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第3章
峰川龍人
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二日の休みが明けた日、いつもより二時間遅く、多くの生徒が保護者と一緒に登校した。この保護者の数では、ほとんどの保護者が仕事を休んで来校したようだ。それも、対応がものすごく遅れてはいるが、保護者向けの説明会が行われ、そして生徒にもようやく説明があるからだった。もちろん、事件についての情報は、ニュース以上のことは手に入らないだろう。しかし、これからの学校の方針を聞いておかねばならない。それに今回の横山飛鳥へのイジメの件への世間の意見も厳しいので学校も無傷ではいられないだろう。そして、テレビや、他のマスコミにもこの会見がバレてしまっているので、もう十時を回ると言うのに、他校のグレている生徒や、年齢層バラバラの集団が道路にまで広がって学校にデモをしていた。その数はざっと見積もっても300人はいるだろう。どうやら廃校運動は単なる噂ではないようだ。そしてマスコミが、それを必死に多少のイロをつけてリポートしたり、写真を撮っているのが窺える。県道を挟んで学園の敷地に入る。警察官が門の前に居て中にもそれらしき姿が多数窺える。学校にこれだけの警察官が居るとは、なんとも妙だ。
「じゃあ、また後でね」
「ん、ああ、うん」
そう言って、母とは別れた。母さんは保護者説明会の会場の大体育館に向かい、俺は三階の自分の教室に向かう。さすがに、この教室からだと、学園の外の様子は直接は窺えない。しかし、その学校にしては、異様な空気は肌で感じることが出来る。県道の方からシュプレヒコールが聞こえてくる。もう、完全なデモだ。その割には教室の奴らは、皆、落ち着いている。まあ、それもそうだ。まさか、そうだ、そんなことが起きるはずがない。いや、ひょっとしたら、それは自分の勝手な希望的観測なのかもしれないが。いや、そうじゃない、きっと思い過ごしだろう。そしてこんなに、皆が、落ち着いているのは、恐怖を誤魔化そうとしているからだろう。そうだ、きっとそうに決まっている…。
「龍人ー、おはよー」
その場違いな笑顔を振り撒きながら、こちらにやって来る、もちろん玲奈だ。
「龍人みたー、凄い人だかりだったよねー」
驚き半分、興味と不安半分という感じで言ってくる。
「駅の方から車で来たんだけど、電車から降りてくる人の量が異常」
そうこうしているうちに今度は、角斗が登校してきた。きて早々に挨拶も無しにスマホを机に出してきた。その画面には、今人気のユーチューバーが、もみくちゃにされながら、生配信していた。それも、ちょうどそこの県道のデモにいるらしい。
「龍人、どう思う」
やはり角斗だ、皆の前ではクールな印象を崩さない。
「どう思うって、何がさ、学園内には警察が居るんだ、暴動なんて起きっこ無い」
いや、断言は出来ないが、これで安心できるならこれで良い。しかし、次の瞬間、僕の希望的観測は崩壊した。
「おい、大変だ、旧正門から人が入ってきてるぞ」
旧正門と言えば、この校舎のすぐ前だ。もうその声が誰かなんてどうでもよかった。慌てて『コの字型』の内側の廊下に駆け出る。そこからは、旧正門がよく見える、そこには、百人ほどの人が詰めかけていて、警察がなんとか持ち堪えている。今はまだ暴動にはなっていないが、いつまでも、そうはいかないだろう。
「龍人、これ、これ」
そう言って、玲奈が、スマホを押し付けてきた。どうやらみたことがあるネット掲示板のようだ。
『学校は犯人を知っているヒントは生徒が持っている』
『学校は犯人を隠している』
