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短編(1話完結)

美しき水死体

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ある深海探査機が遺体を引き上げた。

その遺体はまるで眠っているかのようだった。
探査研究チームの面々も、見つけた時は時が止まったかのように言葉を失ったという。

真っ暗な深海の砂の上、眠る様にその遺体は横たわっていた。

彼らはそこが光の届かない深い深い海の底だと言う事すら、一瞬、忘れ、外に誰か寝ているようだから起こさなければと思った程だったそうだ。
それほどその遺体は美しく、不自然さなくそこにあった。

「この世で最も美しき水死体」

そのニュースは瞬く間に広がり、その映像を全世界の人々が見た。
それは遺体であるにも関わらず人々を魅了した。
それほど美しかったのだ。

水死体と聞くと目も当てられないイメージが強い。
しかしながらそれは、運良く浮かぶ事のできたご遺体だ。
見た目はともかく陸に帰れる。

しかし、もしも水に沈んでしまったら……。
深く深く、沈んでしまったら……。

遺体は二度と浮き上がらない。

そして深い水の底は水温が低いため腐敗が進まず、さらに水圧で体の膨張が抑えられる為、浮き上がることができないのだ。
水に沈んだまま体は組織が変性して死蝋化(蝋状あるいは石鹸状)し、数年、時には数百年も低酸素の環境でそのまま保存される事になる。

今回、引き上げられたご遺体もそういうものの一つだ。

歳は10代後半から20代前半の女性。
非常に美人だった。
高貴な身の上だったのか、エレガントなドレスを身にまとっていた。
死蝋化していた為、生化学的な分析は難しかったが、身につけていた衣類や装飾品から中世の貴族の女性であろうと鑑定された。

深海に眠りし美しき姫君。

彼女の美しさとミステリアスさに、メディアがこぞって取り上げ、ネットではその映像がコピーされあちこちに出回る。
どこでどんな人生を歩み、何故、長きに渡り深海で一人、眠る事になったのかと人々は想像した。
歴史研究家たちはそのロマンに惹かれ、科学者たちはそのメカニズムに大いに興味をそそられた。
数多の研究機関が彼女を欲しがり、全世界の博物館が彼女を欲した。
研究機関や博物館だけではない。
巨万の富を持つ者たちもまた、彼女に魅了された。

国や研究機関、そして富豪たちがありえない額で彼女の所有権を争う。
それをまたメディアが報道し人々は白熱していく。

そんな中、彼女が盗まれる事件が起きた。

盗んだのは、彼女を保管している施設の深夜警備員だった。
真面目でハンサムな若者で、皆からの信頼も厚い男。
数ヶ月後には結婚を控えていた。

そんな彼が、彼女を盗んだ。

『毎晩、彼女がこんな騒がしいところは嫌だと、何の音もない誰の目にもつかない深い海の底に帰りたいと泣く。私はもう、そんな彼女を見ていられない。だが、あんな寂しいところに一人で還すのは忍びない。』

そう手紙が残されていた。

人々は思った。
彼女があまりに美しいので、妄想に取り憑かれてしまったのだと。

数日後、彼女の収められた木箱と共に、警備員の遺体が上がった。
彼のフィアンセは泣き崩れ、両親は言葉を失った。

そうしてまた、彼女は厳重に保管された。

しかし……。

彼女の行く先々で、似たような事が起きた。
大金を叩いて手に入れた富豪も彼女と海の底に還ろうとして亡くなった。
引き取った研究所でも研究員が彼女を連れ去り、やがて海から遺体となって上がった。

その頃には、彼女をただ美しいと称えるより、謎めいた事件への関心の方が高まっていた。
メディアは報道を控えるようになったが、ネット上ではますます盛んに話題になるようになっていた。
その中には作り物なのか何なのか、彼女のすすり泣く声や、目を開けて話すものなど、真偽の程がわからないものも混ざっていた。

「……だが、それも今日で終わりだ。」

私は海底探査機で真っ暗な海の中を進む。
探査機の先には、彼女の入った棺がついていた。

毎晩、毎晩、彼女は泣く。

こんなにたくさんの人に見られる世界は嫌だと。
こんなに騒がれ続けていては眠れないと。

美しい瞼を震わせ、涙を零す。

もう耐えられなかった。
どうして皆、彼女を苦しめるのだ。
彼女はただ、静かに眠っていたいだけなのに。
何故騒ぎ立てる?
何故、好奇の目に晒す?

彼女はただ、静かに眠っていたいだけなのに……。

美しい顔が悲しみに沈み、堪えるように静かに涙を零す。
私はもう耐えられなかった。

水底が見える。
光の届かない真っ暗な水底が。

奇っ怪な姿の生き物が、時よりサーチライトを迷惑そうに横切る。
おかしな光り方をするクラゲがあざ笑うように点滅していた。

ここでいいだろう。
私はアームを操作して、棺を下ろそうとした。
保管用の木箱ではあんまりだと思って、彼女に相応しい立派な棺にしたのだ。
しかしそのせいか、私はバランスを崩した。
アームが海底に突き刺さり、運悪く岩に当たったのか、ガツン、と棺が跳ねた。

「……あっ!!」

蓋が開いてしまい、衝撃で彼女が外に出てしまった。
でも、そもそも彼女に棺は必要ないのだ。
私は重い水の中に飛び出してしまった彼女をぼんやりと見つめていた。

風に流れるように漂う髪。
その間から彼女の美しい顔が見えた。

彼女は……笑っていた。

この世のものとは思えない美しい顔が私に微笑みかける。


『ねぇ……来て……。一人は寂しいわ……。』


……………………。

ああ、それもそうだ。

こんな真っ暗でへんちくりんな生き物しかいない場所に、彼女を一人にする訳には行かない。

私は彼女に微笑み返すと、操縦席を離れた。
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