猛毒の子守唄【改稿版】

了本 羊

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第8唄

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真夜中、ヒイシは寝台の中に居たものの、目を開けて天井を眺めていた。

今日、ミスラから求婚された出来事がまるでなかったかのような静寂に身を包まれている。

果たしてあれ《・・》を「求婚」、と言って良いのかはわからない。選択権がないのだから、「求婚」ではなく、「決定事項の婚姻確認」のような気がしてならない。

部屋は真っ暗だが、侍女が出て行ってすぐに目を開けたので、夜目には慣れた。

起き上がることなく、両腕を天井に伸ばして掌を見つめる。





『私と一緒に居れば、ヒイシは幸せを諦めることはありませんよね。私と陛下の異能は、他者の異能を全て無効にすることですから』





可笑しなことを言う人だ、と思った。

異能は個々人に付随されたもので、その対価はキッチリと支払われる。そこに例外など存在しない。

それでも、ミスラの言葉を不快に思わない自分にヒイシは驚いていた。あのようなことを言われたことなどなかったからかもしれないが、ミスラはヒイシを「可哀相」、という目で見ない。

人間が他者に同情する視線というのは、経験がなければわからないが、とても「優しい」、と表現出来るものではないのだ。しかし、生きる為にそれらを利用するしかないこともある。

あの絡みつくような憐憫の籠った視線を気にしないでいられるのは、生きることに必死になっている間だけ。

特にヒイシは異能のせいか、殊更そういった視線が駄目なのだ。





両腕を降ろして、天井を見つめたまま、ヒイシは思考を巡らせる。

どうして・・・。

どうして、自分はあの時、ミスラからの口付けを受け入れたのか?

答えは時間が経っても出てこない。

ミスラのことは、嫌悪している部分はあるが、憎んでもいなければ、好いてもいない。ヒイシは基本的に他者に無関心な己を自覚している。

そんなことを考えている内に、自然とヒイシの瞼は微睡んでいき、眠りに落ちていった。











ああ、また夢を見ているな、とヒイシは思う。

懐かしい長い廊下を、小さな足で歩いている。

目当ての扉の前に着くと、扉が薄っすらと開いていて、中から話し声が聞こえてくる。



『本当に君は面倒臭いことで悩むねぇ。答えなんて簡潔で簡単じゃない』



『簡単?』



『そうだよ。命の価値なんて綺麗事を求めているのは人間だけで、人間が作った価値観。生きていくことにも死んでいくことにも意味なんて最初から存在していないよ。「こうするのは悪い、悪だ!」、と決めつけるから、生きにくい人間も出てくる。生きるのも死ぬのも、自分自身が決めたらいいんだよ』



『・・・・・・お前は出会った頃から変わらないな』



『ボクはボクだよ。あ!』



父と話している綺麗な男の人が、扉を少し開けて2人を見ているヒイシに気付き、指をさす。



『ヒイシ? どうした?』



父である皇太子がヒイシを抱き上げて自分の膝の上にのせる。

父の大きな手で優しく頭を撫でられることが、ヒイシは好きだった。



『ヒイシちゃんは両親の良いとこ取りで生まれてきたんだねぇ~。将来すんごい美人になるよ』



父と対面に座っている男性が笑いながらそう口にする。

綺麗な人だとはわかるのにどうしてか、顔が朧気でよく見えない。



『ヒイシちゃん、大きくなったらボクのお嫁さんになる?』



『絶対に御免だ』



父がこうもポンポンと明け透けに言葉を返せる人間は数えるほどしかいない。男性は父とはとても気安い間柄なのだろう。

暫く父と男性が会話しているのを聞いていたが、男性が時計を見て、徐に立ち上がる。



『そろそろ行かないといけない時間になるから行くよ』



『・・・そうか。また近くに来たら何時でも寄っていってくれ』



『そうする』



男性は父の膝の上で大人しく座っているヒイシの頭を撫でる。



『・・・・・・どんなに考えてもね、答えはいつも簡素で簡潔なものだよ。決める時は決める。それでいいんじゃない?』



『・・・・・・・・・そうだな』





父と男性が最初にどんなことを話していたのかはわからない。けれど、その時の父の覚悟を決めなければ、という表情は何故だかヒイシの記憶にこびり付いて離れることはなかった。















