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1、2週間ほど経った日、母と2人で祖母のお見舞いに行った。今日は大雨で花粉はあまり飛んでいないだろう。緊張しながら病室のドアを開けると、天井を見つめている祖母が横になっていた。
「お義母さん、連れてきましたよー!」
と母が声をかける。目がこちらを向いた。その目はこの前の祖母と同じグレーだったが、正気を感じられるグレーだった。
「おばあちゃん」
とできるだけ声を大きく出して手を振る。祖母はこちらを見て笑顔でうんうんと頷いていた。それを見て、やっとこの人は私が大好きな祖母であるということを実感した。前回会ったときは祖母だと認識することを脳が阻害していたが、今回は違う。白髪混じりだった髪が白髪一色になり伸びきっていても、高くて良く通る声が出せなくなり私の名前を呼ぶことができなくても、この人は私の祖母であると認識できた。
「なんか話しなさいよ」
と母に言われるも、何を話せばいいんだかわからない。ふとベット脇を見ると、最近撮ったとしか考えられない祖父母の写真が貼ってあった。そこには家の前で立って笑っている祖父母がいた。
「これいつの写真?」
と母に尋ねる。
「あーいつだろ、でも最近じゃない?おじいちゃん見た目ほとんど変わってないし」
と答えた。恐らく2年前くらいの写真だろう。2年しか経っていないのに祖母はこんなに変わってしまったのか。変わらないのは祖母の固まった顔の奥にある笑顔だけだった。
「もう就職なんだよ、早いよねぇ」
と私のことを話す。祖母は私をじっとみて深く頷く。その頷きには私が大人になったことをしみじみ思う気持ちと、私の結婚式を見ることができないんだという悲しみを感じられた。
私には社会人の恋人がいて、卒業したらすぐに結婚する予定でいる。私は式を挙げる気は全くなかったが、母の
「おじいちゃんおばあちゃんに花嫁姿見せなくちゃでしょ」
という言葉から神前式ならと考えていた。それが私の卒業まで持たないらしいと悟ると絶望的な気持ちになった。花粉が飛ぶはずのない大雨の日、祖母の病室で私は涙を流した。祖母に見られないようになるべく離れていた。
面会終了時間になり、
「また来週来るからね!」
と母が言って部屋を出ていく。何か声をかけたかったが、声が震えて何も言えずに病室を出た。
その後、祖父が待つ祖父母の家に向かう。
その車内で、母に
「あんたが統合失調症なのはおじいちゃんたちには言わないからね」
と言われた。
「別にいいよ」
と無愛想に答える。
「統合失調症は怖いからねぇ…充分死んじゃう病気だよ。あんたは早くわかってよかったよ」
と母は語る。
「幻聴はあったよ昔から。中2くらいから」
「そうなの?」
「言わなかっただけだよ。頼れるのは自分だけなんだから」
と母を突き放すように言った。母は昔の私を助けようとしてくれなかった。Mのことばかりで私のことを見てくれなかったのを私は忘れない。許せないのはいじめてきた中学時代の同級生だけじゃないんだけど、と思いながら窓の外を眺めていた。
祖父母宅に到着した。
「よく来たねぇ!お茶とお菓子用意してあるよ!」
と出迎えてくれる。
「お義母さんにこにこしてましたよ~、少し元気になってる感じでした」
「そうかそうか、少しは食べれてるのかなぁ」
「美味しい物食べてる?って聞いたらううんって言ってたからあんまり食べてないと思いますよ」
「そっかぁ、まぁ笑えてるなら少しは良いな」
と祖父と母は祖母について話している。私はそれを聞きながらお茶菓子を食べていた。久しぶりに食べる和菓子の味に時間の流れを感じた。
