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短編(1話完結)
待ち人来たらず
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「そんなところで、何をしているの?ぼく?」
夏休み、おばあちゃんちに来ていとこたちとかくれんぼをしていたら、知らないおばちゃんにそう声をかけられた。
おばちゃんは白っぽいストライプの入った着物(今思えば浴衣だったのかもしれないが)を着て、アンティークな日傘をさして植え込みの中に隠れている俺を不思議そうに見ていた。
俺はその上品そうなおばちゃんに、慌てて「しぃ―!」と人差し指を口に当てて訴えた。
おばあちゃんはだいたいの状況を察したのだろう。
くすりと笑って、周囲を見渡した。
パタパタと足音が聞こえ、息を殺して俺は身を縮めた。
ゲラゲラ笑いながら、いとこのシゲちゃんがおばちゃんの横を走り抜けていく。
俺は目をつむり、シゲちゃんがいなくなるのをじっと待った。
生け垣の中とは言え、夏の太陽はジリジリと空気をパンを焼くトースターの中のように熱して、俺は何もしていないのにだらだらと汗をかいた。
暑さを拡張させるように、蝉の声が空気を振動させる。
「もう大丈夫。出ておいで?そんなところにいたら、チャドクガに刺されるよ?」
おばちゃんはそう言って手招きをした。
その時になって、やっと俺はおばちゃんをちゃんと見た。
おばちゃん、と言っていたが結構若かった。
お姉さんと呼んだ方が良いのかな?と悩んでいると、おばちゃんは口元に手を添えてくすくすと上品に笑った。
「そんなに汗をかいて……。水を飲まないと倒れてしまうよ?おばちゃんのお家が近くだから、良かったらおいで?」
おばちゃんが自分で「おばちゃん」と言ったので、俺は安心して立ち上がって、植え込みを出た。
懐からレースのついたハンカチを出して、おばちゃんはしゃがんで俺の汗を拭いてくれる。
この暑さの中、おばちゃんはあまり汗をかいておらず、なんとなくいい匂いがする気がした。
「ハンカチ、汚れちゃうよ?」
「いいのいいの。洗えばいいんだから。喉、乾いてない?」
そう言われ、俺は悩んだが素直に頷いた。
おばちゃんは笑って、俺の手をとって歩き出した。
もう、手を握ってもらって歩くような歳ではなかったが、不思議とそれが嫌ではなかった。
多分、おばちゃんが美人だったからだと思う。
「どこの子だい?見かけないわね?」
「かぜんどん??良くわかんないけど、ヒロおじいちゃん家の事、みんながそう呼ぶよ?」
「それはね、屋号って言うんだよ。そうか、ぼくはかぜんどんとこの子かい。……ヒロおじいちゃん?そうか……。時が経つのも早いわね。」
「おじいちゃんを知ってるの?」
「ここいらの子はみんな知ってるわよ?」
「俺はずっと住んでる訳じゃなくて、夏休みだから遊びに来たんだ。だからわかんなかったんだね!」
「そう言うことみたいね?」
おばちゃんはふふふと笑った。
気づくと、小さいがとてもモダンな庭のある家に着いた。
こんな家、あったっけ??
俺は首をひねった。
「あんまり目立たないようにね、細い道の奥に隠れて建っているのよ、このお家。」
「へぇ~。なんで??」
「おばちゃんも本当は遠くにお家があるの。でも体が弱いから、療養をするためにねここに住んでるのよ?」
「どっか悪いの??」
「ふふふ、さぁ?どうかしら??お父様とお母様が言うには、私には療養が必要なんですって。」
「ふ~ん??」
おばちゃんの話は、あまり良くわからなかった。
ただ、療養が必要だけど、病気な訳ではないんだなと思った。
おばちゃんは俺を縁側に座らせると、家の中に入っていった。
中がどうなっているか見たかったが、昼の太陽が明るすぎて、暗い部屋の中は、厚目のレースカーテン越しには良く見えなかった。
「どうしたの?」
「わっ!!ごめんなさいっ!!」
覗いているところを見つかり、思わず謝る。
おばちゃんはくすくす笑うだけで、怒ったりはしなかった。
お盆に乗った麦茶を縁側に置き、おばちゃんが渡してくれる。
「………っ!!何これ!?」
「麦茶だけど……、飲んだことないの?」
「うちの麦茶と全然味が違う!!」
「そうなの??」
おばちゃんの出してくれた麦茶は、凄く香ばしい匂いがして、味がないのに濃く感じた。
色はうちの麦茶とさほど変わらないのに何でだろう?
「これ、本当に麦茶??」
「そうよ?麦を煮て冷やしたやつよ?」
「麦を煮て冷やした??パックじゃなくて??」
「パック??」
なんだか話が噛み合わない。
おばちゃんはきょとんとしているし、俺もきょとんとしている。
顔を見合わせて、何故か笑ってしまった。
「おばちゃん、面白いね!その麦を煮て作る麦茶、お母さんに言えば作ってくれるかな!?」
「ん~?どうだろう?おばあちゃんに頼んだ方がいいかも。きっとお母さんはぼくと一緒で、知らないと思うもの。」
「わかった!おばあちゃんに頼んでみる!」
そう言った俺を、おばちゃんはにこにこと見つめている。
俺は麦茶を飲み干し立ち上がった。
「ごちそうさまでした!」
「はい。お粗末さまでした。もう帰るかい?」
「うん!かくれんぼの途中なんだ!みんな探してるかも。」
「そうかい。それなら……。」
おばちゃんは懐から、何か紙に包まれたものを出して、俺の手に握らせた。
開いて見ようとした俺の手を両手で包み、ぐっと握った。
「何?これ??」
「大事なもの。すぐに開いてはいけないよ?なくしてもダメ。」
「うん……。」
「ここを出たら、林の中の細い道をまっすぐ進むんだよ?そうすると田んぼの中の広めの道に出るから。出たら右に曲がってまっすぐ行きなさい。ずっと行くと、かぜんどんの家の近くに出るから、そこからはわかると思うわ。」
「わかった。」
「いい?寄り道はダメよ?あまり振り返ったりしないで、まっすぐ家に帰りなさい。」
「うん。」
「それでね?お家に帰ってみて、何か怖いことがあったら、これを開けなさい。いい?お家に帰ってからよ?じゃないと迷子になるから。」
「うん?」
「開けたら食べなさい。落雁ていうお菓子よ?ちょっとパサパサするけど、吐き出さずに飲み込むの。わかった?」
「うん……。」
「大丈夫よ、パサパサするけど、甘いお菓子よ?いいわね?」
おばちゃんは何か大事なことを言い聞かせるように、俺に話した。
俺は少し怖くなって、一生懸命、おばちゃんの言った事を覚えた。
「ありがとう。会えて楽しかったわ?」
「うん…。俺も。」
また会える?とは言えなかった。
なんだか会ったらいけない気がした。
今と言う時間が少し怖かったが、おばちゃんは怖いとは思わなかった。
むしろ、これからひとりで帰ることが怖かった。
どうしておばちゃんはついてきてくれないんだろうと思った。
「楽しいからって、遊びに夢中になりすぎたら駄目よ?倒れちゃうからね?」
「うん。気を付ける。」
「はい!なら行きなさい!早く帰らないと、ご飯食べ逃しちゃうわよ??」
そう言われ、何だかお腹が空いてきた。
思わず腹を押さえた俺を、おばちゃんがくすくす笑った。
「ほら!行った行った!!」
トン、と背中を押された。
俺は1度だけ振り返っておばちゃんに手を振った。
「ありがとう!おばちゃん!!」
「気を付けて帰りなさい!!元気でね!!」
おばちゃんも俺に手を振ってくれた。
俺は小走りに言われた道を進んだ。
林の小道を抜け、田んぼの道を右に曲がり、まっすぐ進む。
不思議と誰にも会わなかった。
あんなにカンカン照りだった空も、夕暮れの匂いをさせている。
早く帰ろう。
今日の夕飯は何だろう??
おばあちゃんは麦を煮る麦茶を知っているだろうか??
そんな事を思った。
気持ちが急いた分、いつの間にか駆け足になり、いつの間にか知っている道に出ていた。
そこからは簡単で、まっすぐおじいちゃん家に向かう。
「ただいまっ!!」
ガラリと引き戸を開けて、玄関で叫ぶが誰の声もしない。
何だろう??クーラーをかけて居間に皆で集まって、テレビでも見ているのだろうか??
「ただいまってば!!」
俺は靴をほっぽり投げながら脱ぎ捨て、土間を上がった。
長い廊下をずんずん歩きながら回りを見ても誰もいない。
今日は暑かったから、皆で居間にいるんだ。
おじいちゃん家は、居間にしかクーラーがないから。
俺はそう思って、居間のガラス戸を開けた。
「ただいまって言ってんじゃんっ!!」
ムカムカしながら叫んだが、そこにも誰もいなかった。
辺りはしんと静まり返り、何の音もしない。
ゾクッとした。
「お母さんっ!!ふざけてないで出てこいよっ!!」
家の部屋と言う部屋を、叫びながら探すが誰もいない。
何?何なの!?
「お母さんっ!!お母さんっ!!」
俺は泣き叫んだ。
でも、いくら泣いても叫んでも、誰も出てきてはくれない。
ふと、おばちゃんに言われた事を思い出した。
家に着いて怖いことがあったら、パサパサのお菓子を食べなさいって言ってた。
俺は藁にもすがる思いで紙を開いた。
中には白いような茶色いような、カタヌキのやつみたいなものが入っていた。
それは鳥が羽を広げて丸くなった形をしていて、古風なそのお菓子を俺はしげしげと眺めた。
匂いを嗅ぐと、微かに甘い香りがする。
俺は覚悟を決めて、それを口に放り込んだ。
じんわりとそれは舌の上でとけ、ほのかに甘い。
パサパサと言うより、ざらざらした感じで、確かに飲み込みにくかった。
何度も唾を飲み込むようにして、何とか全部を飲み込んだ。
ドドーンッ!!と大きな音がした。
部屋の中が稲光で一瞬、明るく照らされる。
ゴロゴロと言う音を聞いて、俺はびっくりして固まっていた。
「………あれ??」
確かに雷が鳴っている。
ゴロゴロと言う音も、激しい雨音もしている。
でも、見ている景色が違う。
「何で??俺、雷にビックリして倒れたのか??」
見ているのは天井だ。
おじいちゃん家の天井だ。
「よしくんっ!!気がついた!?大丈夫!?」
その声に目を向けると、お母さんが俺の手を握って泣きそうな顔をしていた。
大丈夫ってなんだ??
そう思ったら、頭がずきずき痛かった。
おでこには冷えるジェルシートが張られ、頭だけでなく身体中に保冷剤がくっ付けられている。
「よしくん!!気づいた!!」
何故か回りに皆、居たようで、わいわい騒いでいる。
どうやら居間に布団を敷いて寝かされていたようだ。
お父さんにゆっくり体を起こされ、冷たい経口保水飲料を飲ませられる。
確かにこれもいいけど、俺、お腹空いたな。
そんな事を思う。
その日は殿様待遇で、俺は食べたいと言った、出前の大盛りのカツ丼を頬張りながら話を聞いた。
俺はどうやら、熱中症で倒れていたらしい。
見つけたのはシゲちゃんで、植え込みを通りすぎたら、誰かに呼び止められたそうだ。
振り向いても誰も居なかったが、俺が隠れているような気がして植え込みの中を探すと、倒れている俺を見つけたらしい。
それからは大人を呼んできて、意識が朦朧とする俺を家に運んで、とにかく冷やしていたそうだ。
救急車を呼ぼうかと話していたら、俺が目を覚ましたと言っていた。
「変なの~。俺はおばちゃんに麦茶もらっただけなのに。」
「何いってるの!よしくん!!」
「大方夢でも見たんだろ?」
「スゲーうまい麦茶だったのに~。」
「麦茶なんてどれも味が変わんないわよ。」
「違うもん!麦を煮て冷やした麦茶!!」
「あらまあ、懐かしいわね?確かにあれは美味しいわよ。誰にもらったの?よしくん?」
「あのね、着物のおばちゃん。日傘さしてた。ふふふって笑うの。」
「どこの人だい??」
「やめてよ、夢の話でしょ!?」
「良くわかんない。療養?に林の奥の家に住んでるんだって!!ここらの子はみんな知ってるって言ってた。」
それに気味悪そうな顔をする人と、ああ、と納得した顔をする人と半々だった。
「るりさんだね?多分。」
「お父さん!!やめてよ!気持ち悪いっ!!」
「何よ、お姉ちゃん!!るりさんは気持ち悪くないわよ!!むしろ感謝しなさいよ!私の時と同じで!るりさん、よしくんの事、助けてくれたのよ!?」
何だか話が見えない。
後々、おばあちゃんが麦を煮て冷やした麦茶を飲ませてくれながら、教えてくれた。
戦争が終わった頃、この田舎に「るりさん」と言う良家のお嬢さんが療養の為に越してきたそうだ。
でも療養とは名ばかりで、るりさんが戦死した恋人を忘れられず、新しい縁談を断り続けたものだから、頭を冷やさせる為に、田舎に閉じ込めたらしい。