など、標的が個人から団体に変化してしまっている。
「席に着けー」
そう言って担任小畑和夫が廊下の奥から声を張り上げていた。生徒たちは、一瞬の静けさの後、大人しく、どうしようもなく教室に引き揚げた。蒼い顔をさらに蒼くして。
「外のことは気にしなくていいぞー、警察の方がちゃんと対応して下さっているからなー」
と、もう一声かけてから入ってきた小畑教師は、点呼を始めた。出席者はおよそ、3分の2というところだ。教師という、どこか抽象的な、安心できる存在が入ってきたことで、皆、一様に、表面上は、パニックが収まったが、終わりでは無かった。すっかり忘れていた、心の奥の奥にある、野生的防衛本能が、逃げることを要求している。
ガシャン、ガシャガシャン。
その音と共に束の間の心の休息は終わりを告げだ。
「お前たちは、待ってろ、先生が見て来る」
そんなことを誰も聞くはずがなく、慌てて廊下に駆け出る。先程まで、警察に追い出されていたであろう連中が人数を増して、再び入って来ていた。確かに、旧正門のシャッターは、高くも無いし、特に丈夫なものでは無い、しかし、1メートルほどはあるシャッターを、角材や、鉄パイプを持った者たちジャンプして侵入して来ていた。後から来た、小畑教師も声を失い、蒼い顔でそれを見ていた。鉄パイプを持った男が、警官の持っている盾に殴りかかる。何度も振る、振る。まるでスローモーションのように見え、そのような、暴徒は数をどんどん増していき、校舎に近づいて来る。慌てて数人の警察官が応援に来たが、何せ、多勢に無勢だった。
「一階の職員を上げて二階の防火扉を閉めろ」
もはや、その声を誰が発したのかは分からないが、何人かの教師が慌てて走り出した緊迫した気配だけが伝わった。まだ生徒は凍りついていた。まだ、何が何だか分からない、それは恐怖ではない。僕の身体は、興奮に支配されていた。もし周りに人が居なかったら壊れたように笑ってしまうだろう。何にそんなに興奮しているのか、とても簡単なことだった。あの暴徒たちの行いの矛盾だ。きっとあいつらは、上の役職や、スクールカーストで、一定の地位を築き、それを守ろうとしているのだろう。しかし、その矛先が今は警察に向かっている、それが矛盾だ。地位と権力のいわば、象徴とも云へる、警察官を殴っているのだ。その矛盾にすらあいつらは気付いていない。
ガシャン、ギャン
一瞬何の音か分からず、それが窓ガラスが割れた音だと気づくのにしばらく掛かった。我に返って、辺りを見回したが、何処も割れていない、どうやら一階の窓が割られたらしい。
「皆、防火扉をおさえろ」
「机を持って来い」
「椅子もだ」
二階の三ヶ所ある階段のそれぞれの方向から教師や生徒の怒号が飛び交う声が聞こえて来る。いざとなれば、案外高校生でも頼りになる。
ガチャン、ガチャン
まただ、きっと一階の窓だろう。三階の窓からは、人が中庭から入って来るのがはっきり見える。教室では、片隅に女子が集まっている。泣いている女子生徒も窺える。それぞれのクラスの体格のいい奴らが一番に机や椅子を運び出し二階の防火扉に持って行く、それに皆が続く。
「龍人、どうなるの、何でこんなことに…」
ああ、そこには、安心できる唯一の存在の、又川玲奈が立っていた。その声は冷静だった。
「さあな、今はそんなことを考えても無駄だ」
「何で警察は撃たないの、市民を守るのが役目じゃない」
心底不思議そうに聞いてくる。
「簡単なことさ、こっちも市民なら、あの暴徒達も市民さ」
それにもう学園に押し入った人数は、ざっと目算で二百を超えている。十人ほどの警官では、どうにもならないだろう。そして、その警官等も、後退するか、倒されて殴られている。そう言えば、保護者説明会が行われている体育館はどうなっているのだろう。
