナイトに導かれ、彼女を助けに行く事になった。









恋人が行方不明になって音信不通で、その彼女の身が危ないと言われたら、半信半疑の情報でも動かずにはいられない。
彼女を助けに行くのはいい。
その為になら何でもするつもりだ。
何でもするつもりだが………。

「……いったい、何の罰ゲームだよ…。」

俺は新幹線の座席に座り、俯いて顔を手で覆った。

「ママ!猫ちゃんっ!!」

「しっ!黙ってなさいっ!!」

座席を探す通りすがりの親子が、俺を好奇と哀れみの目で見て、足早に通り過ぎていった。
もう勘弁して……。

「諦めやがれ、ボケ。」

そう濁声が頭に響く。
諦めろじゃないよ、恥ずかしい……。

そう、俺はあれからずっと、猫の被りものをつけて行動している。
外そうとすると猫が怒るし、外してしまうと猫の声も聞こえないので仕方がないんだ。
仕方がないが、死ぬほど恥ずかしい。
何が悲しくて成人した男が、テーマパークでもないのにもふもふの猫の被り物をして過ごさなければならないんだよ……。

「もうヤダ……穴があったら入りたい……。」

「あ~、はいはい。」

彼女の猫は、とてもぶっきらぼうで口が悪い。
猫が言うには、家から彼女がいなくなった頃から、村に変な連中が増え始め、生きているうちは猫が家を守っていたのだが、そいつらに猫は殺された。
守りのなくなった彼女の家族はだんだんとそいつらに毒されていったのだそうだ。
そしてたちの悪い事に、たまたま帰省した彼女はそいつらの大本に目をつけられた。
村の中にあまり若い年頃の娘がいなかったからだと言った。
それってヤバイだろうと俺が言うと、彼女に目をつけたのは人間ではなくて人間の中にあるものを食う何かで、だからすぐにどうこうはされないだろうが、危ないのには変わりないと言った。
何の事だかよくわからないが、とにかく彼女の身が危ないのだ。

その後、とにかく彼女の実家に行かなくてはとバイト代を全て下ろし、新幹線に乗った。
その間、彼女の友達にも連絡をも取ったところ、やはり気になってその友人たちも色々調べてくれていた。
そこからもたらされた情報によると、彼女の実家近くには妙な新興宗教の施設がたち、住民と揉めていると言った話だった。
どうやら猫の言う妙な連中と言うのはその新興宗教の連中らしい。
人の信じるものにとやかく言うつもりはないが、それを無理やり人に押し付けたり、金品を要求したり、周囲に悪影響をもたらしたりするのはいかがなものかと思う。

そしてそれが単なる妄想の宗教ならまだいいのだが、猫の言っている感じだと、そこに妙な霊的なものが巣食ってしまっているらしい。
人の心の中にある何かを食っているもので、それをたくさん食べる為に、人の心を狂わせて増やしているのだそうだ。
その辺は俺にはよくわからない。
何しろ俺には霊感なんかない。
だからそんな話をされてもピンとこないし、信じようがない。
ただ何となくの感覚で、要はその変な宗教が人を洗脳していて、彼女の家族も洗脳され始めてて、そしてその教祖様みたいのが俺の彼女に目を付けて無理やり手に入れようとしているのだと思う。

とにかく時間がないのだ。
こうしている間にも、彼女がどうなってしまうかわからない。
猫が言うには、宗教の教祖だから無理やり何かをするのは角が立つため、とにかく今は彼女を洗脳している最中なのだそうだ。
洗脳して、自ら進んで教祖様の望むようになって貰おうとしているのだと。

「気色悪い……。」

今までも宗教で気持ちの悪い事件はニュースで見てきたが、まさかそれに自分や周りが巻き込まれるなんて思わなかった。
新幹線を降りてバスに乗った俺は、反吐が出そうな怒りを堪えていた。

「………ねぇ、お母さん。あのお兄ちゃん……。」

「しっ!!目を合わせたら駄目よ!!」

……畜生っ!!
猫の被り物のせいで、俺はシリアスにもなりきれず、俯いて頭を抱えたのだった。











バスが終点につく頃には、あたりはもう暗くなり始めていた。
猫に導かれるまま、俺は道を進んだ。
村はちょっと異様な有様だった。
あちこちに宗教の勧誘看板とそれに反対する住民の看板が立っていて、静まり返ったこの村の状況をよく物語っていた。

スマホを見ると、電波が弱い。
そして彼女の友人からのメッセージに目を通し、返事を打つ。

「今から彼女を助けに行きます……っと。」

すぐに一人ではやめた方がいいなどのメッセージが来たが、俺はそのままにした。
一人っていうか、彼女の死んだ猫が一緒なんだけれども。

彼女の友人たちはすぐに警察に相談してくれたらしい。
それがどれだけの意味を持つかはわからないけれども、何もしないよりはマシだろう。

「なぁ、本当に彼女はここにいるのか??」

「あぁ、近づいたからよくわかる。姫はこの中にいる……心が狂いだしてる家族が一緒だ。姫の心も疲れ果てて隙ができだしてる。急がないと巣食われちまう。頼むぞ、ボケ。」

「……ヤバいところ、全部俺任せなのに、ボケはないだろうが!ボケは!!」

「うるせぇ!!俺はもう、物理的に何かすんのは無理なんだよ!!変なもんからは守ってやるから!さっさと行けっ!!」

猫にそう叱咤され、俺は仕方なく新興宗教の施設に入り込んだ。








猫が開いている窓や人の有無等の指示を出しながら進んだので、上手く建物内に入り込む事が出来た。
その後も猫が隠れろとか、進めとか言ってくれるので信者などとも顔を合わさずに済んだ。

「………参ったな……。」

「え?!何だよ?!」

「姫の家族が側を離れねぇんだよ……。誰もいなくなった隙をつきたかったが、こりゃ無理だ。」

「ええええぇぇぇぇ?!じゃあ、家族には見つかるって事だよな?!」

「……お前に戦って倒せっつっても無理そうだなぁ~。」

「無理だな。俺、インドア人間だし。第一、彼女の家族に手を上げたら!後々問題になんだろ?!」

「まぁそうなんだけどよ……だが、このままにしておいたら、てめぇが結婚の挨拶する前に、姫は気持ち悪いおっさんの嫁にされちまうぜ?!」

「やっぱそっち系なのかよ!!」

「巣食ってる奴は、人の歪んだ欲望を喰ってんだよ。だからさらに歪んて悍ましい欲望を生み出させる為に、歪んだ欲望を叶えてやる。欲望が叶えば、さらに大きくてキモい欲望を抱くようになるからな。」

「………何なの?!その、巣食ってるものってのは?!」

「食物連鎖みてぇなもんだよ。人間が際限なく欲望を生み出すもんだから、それを食うものが必要になった。だが食ってるうちにそれは欲望そのものになっちまったっつうか……ええいっ!俺だってよく知らねぇよ!!ただの猫なんだからよ!!」

どうやら猫自身も相手をよく知らないらしい。
ただとにかく、彼女を助け出すには彼女の家族をどうにかしなければならないらしい。

「………なぁ。」

「何だよ??」

「お前が死んだのって、ここの奴らに殺されたんだよな??」

「まぁな。」

「でも、家を守ってたお前を、どうやって連れ出したんだ??」

「それは……。」

猫は言い淀んだ。
もしも俺の考えている事が合っていれば、それはとても悲しい事だ。
猫は答えない。
答えられないのだろう。

「一つだけ教えてくれ。家族が影響を受け始めたのは、お前が殺されてからなのか?それとも、殺される前からなのか??」

「…………前だ。」

俺は目を閉じた。
できればそうでない方が良かった。
だが、彼女の猫がいなくなった話から考えれば、恐らくそうだろうと思ったのだ。

「なら……お前は挨拶してこいよ……。お別れしてないんだろう??」

「……………あぁ、そうだな……。ちょっくら挨拶してくらぁ……。お前はその間に姫を連れ出せ。いいな?!」

「ああ。」

「その間、俺はこいつから離れる。だから手助けしてやれねぇ。いいな??」

「大丈夫。何とかするよ。」

「わかった。なら、姫を助けてからまた会おう。ボケ。」

猫は最後まで、俺をボケと言った。
ふわっと被りものが浮かんだ感覚があった。
実際は脱げたりはしていないのだが、そういう感じがしたのだ。

そして、猫が彼女はこの部屋にいると言っていた部屋から、叫び声とガタガタと暴れる音がした。
バンッと扉が開き、中から年配の男女が飛び出してきた。
恐らく彼女のご両親だろう。
走り去るその背を少しだけ見送り、俺は部屋に入った。

そこには椅子に縛られ、ぐったりした彼女がいた。
気を失っているのか意識がないが生きている。
俺はホッとすると縄を解き、彼女を背中に担いで部屋を逃げ出した。









来る時は猫が全部教えてくれたからなんて事はなかったが、帰りはそれがない。
彼女のご両親が大騒ぎをしたから彼女がいなくなった事に気づいたのだろう。
バタバタと信者らしき人たちが走り回っている。
俺は額を流れる汗を拭った。
一応まだ見つかっていないが、追い詰められてる感はあった。
どこに行けば安全に出られるかもわからないし、何しろ彼女を背負っている。
身軽にうごける状態じゃない。

どうしよう。
猫に大丈夫だと大きな事を言ったが、かなりヤバイ。
正直、動くのも大変だし、隠れていても見つかるのは時間の問題な気がした。
恐らく出口付近から人を配置したのだろう。
俺は彼女を背負って、奥に奥にと追いやられている気がしていた。
このままここにいても、このまま奥に進んてもマズイかもしれない。
俺は上がった息が落ち着くと、彼女を背負い直して動き始めた。








「見つけだぞ!!」

「捕まえろ!!」

俺はとうとう見つかった。
逃げたいが彼女を背負ってるので思うようには走れない。
行き止まりに追い込まれ、俺は信者達を睨んだ。
猫に彼女を任されたのになんてざまなのだろう。
悔しくて唇を噛んだ。