それでもるりさんは恋人を思い続け、やがて亡くなってしまったそうだ。
子供が好きな人で、家に招いてはお茶やお菓子をくれる人とだったらしい。
亡くなって屋敷も壊されたが、子供が川で溺れたり何か命の危険にさらされると現れて、その子があの世に行ってしまわないように引き留めて家に返してくれるらしい。
お母さんの妹のなるみおばさんも、子供の頃に溺れてるりさんに引き留められたそうだ。
「何で、おばちゃんはそんな事、してるんだろ??」
少しまだ熱い麦茶飲みながら、俺はおばあちゃんに尋ねた。
おばあちゃんは少し悲しそうに笑った。
「待ってる方の気持ちがわかるからだろうね……。」
「待ってる方の気持ち??」
「るりさんはね、ずっと待ってたんだよ、恋人の事を。だから、自分と同じように待ってる人が悲しまないように、ちょっとだけ手伝ってくれてるんじゃないかしらね?」
その時の俺にはまだ、その重さがわからなかったけれども……。
夏が来る。
ジリジリと空気を焼く音がする。
麦茶を飲みながら、いつもあの味を思い出す。
るりさんはまだあそこで、迷い込む子供たちの面倒を見ているだろうか?
それとも、待ち続けた恋人に出会えただろうか??
最近女性が日傘をさすのがトレンドになっている。
たまに見かけるレトロな日傘を見ると、おばちゃんじゃないかと思い、呼び止めたくなる。
あれが夢なのか何なのか、今でもずっとわからない。
ただ、麦茶の味だけは、今でも鮮明に覚えている。
夏休み、おばあちゃんちに来ていとこたちとかくれんぼをしていたら、知らないおばちゃんにそう声をかけられた。
おばちゃんは白っぽいストライプの入った着物(今思えば浴衣だったのかもしれないが)を着て、アンティークな日傘をさして植え込みの中に隠れている俺を不思議そうに見ていた。
俺はその上品そうなおばちゃんに、慌てて「しぃ―!」と人差し指を口に当てて訴えた。
おばあちゃんはだいたいの状況を察したのだろう。
くすりと笑って、周囲を見渡した。
パタパタと足音が聞こえ、息を殺して俺は身を縮めた。
ゲラゲラ笑いながら、いとこのシゲちゃんがおばちゃんの横を走り抜けていく。
俺は目をつむり、シゲちゃんがいなくなるのをじっと待った。
生け垣の中とは言え、夏の太陽はジリジリと空気をパンを焼くトースターの中のように熱して、俺は何もしていないのにだらだらと汗をかいた。
暑さを拡張させるように、蝉の声が空気を振動させる。
「もう大丈夫。出ておいで?そんなところにいたら、チャドクガに刺されるよ?」
おばちゃんはそう言って手招きをした。
その時になって、やっと俺はおばちゃんをちゃんと見た。
おばちゃん、と言っていたが結構若かった。
お姉さんと呼んだ方が良いのかな?と悩んでいると、おばちゃんは口元に手を添えてくすくすと上品に笑った。
「そんなに汗をかいて……。水を飲まないと倒れてしまうよ?おばちゃんのお家が近くだから、良かったらおいで?」
おばちゃんが自分で「おばちゃん」と言ったので、俺は安心して立ち上がって、植え込みを出た。
懐からレースのついたハンカチを出して、おばちゃんはしゃがんで俺の汗を拭いてくれる。
この暑さの中、おばちゃんはあまり汗をかいておらず、なんとなくいい匂いがする気がした。
「ハンカチ、汚れちゃうよ?」
「いいのいいの。洗えばいいんだから。喉、乾いてない?」
そう言われ、俺は悩んだが素直に頷いた。
おばちゃんは笑って、俺の手をとって歩き出した。
もう、手を握ってもらって歩くような歳ではなかったが、不思議とそれが嫌ではなかった。
多分、おばちゃんが美人だったからだと思う。
「どこの子だい?見かけないわね?」
「かぜんどん??良くわかんないけど、ヒロおじいちゃん家の事、みんながそう呼ぶよ?」
「それはね、屋号って言うんだよ。そうか、ぼくはかぜんどんとこの子かい。……ヒロおじいちゃん?そうか……。時が経つのも早いわね。」
「おじいちゃんを知ってるの?」
「ここいらの子はみんな知ってるわよ?」
「俺はずっと住んでる訳じゃなくて、夏休みだから遊びに来たんだ。だからわかんなかったんだね!」
「そう言うことみたいね?」
おばちゃんはふふふと笑った。
気づくと、小さいがとてもモダンな庭のある家に着いた。
こんな家、あったっけ??