「これでようやく! 準備が進められる!!」



ミスラの執務室で、ナイが感極まったかのように拳を握りしめて震えていた。

そんな中でもミスラは大量の書類に目を通しながら、書き込んだり判を押したりしている。



「そうだ。閣下、結婚の贈り物の準備は出来ていますか?」



ナイの言葉に、ミスラの手がピタリと止まる。



「・・・色々と見繕ってはいるのですがね。どのような宝石と装飾にしたら良いかと」



「確かに。王族の婚姻ですし、色は決まっていても、使用する宝石やデザインをどうするか・・・」



ジルべスタンには古くからの風習で、婚姻が決まると、男性は女性に婚姻の証としてブレスレットを贈るのだ。男性の瞳と髪色と同じ石を使用する以外、デザインなどは自由である。

この風習には平民と貴族によって違いがあり、平民は高価な宝石などは購入出来ない場合も多い為、鉱石などを使ったりする。貴族では2連のブレスレットで、男性と女性の髪と瞳の色の石を使用して作成されるのだ。

ナイも結婚の際は妻に、己と妻の色彩を持ちいたブレスレットを贈った。

王族の結婚ともなると、デザインもそうだが、使用する宝石1つにも気を配らなければならない。



「まあそのことは、陛下が戻ってきてから決めようと思っています」



「ああ、そうですね・・・」



ミスラの返答を聞いたナイは、どこか疲れたようにため息を吐く。



「本当に貴方達兄弟は、昔から兄と共に手を焼かされてきましたが、最大の問題事を同時に持ってくるとは思いもしませんでしたよ・・・ッ!」



「陛下も伴侶を見つけられたのです。喜ばしいことでは?」



「ええ、ええ! 確かにそうでしょう! 実際に古参の家臣達は涙ぐんでおりましたよ!! で・す・が!!!」



バン!、と大きな音を立てながら、ナイはミスラの机の上に両手を載せる。



「方や視察に赴いた属国の島国の離島で暮らしていた平民の女性、方や敗戦国の皇族!! これほど婚姻が難しい相手ばかりを選んでくる才能は寧ろ褒め称えたいぐらいですよッ!!」



それは褒め称えるのではなく、貶しているの間違いではないかとミスラは思ったが、口にしないでおいた。ミスラ達兄弟が無事に障害の大きい婚姻が成せるのも、そういったこと全般に融通の利くナイが走り回ってくれたお陰であると理解しているからだ。



「陛下達が帰ってきたら、ナイには長期休暇を申請しておきます」



「正確には、閣下と陛下の婚姻準備が万事恙なく終わってから!、ですがね」



耳が痛いと思いつつ、ナイに報告しなければならないことをミスラは思い出す。



「そういえば、ヒイシの異能の『代償』がわかりましたよ」



「あ、やっぱりヒイシ様は『代償』でしたか」



「まあ、あれだけ大きい力になるとそうなるでしょうね。本人がスンナリと話してくれました」



「それで、どんな『代償』ですか?」



「幸せ」



「は?」



「ヒイシの異能の『代償』は【幸福】だそうですよ」



ミスラの返答を聞いたナイは、思わずといったように片手を両目に当て、宙を仰いだ。



「・・・・・・・・・・・・エゲツナイ」



「ヒイシの一族は皆同じ『代償』のようです。ウィード国の王族の王位継承者が早死にや事故死や不審死が多いのはそのせいでしょう」



ミスラから差し出された数枚の書類を受け取ったナイは、その書類に素早く目を通していく。



「・・・本当ですね。ヒイシ様の祖父である前王も60歳前に亡くなっていますし」



「皇族の人生を犠牲にしながら700年以上も存続し続けてきたのでしょう。私からしてみれば国に命を吸い取られてまで尽くしたヒイシの先祖は偉大と言うしかありませんよ」



「・・・・・・閣下が口にされると、酷い皮肉に聞こえてくるんですがね」



肩を軽く竦めてミスラは再び仕事に戻る。

ナイはそんなミスラを横目で見ながら、気付かれないようにため息を噛み殺す。ミスラにとってウィード国は既に属国という形式に当て嵌まり、暮らしを良くしていくことに力は尽くすが、歴史に興味を馳せることはない。その国の皇族がどれほどの犠牲を強いて国を守ってきていたとしても、だ。

ミスラにとっての関心は常に兄弟と幼馴染だけであった。

そこにヒイシという存在が加わったことは、素直に喜ぶべきことなのだろうが、これからのことに対しての対処には頭痛を覚えてしまう。

ミスラの双子の片割れもまた、何の因縁めいたものなのか、同時期に伴侶としたい女性を見付けてきた。

だが、ナイが先程口にしたように、喜んでいるのは古参・・の家臣や城勤めをしている使用人ばかり。国王兄弟に伴侶を送り込みたがっていた貴族や他国、国王兄弟を神格化している一部の者達は不満を募らせているだろう。



それに、とナイは未来に思いを飛ばす。

国王兄弟の間に子どもが出来たとしたら、残っている血族の間にも不和が生じてくるだろう。

伴侶を娶る以前のミスラ達兄弟の発言により、「自分達の中から王を!!」、と意気込んで子どもの教育に心血を注いでいる者達ばかりだ。

玉座を得るまでの争いにより、馬鹿や無能な血族は排他されたが、機を読み、プライドを曲げてまで生き残る強かさを持つ血族達は残った。善良な血族などほぼいない。



そんな血族など何の問題なのか?、と云うような表情で伴侶を決めたミスラ達兄弟にとって、血族など脅威でも何でもない、炉端の小石程度の認識なのだろう。

何にせよ、ナイの役割は副将軍という仕事だけではなく、ヒイシと連れ帰ってくる陛下の伴侶が、何の憂いもなく日々を過ごせるように生活を調えることも含まれている。

まあ、そこに伴侶達の気持ちなど1つも考慮されてはいないけれど。





ナイは内心でヒイシと連れ帰られる伴侶に謝罪していた。

申し訳ありません。自分ではこの兄弟を何とかするのは無理なので、伴侶の方々に押し付けさせていただきます。本当に、すみません。













数日後の夜。

ヒイシは20数回目のため息を吐きながら、自分の着ている物を見下ろした。下着の上にはリボン付きのガウンだけ羽織っている。

正式にヒイシとミスラの婚約が調ったことで、世継ぎの事情から、早目に寝台を共に、という家臣達の言葉により、ヒイシにとっては悪夢が再び再来することとなった。



「ヒイシ、何か飲みますか?」



同じく風呂から上がり、度数の高いブランデーを飲んでいるミスラに訊かれ、首を振って断りを入れる。

ミスラもまたガウン姿だが、寝台に座ってため息を吐き続けるヒイシを気にすることなくお酒を楽しんでいた。



「そういえば、ヒイシには伝えていなかったですね。陛下が帰城する際、陛下が視察先で見染められた伴侶も伴うそうです。ヒイシとは浅からぬ交流になりそうですので、宜しくお願いしますね」



流石にそのミスラの報告にはヒイシも素直に驚く。

まさか国王まで伴侶を見付けてくるだなんて・・・。これが双子というものなのだおるか?、とヒイシは穿った見方をしてしまいそうになる。



ブランデーの入ったグラスを持ったままヒイシの隣に腰掛けたミスラは、ヒイシのそれほど長くない髪に指を絡ませる。

本当は距離を開けたいが、無駄な抵抗をして以前の時のように手荒く扱われるのは御免だ。

ミスラが再度テーブルにグラスを置いた瞬間、何故か部屋が濃密な空気を纏った。









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