菜の花散華

了本 羊

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番外編

七種香恋

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七種香恋の世界は生まれた時からとても幸福に満ち溢れていた。


 名家に生まれ、何不自由のない生活を送り、欲しい物は何だって手に入れることが出来る。
 幼い頃からその容姿は周囲から褒めそやされ、「天使」と呼ばれるほど。
 勉強もよく出来、運動も得意。両親は香恋を溺愛し、人生には一点の曇りもなかった。



そんな香恋の幼い頃からの唯一の不満は、一歳年上の姉、心結だった。
 香恋ほど勉強も出来ないし運動もそれほど得意ではない。
なのに、両親や使用人達以外の周囲からは常に褒められる存在。


 目の前からいなくなってほしい、といつも思っていた。


だからこそ、香恋は徹底的に家の中で心結と差が付くように振る舞った。
 七歳の時から、心結の誕生日を両親が忘れるようになって、香恋は大満足だった。



それなのに、小学校に入学すると、姉の心結の傍にはとてもカッコイイ男の子の存在がいることを知った。日柳実は、名家中の名家の次男坊で、容姿端麗で文武両道、異性だけではなく同性からも好かれる人物。
 香恋は癇癪を起こした。


 実のような人間は、香恋の側に居てこそ輝くのに! 


 香恋の苛立ちとは裏腹に、心結と実は付き合い始め、周囲も公認するカップルになっていった。


いつか絶対に実を心結から奪ってやるんだッ。


そう決意してから数年後、絶好のチャンスがやってきた。
 実の弟の萩が事故で亡くなり、心結と実の関係がギクシャクし始めたのだ。
 中学に入学すると、早速香恋は実の取り巻きの一員となり、特別な位置をキープし続けた。
 以前は香恋を見ると不快さを隠しもしなかった表情は、甘い笑顔で香恋に微笑んでくれる。
 香恋は有頂天になった。


やっと実に香恋の価値がわかってもらえたのだと思った。


 実と一緒に心結を貶す日々はとても充実していた。
 異性からモテる香恋は、中学から色んな男と付き合った。
 皆、香恋をチヤホヤしてくれた。
でも、実は香恋を褒めても、絶対に手を出してこようとはしない。
 益々実を振り向かせることに躍起になっていった。







 心結が高校生になると、心結の美術での才能が次第に評価されていくようになり、香恋は面白くなかった。けれど、まだ我慢が出来た。
それが爆発したのは、心結が香恋でも入学は出来ないだろうと言われている国内屈指の名門大学への入学を果たした時だ。


あんな女よりも自分は劣っていない! 


そんな激憤から、心結の友人達の彼氏や婚約者を寝取ってやった。
いい気味だと思っていた。
それなのに、寝取った男の一人と婚約していた心結の友人がそれなりの家の出で、証拠を念のために抑えられていた。
お陰で香恋は大学卒業まで護衛付きの監視が付くことになってしまった。
 心結は美術の世界では「期待の天才」と持て囃され、脚光を浴びるようになっていた。


 許せなかった。


 理由はわからないが、心結が一時期自室に引き籠った時は、そのまま一生部屋から出てこなければいいのに、と思ったものだ。
けれど、お節介な心結の友人達が心結を外に連れ出した。
 心結はドンドン、花開くように輝いていく。



そんなことは絶対にダメ! 
 心結は香恋を引き立たせるためだけに存在しているんだからッ!!








 心結が国際コンクールに向けて大学内に籠って作品を仕上げているのを聞いた時、チャンスだと思った。
 休日の大学構内にはほとんど人が居らず、絶好のタイミングだったのだ。


 疲れからか、フラフラしながらも慎重に階段を降りていた心結の背中を勢いよく突き飛ばした。
 階段を転げ落ちた心結は、痛みで呻き、そんな姿に香恋の気持ちはスッ、とした。


でも、まだ足りない。


ヒールで心結の右手を全体重をかけて踏んだ。
 通り魔に見えるように、心結の身体をナイフで切りつけることもことも忘れなかった。



 心結は二ヶ月間、生死の境を彷徨いながら、何とか意識を取り戻した。


あのまま死んでくれればよかったのに・・・。


でも、心結の利き手の怪我は酷く、手術をしても握力は戻らないらしい。


 心結から大切なものを奪ってやった! 