『ピンポーン、パンポーン』
ひどく、楽観的な場違いな音が響く。
『全校生徒、及び、保護者の皆様にお知らせします。教職員の指示に従って至急避難して下さい。校舎にお入り下さい。繰り返します…』
どうやら、保護者の方は、心配ないようだ。
「そう言えば、角斗が見えないけど、何処に行ったか知らない」
「あっ、そう言えば角斗見てないな」
それは、大変良い吉報だ。声には出せないが。
「そうか、それより玲奈、女子を協力して四階に上げてくれ、さっきから、ゴンゴンと鉄を叩く音が聞こえるだろ、あれは、二階の防火扉を叩く音だ、多分、鉄パイプか何かで」
玲奈は了解と言って、顔を少し硬くして教室に戻って行った。それを見届けて二階に向かう、二階からも続々と女子生徒が上がって来ていた。誰の指示だか知らないが、的確な指示だ。それに、ますますやり易い。二階は正に戦場だった。防火扉の前には、教師と男子生徒が机や椅子で壁を作っていて、その後ろを教師と男子生徒が押さえているが、後どのくらい持つだろうか、疑問だ。それに、仕事もやりにくい。休憩を入れてやろう。
「もうダメだー、三階まで退いて三階の防火扉を閉めよう」
一瞬、何人かの男子生徒と教師に睨まれたが、後方から続々と、撤退して行く。
「誰かー、他の扉にも伝えてくれー」
そうすると、それぞれの扉に二人の生徒が走った。教師は前方で机と椅子を押している。まあ、これぐらいの人数なら、何も問題は無い。『コの字型』の後ろから見て右側の末端の部分に向かう。途中は、窓が続いているが、今は、何枚か投石で割られていた。
パシャンッ
おお、丁度投石で一枚割れた。そこまで行って屈んで拾ってみると、丁度手に収まるサイズの石だった。いったいこんな石をどこから持って来たのだろう。その石を持って『コの字型の』の末端に向かう。そこには埋め込まれているガラスケースがあり、中にはトロフィーや杯、メダルなどの受賞歴が飾られている。
今も一応鍵が掛かっているが、もはや、この無法地帯では役に立たない。それに、ガラスも薄い、近くに人が居ないのを確認して石を破片が飛んでこない位置から投げる。
ガシャンッ
この喧騒の中では、窓の音がどうかなど分からないだろう。そこから前もって置き場所を把握していた三つのものを取り出す。一つは、賞状。一つはトロフィー。残りの一つは杯だ。どれにも浅浦角斗、と、記されている。これは角斗が半年前、県大会で個人優勝した時の物だ。
ゴン、ゴンッ、ゴンゴンゴン
どんどん防火扉を叩く音が強くなる。どうやら、余り時間は無いようだ。もし、防火扉が破られれば、暴徒が入ってきて袋叩きにされてしまうだろう。さて、始めるとしよう。一応、ハンカチを広げて手に持ち指紋が着かないようにして、トロフィーを持つ。予想よりも少し軽かった。トロフィーを振り上げ、床に叩きつける。鈍い音がしてトロフィーが折れる。次に、杯。これも、先程と同じように床に叩きつけて割る。賞状は四つに破る。これで完了だ。もし、人が見ていれば、単なる角斗への妬みに捉えられるだろうが、違う。もっと、複雑で、しかし単純な、他の理由だ。さあ、これでもう、この階に用は無い。撤退することにしよう。もう五分と保たずに、二階は陥落するだろう。そう思いながら三階への階段を登る。ああ、やっぱり防火扉が閉じられている。まあ、想定内だ。ただのノックでは聞こえないと思い、扉を大きく振り被って殴る。
「開けて下さい、二年四組の峰川です、逃げ遅れました」
「分かった、今開ける」
そう声がすると、およそ一分ほどして人の通路用の防火扉にはめられた扉が開く。どうも、机や椅子を一度のけて開けてくれたようだ。
「さあ、早く入って」
ガチャン、その通路ようの扉が閉められた音で緊張が解けたのか疲労が襲って来た。もう、二階は三十秒と保たないだろう。そうすると、教師や生徒達が一斉に再び机や椅子などで、バリケードを作る。先程から、どこからかパトカーのサイレンが聞こえるが、なかなか近寄れないようで、サイレン音が、近くならない。
「龍人、何処にいたの、探してたんだよ」
「玲奈か、いやごめんごめん、俺も人を探してたんだ」
どうやら、二階に居たことはバレていないようだ。バタバタ、と、大勢の人の激しい足音が聞こえて来る。きっと二階が突破されたのだ。この最悪な時に最悪な事は重なる。
「大変だー、正門が突破された、人が入って来てるぞ」
県道に面している、正門側から何人が一体入って来ているのだろう。これ以上の人数が来ればこの校舎、持ち堪えられるか疑問だ。しかし、メリットもある。道路に人がいなくなる事で、パトカーが通れるようになり、大量の警官が一気に来ることが出来るだろう。あと、もう少し、ここが正念場だ。あともう少し持ち堪えれば助かる。下の階からは、窓が割れた音が響いて来る。しかし、同時に何台ものパトカーが確実に近付いて来る。
「火事だー、庭から火が出たぞー」
「火炎瓶だー火炎瓶が投げ込まれたぞー」
ここからではよく見えないが、四階からは、見えるらしい。どうやら、学園内の設立者の銅像などがある、小さな林に、火炎瓶が投げ込まれたらしい。
「誰かー、非常ベルを押せー」
その瞬間、物凄い音が耳に届く。これで、消防車がすぐにでも来るはずだ。パトカーは、もう、学園前の県道にはいるようで、赤色灯が見えている。そう言えば、先程から再び下の階の足音が騒がしさを増しているようだ。それに、防火扉を叩く音も小さくなっている。不思議に思って、恐る恐る、窓から中庭を見てみると、大勢の人達が、正気を取り戻したようにして、門から駆け出て行っていた。皆、あの非常ベルの音で正気を取り戻したのだろう。そこに、警察が旧正門から入って来て、何人かを取り押さえている。皆、それを見て、床にへたり込んでいた。それもそうだ、この緊張は、今までに体験したことの無い種類の物で、できれば体験したくなかった。見れば、先程まで、机や、椅子を防火扉に押さえつけていた連中も、へたり込んでいる。この様子だと、もうすぐ、警察が踏み込んで来るだろう。新たなサイレンが鳴っている、どうやら、消防車画来たようだ。そう言えば、騒動中、とうとう、角斗を一度も見なかった。玲奈は、横で、放心したように、中庭を見ていた。それはとても静かだった。そう、これはまるで操り人形の様に。
「じゃあ、また後でね」
「ん、ああ、うん」
そう言って、母とは別れた。母さんは保護者説明会の会場の大体育館に向かい、俺は三階の自分の教室に向かう。さすがに、この教室からだと、学園の外の様子は直接は窺えない。しかし、その学校にしては、異様な空気は肌で感じることが出来る。県道の方からシュプレヒコールが聞こえてくる。もう、完全なデモだ。その割には教室の奴らは、皆、落ち着いている。まあ、それもそうだ。まさか、そうだ、そんなことが起きるはずがない。いや、ひょっとしたら、それは自分の勝手な希望的観測なのかもしれないが。いや、そうじゃない、きっと思い過ごしだろう。そしてこんなに、皆が、落ち着いているのは、恐怖を誤魔化そうとしているからだろう。そうだ、きっとそうに決まっている…。
「龍人ー、おはよー」
その場違いな笑顔を振り撒きながら、こちらにやって来る、もちろん玲奈だ。
「龍人みたー、凄い人だかりだったよねー」
驚き半分、興味と不安半分という感じで言ってくる。
「駅の方から車で来たんだけど、電車から降りてくる人の量が異常」
