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第八話
しおりを挟むその夜以降、三日と開けずにミスラはヒイシの元に通うようになった。
国王たる兄が帰国するまでは子どもが出来ても困るため、ヒイシには常に飴玉のような甘い避妊薬が渡されている。
食事など喉を通る気分ではなかったが、侍女や侍従、騎士達の思念から「ヒイシ様に食事を何としてでも食べていただかないと、職を失う」という切迫したものばかりを感じ取り、嫌が応にも食事を摂らざる負えない。
ミスラがヒイシの異能を利用していることはすぐにわかったが、どうにか出来ることではないのだ。
「ヒイシ様、ご気分は少しは落ち着かれましたか?」
「……ありがとう、バズ」
覇気のないヒイシを気遣って、とある昼下がり、バズは侍女達や侍従長に言付けて、花々が育てられている庭園に足を運んでいた。近くから工事の音が響いている。
「後宮を必要がない場所だからと撤去するお考えにも驚きましたが、新しく庭園を活かせるヒイシ様と王妃様のお部屋の一つになるそうですよ。どんな風になるのか楽しみですね!」
純粋に目を輝かせるバズにヒイシは心の底から癒されていた。
バズのような人間ばかりなら、ヒイシの子ども時代は、もう少しは心穏やかに過ごせていたのだろうか?
そんな有り得ないことを考えてしまっている自分にため息を噛み殺し、頭痛を抑えるように額に手をあてる。
ミスラから贈られたブレスレットがシャラリと揺れた。
ふと、その音に気付いてヒイシの腕に嵌められているブレスレットを見たバズの瞳が先程よりも輝きを増していく。
「ヒイシ様! それはもしかして宰相様から贈られた物ですか?」
「……ええ」
「やっぱり! このジルベスタンでは、古くから結婚相手として望む方に、男性から女性へお互いの髪と瞳の色を意識した石のブレスレットを渡すんです! 庶民は安い物ですけど」
なるほど。
己の所有物だと誰にでもわからせる代物なのか。
まるで首輪みたいだ、とヒイシは思う。
古くからの風習に真っ向からケチを付ける言葉だが、ヒイシには確実にそれが当て嵌まるだろう。
現にミスラはヒイシに、このブレスレットはお風呂と就寝以外の時は必ず身に付けていることを伝えていた。
自分の思考に耽っていたヒイシは、すぐ側まで近づいてきている思念に気付くのが遅れてしまう。
いや、相手がギリギリまで気付かないようにしていたのだろう。
「っ!? バズ! 危ない!」
バズを思いきり弾き飛ばし、自分に向かって突進してくる相手のナイフを躱して腕を掴む。
「この反逆者!」
ナイフの持ち主はヒイシの従姉妹である元皇族のクララだった。
あの広間での出来事以降、会うことなどない。
ナイフを握っているとはいえ、元々十歳までは後継者として護身術も嗜んでいたヒイシにとってクララは赤子同然である。
ナイフを取り上げようとしたとき、バズの悲鳴が響き、そちらを見るとバズは中年の男性二人に拘束されていた。
「……ヒイシ姫。クララ姫様をお放しいただきたい」
躊躇なくクララの腕を離して突き飛ばす。
ヒイシにとっては、従姉妹などよりもバズのほうがよっぽど助けたい人間なのだ。
「ヒイシ様!?」
バズの悲痛な声が庭園に響き渡る。
「皆さん、ありがとう!」
クララはナイフを構え直すと、ヒイシに切っ先を向けるが、今度はすぐに攻撃しようとしない。
それが護身術など学ぶこともなく、家族に溺愛され、守られてきた故に生まれる恐怖と間違った皇族としての誇りが必死にせめぎ合っているのだということは、ヒイシには手に取るようにわかる。
「……貴方に、神に懺悔する間を与えます」
「そんな時間稼ぎは宜しいから、早く刺すなり殺すなりしたら如何です? 人を殺す恐怖で竦み上がっている小心者には気が重いことでしょうが」
ヒイシの皮肉に、クララの顔色が変わる。
「あ、貴方のようなバケモノのせいでっ、我が国は廃れてしまったのですわ!」
「お爺様が即位していた時までは国民は不満などなかったのに? 伯父上が皇位に就いてから、王宮には少しずつ民の苦しむ声が届くようになり、それらを一切無視して享楽に耽り、政務を疎かにしていたのは貴方達のほうでしょう?」
バズを拘束している二人にも目を向ける。
ヒイシの水晶のような瞳に見られていると、誰の隠しごとも嘘偽りも、すべて無駄だと言われているような錯覚に陥ってしまう。
バズを拘束している男達は、内心で身を竦ませていた。
「ご一緒に幽閉されているそこの御二方の甘言に惑わされましたか? 私が生まれてきたから一族は凋落したのだと。少しはその足りない頭で考えてみたらどうなのです? 伯父上が何故、私を閉じ込めてまで生かし続けていたのか。この異能の力がどんな意味を持つのか……」
ヒイシの言葉の揶揄に怒りを覚えながらも、疑心暗鬼に囚われはじめたのか、チラチラと男達にクララは視線を向ける。
「クララ姫! そのようなバケモノの言葉に耳を傾けてはなりません!」
「ヒイシ姫を亡き者にしなければ、更なる災厄が陛下方を襲います!」
