Aria ~国立能力研究所~

しらゆき

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第3章 盗まれた作品

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 真っ暗闇の中、美穂は物音を立てないようにゆっくりと足を進めた。時刻は夜中の零時を回ったところで、外の街灯も届かない孤児院の奥には何の光もない。本来ここが暗がりであり、一歩でも前に進むことができないはずなのだが、美穂の目にはまるで昼間のように、どこに何があるのかはっきりと見る事が出来る。
 美穂が夜中に出歩くようになったのは椿が孤児院に来てからだったと思う。それまでは夜中ではなくても出歩き、一緒に暮らしている孤児の子たちとよく遊んでいた。でも椿が孤児院に来た経緯があの人には気に入らなかったらしく、美穂は孤児の子どもたちと関わることを完全に禁止された。でも、美穂はそれでよかったと思っている。孤児院というグループから外に放り出されたからこそ見えるものがある。
 美穂は慎重に、音が鳴らないようにそっと一室の戸を開ける。中にいる数人が布団から這い出してくるのが見えた。今日は思いのほか起きている子が多いらしい。
「美穂ねーちゃん?」
 小さな声に美穂はそっと頭を撫で、次いで小さな口元に指を添えた。懐からスマホを取り出し、部屋の外から明かりが見えないように細心の注意を払いながら、美穂の周りだけを照らす。美穂には大して苦にならない暗闇も、他の子たちにとっては何も見えない暗がりであることは、はっきりとわかっている。美穂も初めはそうだった。夜出歩くようになって、少しずつ暗闇に目が慣れてきたのだろう。今では大して苦も無く歩くことができる。
「他の子、起こしてくれる?」
 小さな声で頼むと、それに別の声が返ってきた。
「起きてるよ。美穂は、いつもこの時間に来てくれるから」
 小さな声に目を上げれば、このみなし部屋の中の最年長、美穂と同い年の椿がいた。この部屋の中以外ではまともに会話をすることさえない椿の目が見れずに、美穂は慌てて視線を逸らす。美穂の一時の感情のために椿から文芸部の鍵を奪った。椿が美穂には逆らわない事を知っていての自分の行動に嫌悪さえ感じた。あの日以来、美穂は椿の顔を見る事が出来ずにいた。
 わらわらと集まってくる子供たちに、袋からおにぎりとサラダを一つずつ差し出す。どちらも美穂の夕飯を買う時に一緒に買ったものだ。ここにいる子供たちは五人前後。彼女たちが食べる夕食はパン一つのみのため、この時間になるとひどくおなかがすくのだ。本当はこれだけじゃ足りないのかもしれないが、これ以上購入するのは難しい。これには、美穂と椿のバイト代をあてているが、その食費でバイト代はほぼ消える。だが、中学生の頃に比べればまだましになった。あのころはあの人の目を盗んで……もっとも美穂に興味がないあの人が気づくはずもないのだから不要な心配ではあるが……新聞配達のバイトをして得たお金で買っていたため、おにぎり一つを用意するのがやっとだったのだ。あのころよりも人数も増えているが、今は何とかこれだけのものを用意することができる。
「おねーちゃん、ありがとう……」
 小さな、小さな声に美穂は優しく頭を撫でた。一番最年少、まだ小学生なのに既にあの人から見放されてしまったこの子は、これから高校を卒業するまでの期間この生活に耐えなければならない。でも、美穂には救い出してやることは出来ない。今の美穂にそれだけの力はない。だからこそ、誓うのだ。大人になったらこんな孤児院絶対にぶっ潰してやる。
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