そうこうしているうちに今度は、角斗が登校してきた。きて早々に挨拶も無しにスマホを机に出してきた。その画面には、今人気のユーチューバーが、もみくちゃにされながら、生配信していた。それも、ちょうどそこの県道のデモにいるらしい。
「龍人、どう思う」
やはり角斗だ、皆の前ではクールな印象を崩さない。
「どう思うって、何がさ、学園内には警察が居るんだ、暴動なんて起きっこ無い」
いや、断言は出来ないが、これで安心できるならこれで良い。しかし、次の瞬間、僕の希望的観測は崩壊した。
「おい、大変だ、旧正門から人が入ってきてるぞ」
旧正門と言えば、この校舎のすぐ前だ。もうその声が誰かなんてどうでもよかった。慌てて『コの字型』の内側の廊下に駆け出る。そこからは、旧正門がよく見える、そこには、百人ほどの人が詰めかけていて、警察がなんとか持ち堪えている。今はまだ暴動にはなっていないが、いつまでも、そうはいかないだろう。
「龍人、これ、これ」
そう言って、玲奈が、スマホを押し付けてきた。どうやらみたことがあるネット掲示板のようだ。
『学校は犯人を知っているヒントは生徒が持っている』
『学校は犯人を隠している』
など、標的が個人から団体に変化してしまっている。
「席に着けー」
そう言って担任小畑和夫が廊下の奥から声を張り上げていた。生徒たちは、一瞬の静けさの後、大人しく、どうしようもなく教室に引き揚げた。蒼い顔をさらに蒼くして。
「外のことは気にしなくていいぞー、警察の方がちゃんと対応して下さっているからなー」
と、もう一声かけてから入ってきた小畑教師は、点呼を始めた。出席者はおよそ、3分の2というところだ。教師という、どこか抽象的な、安心できる存在が入ってきたことで、皆、一様に、表面上は、パニックが収まったが、終わりでは無かった。すっかり忘れていた、心の奥の奥にある、野生的防衛本能が、逃げることを要求している。
ガシャン、ガシャガシャン。
その音と共に束の間の心の休息は終わりを告げだ。
「お前たちは、待ってろ、先生が見て来る」
そんなことを誰も聞くはずがなく、慌てて廊下に駆け出る。先程まで、警察に追い出されていたであろう連中が人数を増して、再び入って来ていた。確かに、旧正門のシャッターは、高くも無いし、特に丈夫なものでは無い、しかし、1メートルほどはあるシャッターを、角材や、鉄パイプを持った者たちジャンプして侵入して来ていた。後から来た、小畑教師も声を失い、蒼い顔でそれを見ていた。鉄パイプを持った男が、警官の持っている盾に殴りかかる。何度も振る、振る。まるでスローモーションのように見え、そのような、暴徒は数をどんどん増していき、校舎に近づいて来る。慌てて数人の警察官が応援に来たが、何せ、多勢に無勢だった。
「一階の職員を上げて二階の防火扉を閉めろ」
もはや、その声を誰が発したのかは分からないが、何人かの教師が慌てて走り出した緊迫した気配だけが伝わった。まだ生徒は凍りついていた。まだ、何が何だか分からない、それは恐怖ではない。僕の身体は、興奮に支配されていた。もし周りに人が居なかったら壊れたように笑ってしまうだろう。何にそんなに興奮しているのか、とても簡単なことだった。あの暴徒たちの行いの矛盾だ。きっとあいつらは、上の役職や、スクールカーストで、一定の地位を築き、それを守ろうとしているのだろう。しかし、その矛先が今は警察に向かっている、それが矛盾だ。地位と権力のいわば、象徴とも云へる、警察官を殴っているのだ。その矛盾にすらあいつらは気付いていない。
ガシャン、ギャン
一瞬何の音か分からず、それが窓ガラスが割れた音だと気づくのにしばらく掛かった。我に返って、辺りを見回したが、何処も割れていない、どうやら一階の窓が割られたらしい。
「皆、防火扉をおさえろ」
「机を持って来い」
「椅子もだ」
二階の三ヶ所ある階段のそれぞれの方向から教師や生徒の怒号が飛び交う声が聞こえて来る。いざとなれば、案外高校生でも頼りになる。
ガチャン、ガチャン
まただ、きっと一階の窓だろう。三階の窓からは、人が中庭から入って来るのがはっきり見える。教室では、片隅に女子が集まっている。泣いている女子生徒も窺える。それぞれのクラスの体格のいい奴らが一番に机や椅子を運び出し二階の防火扉に持って行く、それに皆が続く。
「龍人、どうなるの、何でこんなことに…」
ああ、そこには、安心できる唯一の存在の、又川玲奈が立っていた。その声は冷静だった。
「さあな、今はそんなことを考えても無駄だ」
「何で警察は撃たないの、市民を守るのが役目じゃない」
心底不思議そうに聞いてくる。
「簡単なことさ、こっちも市民なら、あの暴徒達も市民さ」
それにもう学園に押し入った人数は、ざっと目算で二百を超えている。十人ほどの警官では、どうにもならないだろう。そして、その警官等も、後退するか、倒されて殴られている。そう言えば、保護者説明会が行われている体育館はどうなっているのだろう。
『ピンポーン、パンポーン』
ひどく、楽観的な場違いな音が響く。
『全校生徒、及び、保護者の皆様にお知らせします。教職員の指示に従って至急避難して下さい。校舎にお入り下さい。繰り返します…』
どうやら、保護者の方は、心配ないようだ。
「そう言えば、角斗が見えないけど、何処に行ったか知らない」
「あっ、そう言えば角斗見てないな」
それは、大変良い吉報だ。声には出せないが。
「そうか、それより玲奈、女子を協力して四階に上げてくれ、さっきから、ゴンゴンと鉄を叩く音が聞こえるだろ、あれは、二階の防火扉を叩く音だ、多分、鉄パイプか何かで」
玲奈は了解と言って、顔を少し硬くして教室に戻って行った。それを見届けて二階に向かう、二階からも続々と女子生徒が上がって来ていた。誰の指示だか知らないが、的確な指示だ。それに、ますますやり易い。二階は正に戦場だった。防火扉の前には、教師と男子生徒が机や椅子で壁を作っていて、その後ろを教師と男子生徒が押さえているが、後どのくらい持つだろうか、疑問だ。それに、仕事もやりにくい。休憩を入れてやろう。
「もうダメだー、三階まで退いて三階の防火扉を閉めよう」
一瞬、何人かの男子生徒と教師に睨まれたが、後方から続々と、撤退して行く。
「誰かー、他の扉にも伝えてくれー」
そうすると、それぞれの扉に二人の生徒が走った。教師は前方で机と椅子を押している。まあ、これぐらいの人数なら、何も問題は無い。『コの字型』の後ろから見て右側の末端の部分に向かう。途中は、窓が続いているが、今は、何枚か投石で割られていた。
パシャンッ
おお、丁度投石で一枚割れた。そこまで行って屈んで拾ってみると、丁度手に収まるサイズの石だった。いったいこんな石をどこから持って来たのだろう。その石を持って『コの字型の』の末端に向かう。そこには埋め込まれているガラスケースがあり、中にはトロフィーや杯、メダルなどの受賞歴が飾られている。
今も一応鍵が掛かっているが、もはや、この無法地帯では役に立たない。それに、ガラスも薄い、近くに人が居ないのを確認して石を破片が飛んでこない位置から投げる。
ガシャンッ
この喧騒の中では、窓の音がどうかなど分からないだろう。そこから前もって置き場所を把握していた三つのものを取り出す。一つは、賞状。一つはトロフィー。残りの一つは杯だ。どれにも浅浦角斗、と、記されている。これは角斗が半年前、県大会で個人優勝した時の物だ。
ゴン、ゴンッ、ゴンゴンゴン
どんどん防火扉を叩く音が強くなる。どうやら、余り時間は無いようだ。もし、防火扉が破られれば、暴徒が入ってきて袋叩きにされてしまうだろう。さて、始めるとしよう。一応、ハンカチを広げて手に持ち指紋が着かないようにして、トロフィーを持つ。予想よりも少し軽かった。トロフィーを振り上げ、床に叩きつける。鈍い音がしてトロフィーが折れる。次に、杯。これも、先程と同じように床に叩きつけて割る。賞状は四つに破る。これで完了だ。もし、人が見ていれば、単なる角斗への妬みに捉えられるだろうが、違う。もっと、複雑で、しかし単純な、他の理由だ。さあ、これでもう、この階に用は無い。撤退することにしよう。もう五分と保たずに、二階は陥落するだろう。そう思いながら三階への階段を登る。ああ、やっぱり防火扉が閉じられている。まあ、想定内だ。ただのノックでは聞こえないと思い、扉を大きく振り被って殴る。
「開けて下さい、二年四組の峰川です、逃げ遅れました」
「分かった、今開ける」
そう声がすると、およそ一分ほどして人の通路用の防火扉にはめられた扉が開く。どうも、机や椅子を一度のけて開けてくれたようだ。
「さあ、早く入って」
ガチャン、その通路ようの扉が閉められた音で緊張が解けたのか疲労が襲って来た。もう、二階は三十秒と保たないだろう。そうすると、教師や生徒達が一斉に再び机や椅子などで、バリケードを作る。先程から、どこからかパトカーのサイレンが聞こえるが、なかなか近寄れないようで、サイレン音が、近くならない。
「龍人、何処にいたの、探してたんだよ」
「玲奈か、いやごめんごめん、俺も人を探してたんだ」
どうやら、二階に居たことはバレていないようだ。バタバタ、と、大勢の人の激しい足音が聞こえて来る。きっと二階が突破されたのだ。この最悪な時に最悪な事は重なる。
「大変だー、正門が突破された、人が入って来てるぞ」
県道に面している、正門側から何人が一体入って来ているのだろう。これ以上の人数が来ればこの校舎、持ち堪えられるか疑問だ。しかし、メリットもある。道路に人がいなくなる事で、パトカーが通れるようになり、大量の警官が一気に来ることが出来るだろう。あと、もう少し、ここが正念場だ。あともう少し持ち堪えれば助かる。下の階からは、窓が割れた音が響いて来る。しかし、同時に何台ものパトカーが確実に近付いて来る。
「火事だー、庭から火が出たぞー」
「火炎瓶だー火炎瓶が投げ込まれたぞー」
ここからではよく見えないが、四階からは、見えるらしい。どうやら、学園内の設立者の銅像などがある、小さな林に、火炎瓶が投げ込まれたらしい。
「誰かー、非常ベルを押せー」
その瞬間、物凄い音が耳に届く。これで、消防車がすぐにでも来るはずだ。パトカーは、もう、学園前の県道にはいるようで、赤色灯が見えている。そう言えば、先程から再び下の階の足音が騒がしさを増しているようだ。それに、防火扉を叩く音も小さくなっている。不思議に思って、恐る恐る、窓から中庭を見てみると、大勢の人達が、正気を取り戻したようにして、門から駆け出て行っていた。皆、あの非常ベルの音で正気を取り戻したのだろう。そこに、警察が旧正門から入って来て、何人かを取り押さえている。皆、それを見て、床にへたり込んでいた。それもそうだ、この緊張は、今までに体験したことの無い種類の物で、できれば体験したくなかった。見れば、先程まで、机や、椅子を防火扉に押さえつけていた連中も、へたり込んでいる。この様子だと、もうすぐ、警察が踏み込んで来るだろう。新たなサイレンが鳴っている、どうやら、消防車画来たようだ。そう言えば、騒動中、とうとう、角斗を一度も見なかった。玲奈は、横で、放心したように、中庭を見ていた。それはとても静かだった。そう、これはまるで操り人形の様に。
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