「うるさいですね。男ならば、少しはその甲高い声を閉じていたらどうなのです」
ヒイシの声にも表情にも感情など一切浮かんでおらず、それがヒイシを怒らせていることを如実に伝え、バズですら竦み上がってしまう。
「そもそも、貴方方のような穢れ切った者達にバズを触らせることですら嫌なのに、それを許容しているのです。感謝していただきたいくらいだわ」
言外に、お前達のような穢れそのものな存在がバズに触れるな。と示している。
激昂しかけた男達の言葉を、ヒイシの無機質な声が遮る。
「……それから、私の母様を思考の中においておかれているのも不快に尽きますわね」
男の一人の顔色が明らかに青褪めて強張る。
その様子に訝るクララともう一人の男を冷淡な眼差しで見据え、ヒイシは瞳の中に宿る感情とは別物の笑みを口元に浮かべ、顔色を変えている男の心臓を更に掴む言葉を口から紡ぎ出す。
「ああ、貴方は下級貴族として従者扱いをされ、加担していなかったからこそ処刑は免れたのですね。でも、見て見ぬ振りをしていた貴方も、私の中では等しく罪人です。……私は亡くなった母様と風貌が似ていることを嬉しく思っているのです。自己の利益を取った貴方が亡くなられてからも未だに母様を慕っている事実には嫌悪しか抱きません」
「……どういう、ことですの?」
クララの訳がわからないという声音に、ヒイシの頭の中で悪魔が囁いた。
「……クララ様に、お伽噺をお話して差しあげましょう」
「……お伽噺?」
こんな緊迫した場面で話す内容とはかけ離れているだろう。
だが、ヒイシの瞳を見ていると、何故だかその話を聞かなければならないような錯覚を周囲に起こさせる。
「昔、とある遠い異国の美しい娘が貧しさから家族を助けるために売られてきました。娘は運良く、売られた国の公爵家の一人娘である令嬢の傍仕えの仕事を得られたのです」
真っ青な顔をしている男が何事か喚こうとするのを、ヒイシの底深い透明な瞳が突き刺して黙らせる。
「娘の主人である令嬢はすでに第一皇子との婚約が決まっていました。それ故、国の端々まで皇子達と視察に赴くことも多く、娘はそんな令嬢の付き人となり、高貴な方々や護衛の方々と各地に赴きました。……それが娘にとっての地獄の始まりとも知らずに」
ヒイシはチラリとバズに目を向ける。
視線が一瞬かち合ったバズからは、ヒイシを案じる思念しか伝わってこない。
優しく綺麗なバズを目の前にして、これから先のことを話すべきではない、と頭の奥の中で訴えているのに、口から紡ぎ出される言葉は止まらない。
ヒイシのバズへの気遣いを断ったのは、クララの思念そのもの。
「視察に赴いた初日に、娘は地獄を体験しました。自分が何故同行することになったのか……。令嬢のお世話、というだけではなく、同行している男性達の性処理という役目さえ担っていたのです」
クララは目を見開いて固まってしまう。
「娘は何度も逃げ出そうとしましたが、必ず捕まり、その度に激しい暴力と罵倒を与えられました。娘の心は崩壊寸前でした。視察から無事帰還した令嬢達は王都を挙げて迎え入れられました。娘はその隙をついて逃げ出し、自害しようと森の中を彷徨い歩きました。その時、娘は身なりの良い青年と出会ったのです。王都はお祭り騒ぎで、貴族達の大半は王宮に出向いているというのに。娘は警戒しましたが、青年は娘をただただ見つめ、離れた場所から手を差し出しました。青年はその国の第二皇子で、王である父親以外誰も知りませんでしたが、異能を生まれながらに持っていたのです。他者の心を見通す異能を」
流石にここまで聞いてしまったのならば、話の中の人物達が誰を指し示しているのか理解し、クララとバズを拘束している男は顔色を瞬く間に変化させ、既に真っ青から青白い顔色をして脂汗を流している男に視線を向ける。
「娘の心を見通した皇子は父王にすべての真実を伝えました。父王は激怒し、その件に携わった者達すべてを投獄し、処断しました。けれど、由緒ある公爵家を取り潰すこと、兄皇子を民衆の手前、表だって処罰出来ないことから、国の民達に暈した内容の罪状を伝えるだけに留め置き、兄皇子と令嬢を結婚という形で辺境地の領主に任命したのです。娘は弟皇子に見初められ、皇太子妃となり、幸せになりました。……クララ様、もうおわかりですよね? 私の母様と父様のことですよ。そして、兄皇子が伯父上、令嬢が伯母上です」
バズが信じられないものを見るような瞳でクララや男達を見回す。
「親子揃って最低ですこと」
「嘘ですわっ!」
クララが金切り声を上げた。
「父様と母様がそんなことをなさるはずがありません! いい加減なことを口にしたら、承知しませんわよ!」
ヒイシに対して声を荒げるが、その顔は蒼白だ。
ヒイシの異能を目の当たりにしたことがあるクララにとって、ヒイシの言葉は今まで信じてきたものすべてが粉々に壊されるほどの衝撃だろう。
ましてヒイシには、今更嘘を吐く意味などない。
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