 香恋は達成感に満ち溢れた。
それ以降、心結はとても大人しく、家に居てもほとんど自室に籠り、顔を合わせても滅多に口を開かない。香恋は大満足していた。
 心結はやはりこうあるべきなのだ。









 香恋は大学卒業後、大学院へと進み、勉学に励んでいた。
 院を辞める時は、結婚をする時だと漠然とそう決めていた。


 香恋の縁談をどうするか? 


という話が具体的になってきたのを見計らい、香恋は両親に実と結婚したい、と言った。
 父親は喜んで準備を始め、香恋は人生が幸せに満ちている、と歓喜していた。
 思い込んでいた。


 実と香恋の縁談話を心結は反対などしなかった。
お祝いを兼ねて、長期の海外旅行に香恋と両親は出掛け、傍目からはとても幸せそうな家族に見えていたことだろう。
 旅行から帰ったら、心結にもそれなりに良い縁談先を父親に見付けてもらおう、と香恋は考えていた。
 香恋なりの心結へのプレゼントにするつもりだ。
そのことを両親に伝えると、両親は香恋のことを、


 「なんて姉思いな妹なんだ!」


と涙を流して感動していた。


 帰国してから待ち受ける事態を、香恋と両親は知る由もなかった。










 旅行から帰国すると、休暇を取らせていた使用人達が慌てふためいていた。
 心結が置手紙だけを残し、仕事で引き抜かれて海外に渡った、と言うのだ。
 父親は憤懣やるかたない、と言わんばかりに肩を怒らせて心結と連絡を取ろうとした。
が、心結の引受人が世界有数の大富豪、ザッカリー・ジェイコブだと知り、両親は一点青褪め、唯一心結の世話を任せていた使用人の久美に話を訊こうとしたが、ジェイコブ氏の息のかかった弁護士を仲介に挟まなければならず、両親は心結の行動に怒り心頭でも、諦めざるおえなかった。



 気持ちを切り替えて、父親は日柳家に香恋の縁談の打診を入れた。
けれど、返ってきた返答は否。
 両親は理由を話してくれなければ納得しない! 
と言い張り、結果、日柳家の当主に散々に言い負かされて帰宅した。


 今まで香恋が行ってきた行動の数々を不問とし、そんな香恋を叱りもせずに猫可愛がりし続け、同じ娘である心結を虐げてきた姿は誰もが目撃しており、いつも眉を顰められていたのだ、ということ。
 心結とならば縁談も呑めたのだが、という言葉に、香恋は激怒した。


どうして自分が心結よりも下に見られなければならないのか?! 


これが破滅の足音の始まりなのだ、とまだ気付けずにいた。








 急激に家の事業が傾き始め、両親は焦り、何とか香恋を良い家に嫁がせて援助してもらおうとしたが、どの家も縁談の返事は否。
この頃になって、ようやく香恋と両親は、心結を除いた七種家の家族が良家や名家の家々からどのように見られているのかを知り始めた。


 「傲慢な経営方針で社員を切り捨てる当主と、贅沢が好きで見栄えばかり気にし、当主に従うだけの妻。両親の姉への態度に怒りもせずにそれを助長させ、周囲を見下している、容姿は天使のような性悪な末娘」


 違う、とどんなに反論しても、真っ当な家は心結がいなくなった今、誰も縁続きになりたいところなどない、と宣告された。一方、心結は有名な画家の秘書となり、ザッカリー・ジェイコブの元、頭角を現す才女として有名になりつつあった。
 実も、ジェイコブ氏との仕事を任され、難しいノルマを熟していくようになると、一気に名前が台頭し始めてきた。
 両親は何とか心結と連絡を取ろうとしたが門前払い。
 香恋は実に躍起になって連絡を入れるが、何の返答もなく、遂には電話番号やアドレスまで変えられていた。
これ以上の最悪なことはない、と思っていたのに、さらに底はあった。







いよいよ家の事業が二進も三進もいかなくなってしまった時、打診された香恋の縁談は、四度の結婚と離婚を繰り返している権力やお金は有り余るほどに溢れてはいるが、名家出身では知らぬ者はいない六十近くなる好色家。
 四度目の離婚の後は、若い愛人を複数囲っていたが、香恋の美貌に目を留めたらしく、家の援助と引き換えに、香恋は結婚を強いられた。


 何故?! 何故、自分がこんな目に?!? 


そう何度も叫んで暴れ回り、やがて一つの結論に香恋は達した。


 心結。心結がすべて悪い。


そこからの香恋の行動は早かった。
 家のためにと泣く両親を宥めて、花嫁修業という名目で早々に相手側の家に入り、身体を使って好色爺を籠絡し、心結の情報を集めた。
 爺の相手は吐き気がするほど嫌だったが、香恋はジッ、と息を潜めていた。
それが爆発したのは、心結と実が一緒に暮らし始めた、という報告を受けた時だ。



・・・・・・嫌だ! そんなことは絶対に認めない!! 



 香恋はすぐに旅行の願いを口にし、婚前旅行なる名目で心結と実のいる国へと渡った。
ホテルを抜け出し、後は制裁を実行に移すだけ。


 心結にもう一度、地の底へ落ちてもらう。
そうしたら、あの爺に下げ渡そう。










 香恋の心結への強襲は失敗に終わり、暴れ回る香恋は薬を使って運ばれた。
 目覚めた香恋は、てっきり刑務所の中に入れられているとばかり考えていたのに、周囲の部屋の造りに困惑し、自分が身に着けさせられている物にギョッ、とした。


 部屋はとても豪華な造りで、家具はすべて最高級品だとわかる物ばかり。
なのに、香恋が身に着けさせられているのは、下着はなく、ベビードール一枚のみを纏い、首には頑丈な鎖で繋がれた首輪を嵌めさせられている。
まったくわけのわからない状況に混乱していると、重厚な扉が開かれ、複数人の男達が入ってきた。










 「なっちゃん、なに読んでるの?」
 「心結お姉ちゃんの妹さんの報告書です」


 菜月はもう興味がない、というように、その報告書を細かく千切って暖炉に放り込み、マッチを擦って火を付け、暖炉を一時的に明るくする。
その一連の動作には無駄も感慨もなく、千咲は菜月の姿を眺めて、次いで暖炉の消えていく火に目を移した。






 心結の妹の香恋は、ジェイコブの大事な部下を殺そうとした。


 世間的に間違いなくそう捉えられる行動を利用し、ジェイコブは香恋の嫁ぎ先になるはずだった好色家と七種の家を買収し、当主や夫妻をそれぞれの別荘へと追いやって目障りなものを排除した。
 香恋は厳重な刑務所に入れられた、と見せかけて、富豪達専門の高級娼館に売り払われた。


 「少しでも役に立ってもらわないと」


というのはジェイコブの言い分だが、今回はオマケがある。
 高級娼館に売り払われた香恋には、特別娼婦として、複数人や性癖の激しい者達があてがわれることになり、今どんな状況なのか、想像するのには忍耐が必要だ。


あの日、香恋は滅多に怒ることのない菜月を怒らせた。
 菜月の最優先は両親。その次の位置辺りに、千咲やジェイコブは入ることが出来、短期間で心結はその位置の中にいる。
 今まではその位置にいる者達は、己の身は己で守れることが出来る人間のみであった。
けれど、心結は違う。
これからは実が心結を確実に守っていくだろうが、過去はどうあっても消えてはくれない。



 菜月は未来永劫、心結を「もの」としてしか扱わなかった香恋に憤り、あの瞬間にその怒りの花は美しく咲き誇った。
 香恋が一番怒らせてはならなかったのは菜月という存在だ。





 『地獄へは、貴方だけでお行き下さい』


あの時、千咲は菜月に己が何故惹かれたのかの一端を見た。
その言葉を口にした菜月は、父親の筒井画伯や、ジェイコブ、実とも違う、上位に立つ者の風格と恐ろしいほどの妖艶な美しさを纏っていたのだ。
 千咲は口元を隠して笑う。香恋には感謝が絶えない。
 千咲の愛しい女ひとを開花させてくれたのだから。



 既に消えた火の燃えカスを見つめ、千咲は香恋のことを綺麗に頭の隅から追い出した。








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