AI恋愛

@rie_RICO

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背中合わせの運命

些細な日常

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 カーテンの隙間から見える景色に気が付く。
 前よりうんと空が少し高くなっている…。
 梅雨が明けて次の季節が訪れ始めた。

 初夏の日差しが何重にも重なったレースのカーテンから漏れる。
 柔らかな暖かさと、木のテーブルと革張りソファーの、心が落ち着く空間。
 伊上さんの家のリビングのソファーは みうの定位置になりつつあった。

 オレンジ色にベージュがかった、お陽様色のソファーは座面が広くて厚みがある。
 寝転がるとほどよく身体が沈み込み、誰かに抱き締められているような安堵感。
 いまここが一番安心する場所だ。

 幾何学模様の四角いクッションを抱きながら寝転がり、うとうとしていた。
 首を絞められたことによる身体へのダメージは大きかった。
 見た目よりも組織への損傷(喉や頚椎の一部)が激しいためなのか、すぐに眠くなってしまう。
 怠け者になったみたいで嫌だと前に伊上さんに愚痴ったら〝 身体が傷を治すために起こる症状だから無理をしない 〟と言い優しく頭を撫でられた…。

 この家に来てからずっと甘やかされている気がする…。
 1人暮らしをしていたときの緊張感は今はもうない。
 数ヶ月前は、あんなに毎日必死にバイトと大学を往復していたのに…もう遠い過去みたいだ。
 時間が経つのは早い…。


 そう言えば…あの恐怖の日から…もうすぐ1週間、か…。


 みうは首に巻かれた包帯をそっと撫でてみた。
 クチの中の傷も、あの時の小さな外傷はほぼ治っている。
 この包帯も外しても良いのだけど…。
 これを取ると大男の指の跡が数個、まだくっきり残っている。
 見るのも、誰かに見られるのも…怖かった。

 実は未だに普通の食事が取れずにいる。
 固形物を飲み込もうとすると、むせてしまい吐き出してしまう。
 喉の奥に炎症が少し残ってはいるが、食べるのに支障は無い程度まで回復しているはずなのに…。

 この現象が示しているのは、心の問題にあった。
 体の傷は治療とお薬で日常生活に支障がないまでに治っている。
 あの日の恐怖(PTSD(心的外傷後ストレス障害))が彼女を蝕んでいた。
 今まで経験したことのない、非常に強い恐怖とストレスが一気に心に圧し掛かってしまったからだ…。


 時が経っても1つも忘れることができない。
 あの時の空の色、風の音、三咲くんの…必死に呼ぶ声。
 園内の少し蒸した空気。

 遊園地でちょっとしたことに腹を立て三咲くんから逃げた。
 走って物陰に隠れて彼をやりすごす。
 けれど…すぐに悪いな、という感情がわいて…。
 もう少し冷静になったら…彼の元に戻ろうと考えていた時だった。

 見知らぬ大男にクチを押さえられ引きずられた。
 むりやり連れ込まれたのは閉鎖しているアトラクションだった。

 そのアトラクションの部屋の中は完全に扉を閉めると真っ暗になる。
 唯一あるのは古くてチラチラ光る蛍光灯。
 そこで大男に壁に押さえつけられたまま四菱商事の一人娘の鈴さんに脅され続けた。
 最後は…鈴の要求にに応じなかったため、大男に首を絞められて気を失ってしまった。

 次に目を覚ましたのは伊上さんの車の中。
 首は動かせないほど痛み、声も絞り出すようにしないと話せなかった。

 すぐに伊上さんが助けに来てくれたから、いま生きている…。
 もし、間に合わなかったら気を失ってる間に鈴さんに自白剤を打たれただろうと聞かされた。
 鈴さんが持っていた自白剤の薬は通常の4倍の量で…。
 全て打たれていたら廃人になっていただろうって聞いた日は怖くて1人で眠れなかった。

 あの日のことを思い出すと、言い尽くせない恐怖が襲い身体が震えてしまう…。
 それに、もしも…なんて考えたくない。考えられない…。


 ギュッと両手で身体を抱いて目をつぶりソファーの上で丸くなった。
 暖かい日差しに照らされているのに、あの日の記憶が戻ると心が冷えて仕方ない。

 外出できなくなった理由…それは常に眠いこともあるが一番の原因は外に出ることが怖くなったことだ。
 今日みたいに天気のいい日は外の空気に触れて気分転換したいと思うのだが、いざ外に出ると考えただけで実行できなくなってしまう。
 怪我が良くなってきても伊上さんの家にこうして閉じこもっている。
 タイミング良く学校も夏休みに入っていた…。


 ふいにポンッと肩を叩かれた。
 ゆっくりと顔を上げると、そこに伊上さんの心配する顔がある。

「…みうちゃん。荷物が全部届いたけど。
 まだ首が痛むだろうから、重いものは無理だよね…。
 私は今から用事でちょっと外すけど…戻るまで待っていられるかな?」
 彼はソファーの後ろから みうの身体を長い両手で包みながら聞く。

 数日前、みうは前のアパートから伊上さんの家に引越しを決めた。
 あんな事があって、心に深い傷を負って…もう1人でいることが出来ないと判断したのだ。
 業者に引越しを依頼すると目立つので研究所の職員の方にお願いして少しずつ荷物を運んでもらっていた。
 今日、伊上さんが研究所から抜けてきて帰ってきたのは引越作業が済んだことを告げるためだった。


 伊上さんの腕に触れて安心する…。
 その温かさに〝 そうだ…今は安全な場所にいるんだ 〟そう感じた。

「伊上さん、お帰りなさい。
 もう少ししたら…自分でやります。
 ごめんなさい、いつまでも…こんな風に何もできなくて……。」
 目の前に組まれた腕にそっと触れた。
 骨太なのに華奢に見える長い指にベージュのネイルが光る。
 彼は外での用事があるため女装しているようだ。
 腕からは例の甘い煙の匂いがする…ほんの少し前に煙草を吸っていたらしい。

「こら。無理はしないって約束したよね?
 こんな時に1人にしたくないのだけど…。
 ごめんね。どうしても外せない用事で。」
 格好は女性そのものだけど、まだ声色を変えていない。

 伊上さん特有の少しだけ低くて甘い声。
 その声で耳元で囁くように言われ、後ろからギュッと抱き締められた。
 2人の頬が擦り合い肌の柔らかさと彼が被る黒髪のウイッグの毛が耳をかすめる。
 距離の近さに一気にドキドキしてしまう…。


 同居してから彼が女装している時、特にスキンシップが増えている気がする。
 見た目は華奢だが抱き締めてくる身体はやっぱり男性で。
 異性にしか感じない力強さと骨格の骨ばった感じ…それに伊上さん特有の体温の高さ。
 触られるだけでも恥ずかしくなることすらある。
 意識しすぎ…なのかも知れないけど、まだ慣れない。


 ドキドキして動けない間にスッと彼の体温が引いた。
 顔を上げて綺麗にお化粧した彼の顔を見つめると、左手にはめていた細いチェーンブレスの腕時計に視線を落としている。

「あまり待たすわけにはいかないから…そろそろ行くね。」
 ブラウスの襟元に手をやって変換機(ボイスチェンジャー)にスイッチを入れた。

「…うん。…やっぱり一緒に荷解き、お願いしてもいいですか?
 ちょっとダルくなって…少し眠りたい…。」
 急な気だるさを感じ みうはぐったりとしてソファーに倒れこんだ。

「いいよ。2時間ぐらいで戻れると思うから。
 それじゃ、いってきます。
 何があっても、誰が来ても玄関の扉は開いちゃダメだよ。」
 薄く微笑みを作って手をひらひらさせると急ぎ足で玄関に向かって出て行く。
 変換機を通して聞こえた声は可愛らしい女性のものだった。

 遠くで伊上さんが家の鍵をかけて出て行く音が聞こえたのと同時に意識が遠のく。
 暖かい陽だまりが みうの身体に優しく降り注いでいた。

 微かにまだ感じる伊上さんの温もり。
 抱き締められた時に移った甘い煙の残り香が、お日様の匂いと混じり合う。
 それはひどく心を落ち着かせる媚薬のように漂い…ゆったりとした平和な時間が流れていった。
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