俺は首をひねった。
「あんまり目立たないようにね、細い道の奥に隠れて建っているのよ、このお家。」
「へぇ~。なんで??」
「おばちゃんも本当は遠くにお家があるの。でも体が弱いから、療養をするためにねここに住んでるのよ?」
「どっか悪いの??」
「ふふふ、さぁ?どうかしら??お父様とお母様が言うには、私には療養が必要なんですって。」
「ふ~ん??」
おばちゃんの話は、あまり良くわからなかった。
ただ、療養が必要だけど、病気な訳ではないんだなと思った。
おばちゃんは俺を縁側に座らせると、家の中に入っていった。
中がどうなっているか見たかったが、昼の太陽が明るすぎて、暗い部屋の中は、厚目のレースカーテン越しには良く見えなかった。
「どうしたの?」
「わっ!!ごめんなさいっ!!」
覗いているところを見つかり、思わず謝る。
おばちゃんはくすくす笑うだけで、怒ったりはしなかった。
お盆に乗った麦茶を縁側に置き、おばちゃんが渡してくれる。
「………っ!!何これ!?」
「麦茶だけど……、飲んだことないの?」
「うちの麦茶と全然味が違う!!」
「そうなの??」
おばちゃんの出してくれた麦茶は、凄く香ばしい匂いがして、味がないのに濃く感じた。
色はうちの麦茶とさほど変わらないのに何でだろう?
「これ、本当に麦茶??」
「そうよ?麦を煮て冷やしたやつよ?」
「麦を煮て冷やした??パックじゃなくて??」
「パック??」
なんだか話が噛み合わない。
おばちゃんはきょとんとしているし、俺もきょとんとしている。
顔を見合わせて、何故か笑ってしまった。
「おばちゃん、面白いね!その麦を煮て作る麦茶、お母さんに言えば作ってくれるかな!?」
「ん~?どうだろう?おばあちゃんに頼んだ方がいいかも。きっとお母さんはぼくと一緒で、知らないと思うもの。」
「わかった!おばあちゃんに頼んでみる!」
そう言った俺を、おばちゃんはにこにこと見つめている。
俺は麦茶を飲み干し立ち上がった。
「ごちそうさまでした!」
「はい。お粗末さまでした。もう帰るかい?」
「うん!かくれんぼの途中なんだ!みんな探してるかも。」
「そうかい。それなら……。」
おばちゃんは懐から、何か紙に包まれたものを出して、俺の手に握らせた。
開いて見ようとした俺の手を両手で包み、ぐっと握った。
「何?これ??」
「大事なもの。すぐに開いてはいけないよ?なくしてもダメ。」
「うん……。」
「ここを出たら、林の中の細い道をまっすぐ進むんだよ?そうすると田んぼの中の広めの道に出るから。出たら右に曲がってまっすぐ行きなさい。ずっと行くと、かぜんどんの家の近くに出るから、そこからはわかると思うわ。」
「わかった。」
「いい?寄り道はダメよ?あまり振り返ったりしないで、まっすぐ家に帰りなさい。」
「うん。」
「それでね?お家に帰ってみて、何か怖いことがあったら、これを開けなさい。いい?お家に帰ってからよ?じゃないと迷子になるから。」
「うん?」
「開けたら食べなさい。落雁ていうお菓子よ?ちょっとパサパサするけど、吐き出さずに飲み込むの。わかった?」
「うん……。」
「大丈夫よ、パサパサするけど、甘いお菓子よ?いいわね?」
おばちゃんは何か大事なことを言い聞かせるように、俺に話した。
俺は少し怖くなって、一生懸命、おばちゃんの言った事を覚えた。
「ありがとう。会えて楽しかったわ?」
「うん…。俺も。」
また会える?とは言えなかった。
なんだか会ったらいけない気がした。
今と言う時間が少し怖かったが、おばちゃんは怖いとは思わなかった。
むしろ、これからひとりで帰ることが怖かった。
どうしておばちゃんはついてきてくれないんだろうと思った。
「楽しいからって、遊びに夢中になりすぎたら駄目よ?倒れちゃうからね?」
「うん。気を付ける。」
「はい!なら行きなさい!早く帰らないと、ご飯食べ逃しちゃうわよ??」
そう言われ、何だかお腹が空いてきた。
思わず腹を押さえた俺を、おばちゃんがくすくす笑った。
「ほら!行った行った!!」
トン、と背中を押された。
俺は1度だけ振り返っておばちゃんに手を振った。
「ありがとう!おばちゃん!!」
「気を付けて帰りなさい!!元気でね!!」
おばちゃんも俺に手を振ってくれた。
俺は小走りに言われた道を進んだ。
林の小道を抜け、田んぼの道を右に曲がり、まっすぐ進む。
不思議と誰にも会わなかった。
あんなにカンカン照りだった空も、夕暮れの匂いをさせている。
早く帰ろう。
今日の夕飯は何だろう??
おばあちゃんは麦を煮る麦茶を知っているだろうか??
そんな事を思った。
気持ちが急いた分、いつの間にか駆け足になり、いつの間にか知っている道に出ていた。
そこからは簡単で、まっすぐおじいちゃん家に向かう。
「ただいまっ!!」
ガラリと引き戸を開けて、玄関で叫ぶが誰の声もしない。
何だろう??クーラーをかけて居間に皆で集まって、テレビでも見ているのだろうか??
「ただいまってば!!」
俺は靴をほっぽり投げながら脱ぎ捨て、土間を上がった。
長い廊下をずんずん歩きながら回りを見ても誰もいない。
今日は暑かったから、皆で居間にいるんだ。
おじいちゃん家は、居間にしかクーラーがないから。
俺はそう思って、居間のガラス戸を開けた。
「ただいまって言ってんじゃんっ!!」
ムカムカしながら叫んだが、そこにも誰もいなかった。
辺りはしんと静まり返り、何の音もしない。
ゾクッとした。
「お母さんっ!!ふざけてないで出てこいよっ!!」
家の部屋と言う部屋を、叫びながら探すが誰もいない。
何?何なの!?
「お母さんっ!!お母さんっ!!」
俺は泣き叫んだ。
でも、いくら泣いても叫んでも、誰も出てきてはくれない。
ふと、おばちゃんに言われた事を思い出した。
家に着いて怖いことがあったら、パサパサのお菓子を食べなさいって言ってた。
俺は藁にもすがる思いで紙を開いた。
中には白いような茶色いような、カタヌキのやつみたいなものが入っていた。
それは鳥が羽を広げて丸くなった形をしていて、古風なそのお菓子を俺はしげしげと眺めた。
匂いを嗅ぐと、微かに甘い香りがする。
俺は覚悟を決めて、それを口に放り込んだ。
じんわりとそれは舌の上でとけ、ほのかに甘い。
パサパサと言うより、ざらざらした感じで、確かに飲み込みにくかった。
何度も唾を飲み込むようにして、何とか全部を飲み込んだ。
ドドーンッ!!と大きな音がした。
部屋の中が稲光で一瞬、明るく照らされる。
ゴロゴロと言う音を聞いて、俺はびっくりして固まっていた。
「………あれ??」
確かに雷が鳴っている。
ゴロゴロと言う音も、激しい雨音もしている。
でも、見ている景色が違う。
「何で??俺、雷にビックリして倒れたのか??」
見ているのは天井だ。
おじいちゃん家の天井だ。
「よしくんっ!!気がついた!?大丈夫!?」
その声に目を向けると、お母さんが俺の手を握って泣きそうな顔をしていた。
大丈夫ってなんだ??
