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5章 冬の国
雪化粧を溶かす朝焼けのひとひら
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ツキナが最後に訪れたのは、冬の国――フユノヒトヒラ。
雪は音もなく降り積もり、世界の輪郭を白く塗りつぶしていく。
音という音を吸い込んだ大気は、まるで“深く息をひそめたような”静寂に満ちていた。
その冷たさは肌を刺すようでいて、どこか懐かしさを運んでくる。
遠い記憶の中で、淡雪だけがそっと何かを抱きしめてくれているようだった。
この国では、誰もが感情を凍らせて生きていた。
過去に傷つき、未来に怯え、「いま」に心を託すことをやめてしまった人々。
氷の中に心を封じて、もう二度と傷つかぬように。――他人も、自分自身も守るために。
神殿の奥、氷柱の前に立っていたのは、
白銀に咲く氷の華のような繊細なレースを羽織った巫女だった。
その表情はまるで凍てついた湖面のように静かで、感情の波を一切映さなかった。
「ようこそ……季節をめぐる旅人さん。
あなたがここへ来るのを、わたくしは……ずっと待っていたのかもしれません」
その声には、諦めにも似た冷たさと、わずかな憧憬の響きが混じっていた。
「冬は、すべてを閉じ込める季節。
けれど、わたくしにとっては“始まりの場所”でもあるのです。
この国が凍ったのは――わたくしが、恋を氷に閉じ込めてしまったから」
彼女が恋したのは、夏の国の青年だった。
「情熱的で、まっすぐで、いつも眩しかった。
わたくしには眩しすぎて、怖かったのです。
あの人は、何も隠さず、真っ直ぐに愛していると言ってくれた。
でも――わたくしには、それが怖かった。
“失うのが怖かった”のです。
最初から持たなければ、何も壊れることはないと、そう思っていたの。
心を凍らせ、静けさの中に身を委ねていれば、ぬくもりに触れることもなくて済むと……」
それでも、彼は何度も想いを告げてくれた。
季節が違えど、愛していると。何度でも、真っ直ぐに。
だが、巫女はその愛を受け取らなかった。
凍らせた感情は、彼の手のぬくもりまでも凍えさせてしまったのだ。
「……ある日、気づいたのです。
彼の手が、もう、あんなにも冷たくなっていたことに。
わたくしが守っていたはずの“氷”が、彼のぬくもりを奪っていたと。
でも、そのときには、もう彼はいなかった。
春を探しに、ひとり旅立ってしまったのです」
ツキナは、そっと彼女のそばに寄り添い、やわらかく微笑んだ。
「氷は、春を待ってるんだよ。
冷たいままでいられないって、わたしは知ってる。
春、夏、秋、それぞれの季節で誰かが想いを手渡していた。
感情だってきっと、ぬくもりに触れればまた動き出せるって、わたしは信じてる」
巫女は目を閉じ、長く凍らせていた心にそっと触れるように息を吐いた。
その瞬間――氷柱の奥で、かすかな光が灯り、溶け出す音がした。
「……なら、わたくしも、想いを手渡しましょう。
誰かの記憶の中に残るだけでもいい。
わたくしの恋が、いつかまた、誰かの春を連れてくるなら――」
そう呟いた巫女の頬を、ひとひらの雪が優しく撫でた。
それは、確かに“温かい雪”だった。
――冬の国に、静かな終わりの気配が満ちていく。
そして、すべての季節を巡ったツキナの旅は、
間もなくその“答え”に辿り着こうとしていた。
雪は音もなく降り積もり、世界の輪郭を白く塗りつぶしていく。
音という音を吸い込んだ大気は、まるで“深く息をひそめたような”静寂に満ちていた。
その冷たさは肌を刺すようでいて、どこか懐かしさを運んでくる。
遠い記憶の中で、淡雪だけがそっと何かを抱きしめてくれているようだった。
この国では、誰もが感情を凍らせて生きていた。
過去に傷つき、未来に怯え、「いま」に心を託すことをやめてしまった人々。
氷の中に心を封じて、もう二度と傷つかぬように。――他人も、自分自身も守るために。
神殿の奥、氷柱の前に立っていたのは、
白銀に咲く氷の華のような繊細なレースを羽織った巫女だった。
その表情はまるで凍てついた湖面のように静かで、感情の波を一切映さなかった。
「ようこそ……季節をめぐる旅人さん。
あなたがここへ来るのを、わたくしは……ずっと待っていたのかもしれません」
その声には、諦めにも似た冷たさと、わずかな憧憬の響きが混じっていた。
「冬は、すべてを閉じ込める季節。
けれど、わたくしにとっては“始まりの場所”でもあるのです。
この国が凍ったのは――わたくしが、恋を氷に閉じ込めてしまったから」
彼女が恋したのは、夏の国の青年だった。
「情熱的で、まっすぐで、いつも眩しかった。
わたくしには眩しすぎて、怖かったのです。
あの人は、何も隠さず、真っ直ぐに愛していると言ってくれた。
でも――わたくしには、それが怖かった。
“失うのが怖かった”のです。
最初から持たなければ、何も壊れることはないと、そう思っていたの。
心を凍らせ、静けさの中に身を委ねていれば、ぬくもりに触れることもなくて済むと……」
それでも、彼は何度も想いを告げてくれた。
季節が違えど、愛していると。何度でも、真っ直ぐに。
だが、巫女はその愛を受け取らなかった。
凍らせた感情は、彼の手のぬくもりまでも凍えさせてしまったのだ。
「……ある日、気づいたのです。
彼の手が、もう、あんなにも冷たくなっていたことに。
わたくしが守っていたはずの“氷”が、彼のぬくもりを奪っていたと。
でも、そのときには、もう彼はいなかった。
春を探しに、ひとり旅立ってしまったのです」
ツキナは、そっと彼女のそばに寄り添い、やわらかく微笑んだ。
「氷は、春を待ってるんだよ。
冷たいままでいられないって、わたしは知ってる。
春、夏、秋、それぞれの季節で誰かが想いを手渡していた。
感情だってきっと、ぬくもりに触れればまた動き出せるって、わたしは信じてる」
巫女は目を閉じ、長く凍らせていた心にそっと触れるように息を吐いた。
その瞬間――氷柱の奥で、かすかな光が灯り、溶け出す音がした。
「……なら、わたくしも、想いを手渡しましょう。
誰かの記憶の中に残るだけでもいい。
わたくしの恋が、いつかまた、誰かの春を連れてくるなら――」
そう呟いた巫女の頬を、ひとひらの雪が優しく撫でた。
それは、確かに“温かい雪”だった。
――冬の国に、静かな終わりの気配が満ちていく。
そして、すべての季節を巡ったツキナの旅は、
間もなくその“答え”に辿り着こうとしていた。
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