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2章 春の国
惜別の春のともしび
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ツキナが最初に訪れたのは、春の国――ハルミヅキ。
桃色の風が絶え間なく吹き、街には年中、桜が咲き乱れている。
だがその光景はどこか不自然で、“ずっと始まりのまま”の春だった。
出会いと別れを繰り返す季節が、まるで出会いの手前で凍りついたように。
芽吹いた心が、何かに触れる前に留まり続けているように。
人々は笑っている。花見をし、出会いを祝い、新たな門出に乾杯している。
けれどその笑顔はどこか薄く、感情の層が一枚ずつ剥がされたような空虚さがあった。
まるで、喜びも悲しみも“先送り”にされた世界のようだった。
ツキナは、春を司る巫女に会うため、春の神殿へと足を運んだ。
そこには、白と薄桃色の、天女のような衣をまとい、ひとり静かに舞う巫女の姿があった。
風もないのに、その袖は柔らかくひらひらと揺れていた。
「――あなたは、巡らない季節の中にいて、なお歩く者ね」
巫女はツキナを見て微笑んだ。
けれどその表情は春の柔らかな陽射しに微睡む少女のようでいて、まるでうららかな夢の続きを見ているようだった。
「あなたが、“春”を止めているの?」
ツキナの問いに、巫女は否定も肯定もせず、ただ小さく頷いた。
「……ねえ、知ってる? 春って、“別れ”の季節なのよ」
その言葉に、ツキナの心が微かに揺れた。
「あなたが言いたいことは、よく分かるわ。いけないことだと分かってるの。
でも……私は、離れたくなかったの」
そう言った巫女は、小さな箱を抱きしめるように胸元を押さえた。
「彼と出会ったのは、まだ雪が残る頃だったの。
冬の国から来た旅の使者。雪解けを見届けに来た人だった。
最初は言葉もぎこちなくて、笑顔も少なかった。
でも、朝に差す柔らかな光を浴びた綺麗な桜を一緒に見て、夜にだけ舞う幻想的な夜行蝶を追って……。
そうして、少しずつ、彼の心に春が芽吹いていくのが分かったの。そして、私の心にも……」
その声は、まるで恋を語る少女のように浮かれているようかのようだった。けれども彼女の声はかすかに震えていた。
その震えは、やがて涙へと変わっていく。
「彼の滞在は、ほんの数日だったの。でも、それでも私はっ……。
彼の笑顔を、もっと見たかった。もっと一緒に季節を越えたかった。
やっと通じ合えたと思ったその日に、別れがやってきたの。
だから私は……“春を止めた”の」
淡く、揺れる声。
その胸の奥にある愛しさと寂しさが、まるで桜の花びらのように、今にも崩れてしまいそうだった。
「彼って……冬の国の人だったの?」
「そう。雪のように静かで、冷たそうに見えても、
心の奥には柔らかなともしびのような温もりを宿していた人。
私は、彼の、彼だけの春になりたかった」
その想いが、世界を縛っていた。
桜は散ることを忘れ、風は永遠に花を運び続け、
春は“別れ”のないまま、無限に始まり続けていた。
「それって、本当に“春”なのかな」
ツキナは小さく呟いた。
「咲いて、散って、土に還る。その瞬間は寂しさを覚えるかもしれない。でも、そこからまた芽吹くことができるのが……春じゃないかな?」
巫女の瞳が微かに揺れた。
その揺れは、彼女の中の“季節”が静かに動き出した証のようだった。
「でも……怖いの。終わるのが、散ってしまうのが。
また、会えなかったら……」
ツキナはそっと巫女に近づき、その手を取った。
「もし散ったとしても、“記憶”は残るよ。
想いは、ちゃんと誰かの中で生きていく。
だから、春は“終わって”も、“失われる”わけじゃない、また、はじまるんだよ」
その言葉に、巫女の肩がかすかに震えた。
まるで、ずっと凍っていた心が、やっと溶け出したように。
そして――暖かな風が吹いた。
風なんてなかったはずの神殿で、桜の枝がゆらりと揺れはじめ、
ひとひらの花びらが、空へと高く舞い上がり、ふわりと静かに地に落ちた。
それは、止まっていた季節が再び“巡る”ための、
ほんの小さな始まりだった。
桃色の風が絶え間なく吹き、街には年中、桜が咲き乱れている。
だがその光景はどこか不自然で、“ずっと始まりのまま”の春だった。
出会いと別れを繰り返す季節が、まるで出会いの手前で凍りついたように。
芽吹いた心が、何かに触れる前に留まり続けているように。
人々は笑っている。花見をし、出会いを祝い、新たな門出に乾杯している。
けれどその笑顔はどこか薄く、感情の層が一枚ずつ剥がされたような空虚さがあった。
まるで、喜びも悲しみも“先送り”にされた世界のようだった。
ツキナは、春を司る巫女に会うため、春の神殿へと足を運んだ。
そこには、白と薄桃色の、天女のような衣をまとい、ひとり静かに舞う巫女の姿があった。
風もないのに、その袖は柔らかくひらひらと揺れていた。
「――あなたは、巡らない季節の中にいて、なお歩く者ね」
巫女はツキナを見て微笑んだ。
けれどその表情は春の柔らかな陽射しに微睡む少女のようでいて、まるでうららかな夢の続きを見ているようだった。
「あなたが、“春”を止めているの?」
ツキナの問いに、巫女は否定も肯定もせず、ただ小さく頷いた。
「……ねえ、知ってる? 春って、“別れ”の季節なのよ」
その言葉に、ツキナの心が微かに揺れた。
「あなたが言いたいことは、よく分かるわ。いけないことだと分かってるの。
でも……私は、離れたくなかったの」
そう言った巫女は、小さな箱を抱きしめるように胸元を押さえた。
「彼と出会ったのは、まだ雪が残る頃だったの。
冬の国から来た旅の使者。雪解けを見届けに来た人だった。
最初は言葉もぎこちなくて、笑顔も少なかった。
でも、朝に差す柔らかな光を浴びた綺麗な桜を一緒に見て、夜にだけ舞う幻想的な夜行蝶を追って……。
そうして、少しずつ、彼の心に春が芽吹いていくのが分かったの。そして、私の心にも……」
その声は、まるで恋を語る少女のように浮かれているようかのようだった。けれども彼女の声はかすかに震えていた。
その震えは、やがて涙へと変わっていく。
「彼の滞在は、ほんの数日だったの。でも、それでも私はっ……。
彼の笑顔を、もっと見たかった。もっと一緒に季節を越えたかった。
やっと通じ合えたと思ったその日に、別れがやってきたの。
だから私は……“春を止めた”の」
淡く、揺れる声。
その胸の奥にある愛しさと寂しさが、まるで桜の花びらのように、今にも崩れてしまいそうだった。
「彼って……冬の国の人だったの?」
「そう。雪のように静かで、冷たそうに見えても、
心の奥には柔らかなともしびのような温もりを宿していた人。
私は、彼の、彼だけの春になりたかった」
その想いが、世界を縛っていた。
桜は散ることを忘れ、風は永遠に花を運び続け、
春は“別れ”のないまま、無限に始まり続けていた。
「それって、本当に“春”なのかな」
ツキナは小さく呟いた。
「咲いて、散って、土に還る。その瞬間は寂しさを覚えるかもしれない。でも、そこからまた芽吹くことができるのが……春じゃないかな?」
巫女の瞳が微かに揺れた。
その揺れは、彼女の中の“季節”が静かに動き出した証のようだった。
「でも……怖いの。終わるのが、散ってしまうのが。
また、会えなかったら……」
ツキナはそっと巫女に近づき、その手を取った。
「もし散ったとしても、“記憶”は残るよ。
想いは、ちゃんと誰かの中で生きていく。
だから、春は“終わって”も、“失われる”わけじゃない、また、はじまるんだよ」
その言葉に、巫女の肩がかすかに震えた。
まるで、ずっと凍っていた心が、やっと溶け出したように。
そして――暖かな風が吹いた。
風なんてなかったはずの神殿で、桜の枝がゆらりと揺れはじめ、
ひとひらの花びらが、空へと高く舞い上がり、ふわりと静かに地に落ちた。
それは、止まっていた季節が再び“巡る”ための、
ほんの小さな始まりだった。
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