祖父母は和菓子屋を経営している。祖母が入院してからも祖父は営業を続けている。昔から祖父母の味が大好きだった。祖父が作る和菓子の味も、祖母が作るコロッケの味も、母の料理の味以上におふくろの味で、失いたくないと思っていた。祖母のコロッケの味はもう失ってしまった。祖父がまだ元気なうちに和菓子のレシピを教わっておこうと強く思った。もちろん私は和菓子を作れない。でも、レシピを遺しておくことが大切だと感じたのだ。
「Aさんのところのお義父さんはどうなんだい?」
「介護1です」
「1なんだね、母さんは5なんだわ。お義父さんの介護も大変でしょう」
「妹がかなり参ってます。でも施設に入れたくないみたいなんです」
祖父と母が今度は母方の祖父の話を始めた。そういえば母方の祖父母にも何年会ってないだろうか。母方の祖父母は遠方に住んでるから父方の祖父母ほど愛着はないが、やはり可愛がってもらっていた記憶はある。従兄弟一家は嫌いで会いたくないから母方の祖父母に会いに行きたいと思ったことはあまりないが、図書館並みに本が沢山ある家で、楽しい場所だった。祖父は耳が遠いし同じ話を何度もするしその話はつまらないけれど、お酒が好きな人だ。私はどんなに呑んでも酔っ払わない。だからささやかな祖父孝行として祖父と一緒に日本酒を飲むことを夢見ていた。それすら叶わないのかと自分の若さを呪うのだった。
「今の時期は人間も弱くなるんだ」
と祖父が語り始めた。若葉が出る季節はそういうホルモンが出てみんな元気がなくなるという。
「だからお姉ちゃんが支えてあげてな、Mもそういう時期なんだ」
と祖父が言った。心にもない「うん」という返事をした。統合失調症の私に引きこもりの弟を助けてやれと言うのはひどい話だ。私の人生はなんなのだろう。「私」を見てくれた祖母を失いかけてる私には、自分の人生がわからない。就職活動が上手くいかない理由もそれなのだろう。私は自分のために生きてこなかったのだなと思った。
「まぁ、もう少し持ちそうで良かったよ。あと1ヶ月くらいかねぇ」
と祖父が言った。そのカウントダウンは私には重たすぎた。
「また来てね」
と祖父が見送ってくれる。大雨と季節外れの寒さで花粉なんて飛んでそうになかった。涙を誤魔化すためにわざと雨に濡れた。
「お義母さん、連れてきましたよー!」
と母が声をかける。目がこちらを向いた。その目はこの前の祖母と同じグレーだったが、正気を感じられるグレーだった。
「おばあちゃん」
とできるだけ声を大きく出して手を振る。祖母はこちらを見て笑顔でうんうんと頷いていた。それを見て、やっとこの人は私が大好きな祖母であるということを実感した。前回会ったときは祖母だと認識することを脳が阻害していたが、今回は違う。白髪混じりだった髪が白髪一色になり伸びきっていても、高くて良く通る声が出せなくなり私の名前を呼ぶことができなくても、この人は私の祖母であると認識できた。
「なんか話しなさいよ」
と母に言われるも、何を話せばいいんだかわからない。ふとベット脇を見ると、最近撮ったとしか考えられない祖父母の写真が貼ってあった。そこには家の前で立って笑っている祖父母がいた。
「これいつの写真?」
と母に尋ねる。
「あーいつだろ、でも最近じゃない?おじいちゃん見た目ほとんど変わってないし」
と答えた。恐らく2年前くらいの写真だろう。2年しか経っていないのに祖母はこんなに変わってしまったのか。変わらないのは祖母の固まった顔の奥にある笑顔だけだった。
「もう就職なんだよ、早いよねぇ」
と私のことを話す。祖母は私をじっとみて深く頷く。その頷きには私が大人になったことをしみじみ思う気持ちと、私の結婚式を見ることができないんだという悲しみを感じられた。
私には社会人の恋人がいて、卒業したらすぐに結婚する予定でいる。私は式を挙げる気は全くなかったが、母の
「おじいちゃんおばあちゃんに花嫁姿見せなくちゃでしょ」
という言葉から神前式ならと考えていた。それが私の卒業まで持たないらしいと悟ると絶望的な気持ちになった。花粉が飛ぶはずのない大雨の日、祖母の病室で私は涙を流した。祖母に見られないようになるべく離れていた。
面会終了時間になり、
「また来週来るからね!」
と母が言って部屋を出ていく。何か声をかけたかったが、声が震えて何も言えずに病室を出た。
その後、祖父が待つ祖父母の家に向かう。
その車内で、母に
「あんたが統合失調症なのはおじいちゃんたちには言わないからね」
と言われた。
「別にいいよ」
と無愛想に答える。
「統合失調症は怖いからねぇ…充分死んじゃう病気だよ。あんたは早くわかってよかったよ」
と母は語る。
「幻聴はあったよ昔から。中2くらいから」
「そうなの?」
「言わなかっただけだよ。頼れるのは自分だけなんだから」
と母を突き放すように言った。母は昔の私を助けようとしてくれなかった。Mのことばかりで私のことを見てくれなかったのを私は忘れない。許せないのはいじめてきた中学時代の同級生だけじゃないんだけど、と思いながら窓の外を眺めていた。
祖父母宅に到着した。
「よく来たねぇ!お茶とお菓子用意してあるよ!」
と出迎えてくれる。
「お義母さんにこにこしてましたよ~、少し元気になってる感じでした」
「そうかそうか、少しは食べれてるのかなぁ」
「美味しい物食べてる?って聞いたらううんって言ってたからあんまり食べてないと思いますよ」
「そっかぁ、まぁ笑えてるなら少しは良いな」
と祖父と母は祖母について話している。私はそれを聞きながらお茶菓子を食べていた。久しぶりに食べる和菓子の味に時間の流れを感じた。
祖父母は和菓子屋を経営している。祖母が入院してからも祖父は営業を続けている。昔から祖父母の味が大好きだった。祖父が作る和菓子の味も、祖母が作るコロッケの味も、母の料理の味以上におふくろの味で、失いたくないと思っていた。祖母のコロッケの味はもう失ってしまった。祖父がまだ元気なうちに和菓子のレシピを教わっておこうと強く思った。もちろん私は和菓子を作れない。でも、レシピを遺しておくことが大切だと感じたのだ。
「Aさんのところのお義父さんはどうなんだい?」
「介護1です」
「1なんだね、母さんは5なんだわ。お義父さんの介護も大変でしょう」
「妹がかなり参ってます。でも施設に入れたくないみたいなんです」
祖父と母が今度は母方の祖父の話を始めた。そういえば母方の祖父母にも何年会ってないだろうか。母方の祖父母は遠方に住んでるから父方の祖父母ほど愛着はないが、やはり可愛がってもらっていた記憶はある。従兄弟一家は嫌いで会いたくないから母方の祖父母に会いに行きたいと思ったことはあまりないが、図書館並みに本が沢山ある家で、楽しい場所だった。祖父は耳が遠いし同じ話を何度もするしその話はつまらないけれど、お酒が好きな人だ。私はどんなに呑んでも酔っ払わない。だからささやかな祖父孝行として祖父と一緒に日本酒を飲むことを夢見ていた。それすら叶わないのかと自分の若さを呪うのだった。
「今の時期は人間も弱くなるんだ」
と祖父が語り始めた。若葉が出る季節はそういうホルモンが出てみんな元気がなくなるという。
「だからお姉ちゃんが支えてあげてな、Mもそういう時期なんだ」
と祖父が言った。心にもない「うん」という返事をした。統合失調症の私に引きこもりの弟を助けてやれと言うのはひどい話だ。私の人生はなんなのだろう。「私」を見てくれた祖母を失いかけてる私には、自分の人生がわからない。就職活動が上手くいかない理由もそれなのだろう。私は自分のために生きてこなかったのだなと思った。
「まぁ、もう少し持ちそうで良かったよ。あと1ヶ月くらいかねぇ」
と祖父が言った。そのカウントダウンは私には重たすぎた。
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