ジリジリと信者達の手が近づいてくる。
ここまでなのかと思った時、唐突に懐かしい匂いをかいだ気がした。


「ヴヴヴヴヴヴゥゥ……っ!!」


すぐ側から、低い唸り声が聞こえた。
周りが暗いし彼女の腕や足が邪魔で、下を見てもそこにいるそれを見る事ができない。

涙が出てきた。
その唸り声を俺はよく知っていた。

信者たちが引き攣った顔で後退っている。
唸り声は更に大きくなる。

「ヴヴゥ…ワンっ!!ワンワンワンっ!!」

そして噛みつかんばかりにそれは吠える。
ヒッと信者たちが仰け反った。

そして暗がりの中、何かが俺の足元から信者たちに向かって走り出した。

「うわあぁぁっ!!犬を連れてるなんて聞いてないぞ?!」

「どこから入ったんだ?!」

大型なその影は信者たちを蹴散らしていく。
その時、ふわっと猫の被りものが暖かくなった気がした。

「てめぇ……一人じゃ何もできねぇなぁ……。」

「ごめん……。」

「まぁいいさ、俺もお礼参りができたからよぉ。」

「そっか。」

「てめぇも後で感謝してやれよ?!あの犬、俺と違って、恨みつらみなんか持っちゃいねぇで、お利口さんに橋の前で待ってるようなタイプだからよぉ~。」

「うん……うん……わかってるよ………。」

「結構、大変なんだぜ?!ルールや流れに逆らうのはよぉ~。」

「うん……。」

もう見えているはずなのに、涙で目が滲んでちゃんと見えなかった。
でも見間違ったりなんかしない。

そして、建物全体に何か騒ぎが起き始めた。
何だろうと思っている俺の耳に、パトカーのサイレンが聞こえていた。

どうやら彼女の友達が呼んでくれたのだろう。
恐らくいきなり突入したり捜索が入るという事はないだろうが、心理的に大きなプレッシャーをかける事は出来ただろう。

「ほら、今のうちに逃げんぞ?!あのうるさい車に乗せてもらえ!!」

俺は猫に導かれるまま、またその施設を抜け出したのだった。











あれから5年経った。
学校を卒業して就職し、俺と彼女は同棲していてもうすぐ結婚する。

猫はあの後、どこかに行ってしまった。
被ってももう声は聞こえなかった。
気を失っている彼女に被せてやったっきり、もう、あの猫の被りものから声が聞こえる事はなかった。

あの時、彼女がボロボロだった事もあり、警察に保護してもらえた。
その時、不思議な話を聞いた。
ここまでの道のり、迷いやすい山道をパトカーを先導するように犬が走っていたのだと。
「君の犬かい?」と聞かれて、俺はただ頷いて号泣した。

そしてあの新興宗教だが、他にも色々問題を起こしていたので捜査が入り、解体された。
猫の言っていた「欲望を喰うもの」がどうなったのかは知らない。
また新たに歪んだ欲望を生み出すものを探して、この世のどこかにいるのかもしれない。

彼女のご両親は今、洗脳を解くリハビリを受けながら、どこかで暮らしている。
完全に洗脳が溶けるまで、お互いの場所は知らされてないらしい。
一応、結婚する事は知らせてある。
孫を見るまでに洗脳を完全になくしたいと返事をもらった。



そして何より……。

「ナイツ~、ご飯だよ~。」

彼女がにこにこと猫にご飯をやっている。
何となく不細工な目つきの悪い猫。
同棲を始めてすぐ、駐車場の側溝で死にかけていた子猫。
一生懸命看病した結果、あの今にも死にそうだった弱々しさはどこへやらふてぶてしく生きている。
生まれて日が浅い所で猫風邪にやられたので、鳴き声が物凄い濁声だ。

「ふふふっ、ナイツは本当、ナイトにそっくりだねぇ~。」

彼女はその猫が不細工で目つきが悪くて濁声な事を、とても可愛く思っている。
ナイツというのはナイトⅡ世の略だ。

でも俺は知っている。
こいつはナイトⅡ世なんかじゃない。

『あ~今日も俺の姫は可愛いなぁ~♡』

濁声で甘えた喋りをするので、俺は飲んでいたコーヒーを吹きそうになった。
そう言って濁声の主は食事を終え、満足げに顔を洗っている。

なぜだか、この濁声は俺にしか聞こえない。
はじめてこの声が聞こえた時はびびったし、頭にまた猫の被りものをしていない事を確認した。

『……にしても、結局、てめぇが姫の伴侶とか、ムカつくなぁ!オイっ!!』

『黙れ、玉なし。』

『フギャアァァァッ!!やめてくれって頼んだのに!!てめぇだって同じ男ならわかると思って頼んだのにっ!!フギャアァァァッっ!!』

『すでに彼女が予約済だったんだ、俺のせいじゃない。』

ふうっと体を膨らませて猫が威嚇してくる。
ふん、幽霊じゃなくなった以上、お前なんか怖くないわ!!

俺はチュールを隠し持ちながら、やんのかステップ可愛いなぁなんて思ってそれを見ていたのだった。
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