4 / 7
4章 秋の国
木陰に落ちる想い出と余白
しおりを挟む
ツキナが次に訪れたのは、秋の国――アキノカゲロウ。
黄金に染まるイチョウ並木が遥か先まで続き、風に舞う落ち葉が静かに季節の移ろいを告げていた。
この国では、すべてが「終わり」を受け入れたように、穏やかで、どこか寂しげに、静かに時が流れていた。
人々は朗らかに笑い、語り合い、互いをいたわり合う。
けれどその笑顔には、どこか“思い出の中でしか生きていない”ような影があった。
まるで、過ぎ去った日々に心を置いたまま、歩みを止めた人々の国――。
ツキナが神殿へと足を運ぶと、そこには、紅葉を思わせる深紅と柔らかな金の羽織をまとう巫女がいた。
静かに書を開き、筆を走らせ、ひとつひとつ、記憶を綴っている。
「ようこそ……巡る旅人さん。あなたは、“今”を生きている人なのね」
彼女は、まるで懐かしむような瞳でツキナを見つめた。
「秋はね、思い出が熟して、実になる季節。
でもそれも、やがて落ちて、土に還ってしまうの。
もう芽吹くかも分からないし、腐ってしまえば、二度と実らないかもしれない。
……だから、わたしはこの国に“記憶”を残すことにしたの」
彼女が恋したのは、春の国から来た書記官だった。
言葉を愛し、記録に情熱を注ぐ、不思議なほど静かな人だった。
「出会いは偶然だったの。
春の巡礼の途中、彼がこの神殿に立ち寄ったのよ。
季節の調査をしているんだって言って、空気のにおいも、人々の言葉も、咲いた花の数さえも丁寧に書きとめていて……最初は、少し風変わりな人だと思ったわ」
けれど彼のまなざしは、とてもあたたかかった。
小さな出来事にも心を傾けて、感情の温度すらも丁寧に記していく――
そんな彼の姿を見つめるたび、胸の奥に、小さな光が灯っていった。
「ある日、彼がわたしに訊いたの。“どんな言葉が好き?”って。
そんなこと、誰にも聞かれたことがなかったから……不意を突かれたようで。
わたし、思わず“霞”って答えたの。
かすんだ空、かすんだ気持ち、形にならないものに名前をくれる言葉って……なんだか、救われる気がしたから」
彼は少し笑って、「じゃあ、君が霞まないように、ちゃんと君のことも記しておかなくちゃね」って。
冗談みたいに言いながら、まっすぐに、わたしの目を見てくれた。
「そのとき、思ったの。――ああ、わたしはこの人の記憶に残りたい。
きっとそれが、恋だったの。報われないと知りながらも、どうしようもなく、惹かれてしまったの」
けれど彼は、季節の風に導かれるように旅立っていった。
言葉と記録だけを残して。
ぬくもりだけが、そっと神殿に置き去りにされたまま。
「忘れられるのが、怖かったの。
一緒に笑った日々も、言葉を交わした時間も、
彼にとっては、通り過ぎた季節のひとつにすぎないのかもしれない……
それが、とても、こわかったの」
ツキナは、巫女の前にそっと腰を下ろし、微笑んだ。
「記憶って、閉じ込めるだけのものじゃないと思う。
誰かに“手渡す”ことで、また別の誰かの心に咲く。
落ち葉が土に還っても、春にはまた芽吹くように……
きっと、想いは巡る。無駄になることなんて、ないよ」
巫女は、少しだけ目を伏せて、やわらかく微笑んだ。
「……あなたの言葉、あの人と似てる。
きっと彼も、そんなふうにおどけながら言ってくれたかもしれない」
涼やかな秋風が、神殿の回廊をひゅう、と通り抜ける。
巫女の筆が、最後の一文を書き終えたところで、ぴたりと止まった。
そこには、続きを綴るための、静かな余白が残されていた。
――それはきっと、季節が次へと進むための、優しい空白だった。
黄金に染まるイチョウ並木が遥か先まで続き、風に舞う落ち葉が静かに季節の移ろいを告げていた。
この国では、すべてが「終わり」を受け入れたように、穏やかで、どこか寂しげに、静かに時が流れていた。
人々は朗らかに笑い、語り合い、互いをいたわり合う。
けれどその笑顔には、どこか“思い出の中でしか生きていない”ような影があった。
まるで、過ぎ去った日々に心を置いたまま、歩みを止めた人々の国――。
ツキナが神殿へと足を運ぶと、そこには、紅葉を思わせる深紅と柔らかな金の羽織をまとう巫女がいた。
静かに書を開き、筆を走らせ、ひとつひとつ、記憶を綴っている。
「ようこそ……巡る旅人さん。あなたは、“今”を生きている人なのね」
彼女は、まるで懐かしむような瞳でツキナを見つめた。
「秋はね、思い出が熟して、実になる季節。
でもそれも、やがて落ちて、土に還ってしまうの。
もう芽吹くかも分からないし、腐ってしまえば、二度と実らないかもしれない。
……だから、わたしはこの国に“記憶”を残すことにしたの」
彼女が恋したのは、春の国から来た書記官だった。