そう思ったら、頭がずきずき痛かった。
おでこには冷えるジェルシートが張られ、頭だけでなく身体中に保冷剤がくっ付けられている。
「よしくん!!気づいた!!」
何故か回りに皆、居たようで、わいわい騒いでいる。
どうやら居間に布団を敷いて寝かされていたようだ。
お父さんにゆっくり体を起こされ、冷たい経口保水飲料を飲ませられる。
確かにこれもいいけど、俺、お腹空いたな。
そんな事を思う。
その日は殿様待遇で、俺は食べたいと言った、出前の大盛りのカツ丼を頬張りながら話を聞いた。
俺はどうやら、熱中症で倒れていたらしい。
見つけたのはシゲちゃんで、植え込みを通りすぎたら、誰かに呼び止められたそうだ。
振り向いても誰も居なかったが、俺が隠れているような気がして植え込みの中を探すと、倒れている俺を見つけたらしい。
それからは大人を呼んできて、意識が朦朧とする俺を家に運んで、とにかく冷やしていたそうだ。
救急車を呼ぼうかと話していたら、俺が目を覚ましたと言っていた。
「変なの~。俺はおばちゃんに麦茶もらっただけなのに。」
「何いってるの!よしくん!!」
「大方夢でも見たんだろ?」
「スゲーうまい麦茶だったのに~。」
「麦茶なんてどれも味が変わんないわよ。」
「違うもん!麦を煮て冷やした麦茶!!」
「あらまあ、懐かしいわね?確かにあれは美味しいわよ。誰にもらったの?よしくん?」
「あのね、着物のおばちゃん。日傘さしてた。ふふふって笑うの。」
「どこの人だい??」
「やめてよ、夢の話でしょ!?」
「良くわかんない。療養?に林の奥の家に住んでるんだって!!ここらの子はみんな知ってるって言ってた。」
それに気味悪そうな顔をする人と、ああ、と納得した顔をする人と半々だった。
「るりさんだね?多分。」
「お父さん!!やめてよ!気持ち悪いっ!!」
「何よ、お姉ちゃん!!るりさんは気持ち悪くないわよ!!むしろ感謝しなさいよ!私の時と同じで!るりさん、よしくんの事、助けてくれたのよ!?」
何だか話が見えない。
後々、おばあちゃんが麦を煮て冷やした麦茶を飲ませてくれながら、教えてくれた。
戦争が終わった頃、この田舎に「るりさん」と言う良家のお嬢さんが療養の為に越してきたそうだ。
でも療養とは名ばかりで、るりさんが戦死した恋人を忘れられず、新しい縁談を断り続けたものだから、頭を冷やさせる為に、田舎に閉じ込めたらしい。
それでもるりさんは恋人を思い続け、やがて亡くなってしまったそうだ。
子供が好きな人で、家に招いてはお茶やお菓子をくれる人とだったらしい。
亡くなって屋敷も壊されたが、子供が川で溺れたり何か命の危険にさらされると現れて、その子があの世に行ってしまわないように引き留めて家に返してくれるらしい。
お母さんの妹のなるみおばさんも、子供の頃に溺れてるりさんに引き留められたそうだ。
「何で、おばちゃんはそんな事、してるんだろ??」
少しまだ熱い麦茶飲みながら、俺はおばあちゃんに尋ねた。
おばあちゃんは少し悲しそうに笑った。
「待ってる方の気持ちがわかるからだろうね……。」
「待ってる方の気持ち??」
「るりさんはね、ずっと待ってたんだよ、恋人の事を。だから、自分と同じように待ってる人が悲しまないように、ちょっとだけ手伝ってくれてるんじゃないかしらね?」
その時の俺にはまだ、その重さがわからなかったけれども……。
夏が来る。
ジリジリと空気を焼く音がする。
麦茶を飲みながら、いつもあの味を思い出す。
るりさんはまだあそこで、迷い込む子供たちの面倒を見ているだろうか?
それとも、待ち続けた恋人に出会えただろうか??
最近女性が日傘をさすのがトレンドになっている。
たまに見かけるレトロな日傘を見ると、おばちゃんじゃないかと思い、呼び止めたくなる。
あれが夢なのか何なのか、今でもずっとわからない。
ただ、麦茶の味だけは、今でも鮮明に覚えている。
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