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短編(1話完結)

ミラーハウスの怪異

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 そのミラーハウスには怪異がいるという。
もしも出会ってしまうと、鏡の世界に連れさらわれてしまうというのだけれども……。

「……どうした?答えろ。」

今、私達の前にはその怪異が姿を現している。
薄暗い部屋の中。
無数の鏡に囲まれたここは広いのか狭いのか測りきれない。
入ってきた場所がどこか出口はどこか、いや、天地さえ定かにならず、まるで宙に浮いているような錯覚すら覚える。

「……答えられないのか?」

威圧的な声が冷たく言い放つ。
私達の前、いや、周囲の無数のガラスの中、その怪異は無言でこちらを見つめている。
私は彼氏の腕にしがみつきながら、ドギマギしてそれを見ている事しかできない。

「答えろと言っているんだ。ミラーハウスの怪異。」

タジリ、と鏡の中の怪異が後退った。
そう、さっきから威圧的な声で質問しているのはミラーハウスの怪異じゃない。

私の彼氏だ。

「いいか?そもそも、鏡というのは可視光線を反射する部分を持つ物体の総称だ。つまり、光の反射を人間の目が認識しているのだ。光が何か解るか?光は光線、広い意味での電磁波の一つだ。その中で人間が認識できるものが可視光線。つまり光は電磁波なのだから、鏡にぶつかって跳ね返るまでに時差がある。今、夜空に輝く星の光が何年何千年と前のものだというだろう?合わせ鏡は、AとB、向かい合った鏡同士が一度跳ね返った光を移した像を更に反射し、その反射された物をまた像を反射している。この行ったり来たりするのに時差があるのだ。解るか?理解したか?」

無言の怪人。
恐らくミラーハウスの最深部だろうその薄暗い空間に入り、出口も入り口も上も下もよくわからない場所で、ヌッとそれが現れた時は恐怖に固まった。
だが、淡々と科学的見地を述べる彼を前にした怪人は、申し訳ないがあまり怖くなくなってきた。
白黒の古びたピエロの様な姿も何と言うか……。
昭和って感じ。

「その為、合わせ鏡は特殊相対性理論の思考実験に使われ、鏡の間を反射する光を計測して作られたと定義する光時計を使って、速度による時間の遅れを説明したりするのだ。」

怪人の仮面みたいな顔は全く表情がない。
だから何を考えているかはわからないけれど、なんとなく戸惑っている気がする。
それは多分、私が彼が何言ってるかよくわからないせいなんだとは思うけれど。

私の彼は「変人」と皆から言われる。
一応、頭は良い人で、友達に話すと羨ましがられるようないい大学に行ってる。
でも、一度でも彼に会うと、「よくアレと付き合えるね?!」と言われる。
確かに変わってるし、よくわからない難しい話が多いけど、どんな相手にだって態度を変えない。
基本的には礼儀正しいし、自分が話すと浮くってのをよく知ってるから、人前では普段は無口だ。
平気に見えるけど、自分の思った事を口にして、人から怪訝な顔をされ避けられる事に彼だって傷ついてる。
彼がこうやって口達者になる時は、同じ分野の知識のある人と話している時と、そうやって一生懸命な彼が好きで、わからなくてもそれを笑って聞いている私の前。

そして、理不尽な扱いを受けた時だ。

「何故黙っている?ミラーハウスの怪異?俺はこれがどういう状況なのか説明しろと言っただけだ。……まさか、自分でわかっていないのか?」

彼の言葉に、怪異が少し苛立った様な気がした。
私がぎゅっと彼にしがみつくと、彼はこちらに顔を向け、微笑んでくれた。
そして安心させる様に肩を抱き寄せてくれる。

「いいか?今現在、俺の認識している時間には俺と彼女しかいない。しかし鏡にはお前も写っている。今という時間にお前という存在が可視光線を反射させて同時に鏡に写っている事になる。それはどういう事だ?それがフォログラム等の遊園地の演出でないというのなら、どういう理屈でお前はそこに写っている?それを説明しろと言っているんだ。だいたいなんだ?鏡の中に閉じ込めるというのは?さっきも言ったが、鏡というのは可視光線を反射する部分を持つ物体の総称だ。その中に物体を閉じ込めるというのは意味がわからない。鏡に写っているのは像だ。光がこちらに当たり反射し、それが鏡に反射され、視野で映像として認識しているのだ。鏡に写っているのは像であって俺達という物体ではない。それをどうやって鏡に閉じ込めると?きちんとわかるように説明してくれるか?」

怪異は黙っている。
はじめ、楽しげに私達を怖がらせようと嘲笑っていた勢いは今はない。
ただ無言で苛立たしげに私達を見ている。
そんな怪異に彼は飽きれたようにため息をついた。

「自分がどうやってそこにいるのかわからないようだから、この短い時間に得られた情報だけで立てた、俺の適当な仮説を少し話そう。おそらくだが、これは時間軸のねじれではないかと思う。今という時間。この場にいるのは俺と彼女だけだ。だから本来なら俺と彼女しか鏡には映らないはずだ。だがどういう訳か別の時間に鏡に映っていたお前の姿が同時に反射され、俺や彼女の視野がお前の姿を認識している。要するに過去にいるお前の姿が、何故か今、この時間軸に俺達と同時に反射されているという仮説だ。」

それはつまりどういう事だろうと首をひねる。
怪異の方もそんな感じなのか、だからつまり?という様に首を少しだけ傾げた。

「星の光が遅れて届くように、過去にお前に当たって反射された光がどういう理屈か、今、鏡に届き俺達と同時に反射されている。星の光に時差があるのは距離の問題だ。光線ですらそれだけの時差ができるという程の距離があるからだ。だが、この現象は閉ざされた部屋の中で起きている。今現在、ここにいないはずのお前の像、つまりお前に当たって反射された光が今、鏡に反射されている説明は距離では不可能だ。なら何が違えばそれが同時になるのか?光速度不変の原理から、光の速さは変わらない。同速度である光が鏡に到達し反射されているのなら、おかしいのは時間だ。」

淡々と自分の仮説を話していく彼。
話はよくわからない。
怪異も、よくわからない理論で自分の存在を定義されている事が気に食わないのか、苛立った雰囲気を強めている。
ピシッと鏡の一つが大きな音を立ててひび割れた。

「キャッ?!」

思わず声が出て身を縮める。
そんな私を彼は強く抱きしめながら、反対の手を思いっきり何もない空間に振り上げた。

「まだ話は終わっていない!!」

彼の視線は目の前の鏡から動かない。
そのまま振り上げられた拳が空を斬った。

「?!」

バンッ!と大きな音を立て、何かが鏡の壁にぶつかった。
たくさんの像がそれに影響されて揺れた。
彼の腕の中、私はキョロキョロと辺りを見たが、私達以外、何もない。
けれど確かに何かが、この部屋を取り囲む鏡にぶつかった。

鏡の中、怪異が何が起きたのかわからない様子で座り込んでいる。

「……礼儀のなっていない怪異だ。人が話している時は静かに聞くもので、質問がある時は断りを入れるべきだ。」

怪異の仮面の表情は変わらない。
けれど酷く唖然としているのはわかった。
そんな怪異にフンッと彼は鼻で笑う。

「鏡の反射される像から、お前の位置は計算済みだ。たとえ現在のこの場所にお前がいなくとも、この像の示す位置、過去のお前がこの部屋のどの辺りにいるかはすでに把握済みだ。」

ギョッとする怪異。
彼は続ける。

「何を驚く?今、時間に歪みができて、過去のお前が鏡に映っている。この場はどういう訳か、過去と現在が混在しているのだ。現在にいる俺達に過去のお前は見えなくとも、鏡に映っている以上この場にお前はいる。時間は違えど、そこにお前はいる。」

鏡の中、ゆっくりと立ち上がる怪異。
それはすでに苛立ちを通り越して怒っていた。

「……まさかお前、相手に鏡の像しか見えない事が、自分だけの特権だとでも思っていたのか?見えなくても、理論上そこに存在していると定義されているものなど、この世にはいくらでもあるというのに?」

ピシッとまた鏡に亀裂が入る。
鏡の中の怪異が大きく膨らんだように見えた。
それから目を離さず、鏡の像を見ながら彼は私を背後に庇いながら、何かを殴る仕草をした。
ボコッと音がして鏡の中の怪異がよろめく。
そこからは彼の独壇場だった。

「なんだ?自分がボコられるとは思ってなかったようだな?皆が皆、鏡に映った像に惑わされる訳じゃない。今までは鏡に映った像に惑わされ、見えないが実際はそこにいるであろう本体を攻撃してくるヤツはいなかったのだろう?それをいい事にお前は好き勝手していたようだが、今日はそうは行かないぞ?」

実際には目には見えないが、鏡の像では、彼が怪異をとっ捕まえてボコボコにしている。
怪異の方は彼の言うように、それまでそんな目にあった事がなかったのだろう。
予想だにしていなかった展開についていけておらず、うまく抵抗する事もできないようだ。
彼は鏡を見ながら、実際には見えない怪異を締め上げた。

「解るか?これが物理だ。」

彼がどの部分を指して「物理」と言ったのかはわからない。
けれど怪異はコクコクと頷いている。

「現象を理解もせず、状況がたまたま自分にとって有利だったから利用していたようだが、今後は少し考えた方がいい。とはいえ、これがとても興味深い現象である事は確かだ。これから暫くここに通って、この現象についてよく調べようと思う。」

彼の言葉に、怪異はかなり動揺しているように見えた。
しかし彼は怪異を掴んだまま離さない。

「そういう訳だから、俺が来た際には姿を表すように。」

にっこり笑う彼。
怪異はその手が離れた瞬間、シュルっと全ての鏡の中から姿を消した。



帰り道、彼は私の手を握りながらずっとブツブツ言っている。
何か難しい事を考えているみたいだ。
私はその邪魔をしないよう、夕飯はどうしようかなと考えていた。

「……アイツ、次行った時、ちゃんと出てくるだろうか?」

私は正直、もうあの怪異があそこに出てくる事はないだろうなと思ったけれど、出てくるといいねと言っておいた。
そんな私を気遣うように彼が頭を撫でてくれる。

「ゴメンな?あんなのにいきなり腕を掴まれたりして怖かっただろう?」

「うん。でもこーくんがすぐ助けてくれたし。」

そう、彼があんなにも怒っていたのは、彼女である私が怖い思いをさせられたからだ。
彼は難しい事も言うけれど、普通の優しい人だ。
私は彼の腕にぎゅっと抱きついて微笑む。

「守っくれてありがとう。「物理」って最強だね!」

私の言葉に、彼は満足そうに笑った。
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