言葉を愛し、記録に情熱を注ぐ、不思議なほど静かな人だった。
「出会いは偶然だったの。
春の巡礼の途中、彼がこの神殿に立ち寄ったのよ。
季節の調査をしているんだって言って、空気のにおいも、人々の言葉も、咲いた花の数さえも丁寧に書きとめていて……最初は、少し風変わりな人だと思ったわ」
けれど彼のまなざしは、とてもあたたかかった。
小さな出来事にも心を傾けて、感情の温度すらも丁寧に記していく――
そんな彼の姿を見つめるたび、胸の奥に、小さな光が灯っていった。
「ある日、彼がわたしに訊いたの。“どんな言葉が好き?”って。
そんなこと、誰にも聞かれたことがなかったから……不意を突かれたようで。
わたし、思わず“霞”って答えたの。
かすんだ空、かすんだ気持ち、形にならないものに名前をくれる言葉って……なんだか、救われる気がしたから」
彼は少し笑って、「じゃあ、君が霞まないように、ちゃんと君のことも記しておかなくちゃね」って。
冗談みたいに言いながら、まっすぐに、わたしの目を見てくれた。
「そのとき、思ったの。――ああ、わたしはこの人の記憶に残りたい。
きっとそれが、恋だったの。報われないと知りながらも、どうしようもなく、惹かれてしまったの」
けれど彼は、季節の風に導かれるように旅立っていった。
言葉と記録だけを残して。
ぬくもりだけが、そっと神殿に置き去りにされたまま。
「忘れられるのが、怖かったの。
一緒に笑った日々も、言葉を交わした時間も、
彼にとっては、通り過ぎた季節のひとつにすぎないのかもしれない……
それが、とても、こわかったの」
ツキナは、巫女の前にそっと腰を下ろし、微笑んだ。
「記憶って、閉じ込めるだけのものじゃないと思う。
誰かに“手渡す”ことで、また別の誰かの心に咲く。
落ち葉が土に還っても、春にはまた芽吹くように……
きっと、想いは巡る。無駄になることなんて、ないよ」
巫女は、少しだけ目を伏せて、やわらかく微笑んだ。
「……あなたの言葉、あの人と似てる。
きっと彼も、そんなふうにおどけながら言ってくれたかもしれない」
涼やかな秋風が、神殿の回廊をひゅう、と通り抜ける。
巫女の筆が、最後の一文を書き終えたところで、ぴたりと止まった。
そこには、続きを綴るための、静かな余白が残されていた。
――それはきっと、季節が次へと進むための、優しい空白だった。
0
あなたにおすすめの小説
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
失った真実の愛を息子にバカにされて口車に乗せられた
しゃーりん
恋愛
20数年前、婚約者ではない令嬢を愛し、結婚した現国王。
すぐに産まれた王太子は2年前に結婚したが、まだ子供がいなかった。
早く後継者を望まれる王族として、王太子に側妃を娶る案が出る。
この案に王太子の返事は?
王太子である息子が国王である父を口車に乗せて側妃を娶らせるお話です。
王妃様は死にました~今さら後悔しても遅いです~
由良
恋愛
クリスティーナは四歳の頃、王子だったラファエルと婚約を結んだ。
両親が事故に遭い亡くなったあとも、国王が大病を患い隠居したときも、ラファエルはクリスティーナだけが自分の妻になるのだと言って、彼女を守ってきた。
そんなラファエルをクリスティーナは愛し、生涯を共にすると誓った。
王妃となったあとも、ただラファエルのためだけに生きていた。
――彼が愛する女性を連れてくるまでは。
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
お姫様は死に、魔女様は目覚めた
悠十
恋愛
とある大国に、小さいけれど豊かな国の姫君が側妃として嫁いだ。
しかし、離宮に案内されるも、離宮には侍女も衛兵も居ない。ベルを鳴らしても、人を呼んでも誰も来ず、姫君は長旅の疲れから眠り込んでしまう。
そして、深夜、姫君は目覚め、体の不調を感じた。そのまま気を失い、三度目覚め、三度気を失い、そして……
「あ、あれ? えっ、なんで私、前の体に戻ってるわけ?」
姫君だった少女は、前世の魔女の体に魂が戻ってきていた。
「えっ、まさか、あのまま死んだ⁉」
魔女は慌てて遠見の水晶を覗き込む。自分の――姫君の体は、嫁いだ大国はいったいどうなっているのか知るために……
あの夜、あなたがくれた大切な宝物~御曹司はどうしようもないくらい愛おしく狂おしく愛を囁く~【after story】
けいこ
恋愛
あの夜、あなたがくれた大切な宝物~御曹司はどうしようもないくらい愛おしく狂おしく愛を囁く~
のafter storyです。
よろしくお願い致しますm(_ _)m
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる