17 / 128
第一章 3、須藤先生は、ちょっぴり優しい……かも、しれない
7、
しおりを挟む
「だから、私はとっさに接客対応をした」
「はい」
今の先生からは想像のできない、穏やか且つにこやかな先生の態度を思い出して、頷く。
「私はそれが間違っていたとは思わないし、店を開くつもりで準備していたのだから、当然の関わり方だと思っている。だが、私の対応に、きみはひどく幻滅した表情をした」
「そう……ですか」
「気づいていなかったのか?」
「すみません」
そうか、と先生が続ける。
「きみは、おそらく、私の接客対応に幻滅したのだろうと考える。表面上だけの言葉や表情、それらを感じ取って、同時に、私が接客として関わっていたその深い部分までをも感じ取り、その差異に落胆したのだ。わかりやすく言えば、相手の考えていることと言葉が一致していない違和感に、恐怖を覚えたのだ」
「……すみません」
高校時代を思い出して、ぎゅっと目をつぶった。孤立していく己、腫れ物を扱うような周囲、そんな彼らの何気ない言葉に含まれた悪意、視線、態度。
表情は笑顔で、言葉も優しい。なのに、心の奥底では私をあざ笑っていた人たちが、大勢いた。その頃から、人の心に敏感になってしまっている自覚はある。
それ以前は――どうだっただろう。私は、どんな生活をしてたっけ。
「謝ることではない。あの件は、私が勝手に怒っただけだ。……あのカートは美しい。私が露店をする際に使うカートだ。純粋無垢で静謐、聖女であり処女であり、万人の心を癒す乙女であるような、潔癖さを見事に自然に見立てて作ってある一級品だ」
うっとりと、まるで恋に浮かされる女性のような柔らかい声音で、先生が言う。カートを思い出して、聖女だとか乙女だとかを当てはめてみるが、どうも私が感じた印象とは違うようだ。
「私は、あれを見て、どちらかというと赤子を想像しました。自然のなかでも、新芽に近い、命の息吹を感じて。だからかな、本物っぽく見え――ひゃっ」
唐突に腕を引かれて、否応なく足を止める。引っ張られるまま歩道の端へよけた。薄墨が下りてきた丁度よい時間帯だからか、頭上で電灯がぱっとつく。足元に敷いた影は、染み込んだようにそこにあった。
先生の顔が、すぐ近くにある。瞳をらんらんと輝かせて、まるで、面白いものを発見した子どものような表情で、私を見ているのだ。すぐ後ろを、ちゃりん、と自転車が通り過ぎていく。どうやら自転車から身を守ってくれたらしい。だが、先生は私を見たまま動かない。先生も、動かなかった。
近くを通り過ぎる人たちが、ちらちらと見てくる気配がする。
「はい」
今の先生からは想像のできない、穏やか且つにこやかな先生の態度を思い出して、頷く。
「私はそれが間違っていたとは思わないし、店を開くつもりで準備していたのだから、当然の関わり方だと思っている。だが、私の対応に、きみはひどく幻滅した表情をした」
「そう……ですか」
「気づいていなかったのか?」
「すみません」
そうか、と先生が続ける。
「きみは、おそらく、私の接客対応に幻滅したのだろうと考える。表面上だけの言葉や表情、それらを感じ取って、同時に、私が接客として関わっていたその深い部分までをも感じ取り、その差異に落胆したのだ。わかりやすく言えば、相手の考えていることと言葉が一致していない違和感に、恐怖を覚えたのだ」
「……すみません」
高校時代を思い出して、ぎゅっと目をつぶった。孤立していく己、腫れ物を扱うような周囲、そんな彼らの何気ない言葉に含まれた悪意、視線、態度。
表情は笑顔で、言葉も優しい。なのに、心の奥底では私をあざ笑っていた人たちが、大勢いた。その頃から、人の心に敏感になってしまっている自覚はある。
それ以前は――どうだっただろう。私は、どんな生活をしてたっけ。
「謝ることではない。あの件は、私が勝手に怒っただけだ。……あのカートは美しい。私が露店をする際に使うカートだ。純粋無垢で静謐、聖女であり処女であり、万人の心を癒す乙女であるような、潔癖さを見事に自然に見立てて作ってある一級品だ」
うっとりと、まるで恋に浮かされる女性のような柔らかい声音で、先生が言う。カートを思い出して、聖女だとか乙女だとかを当てはめてみるが、どうも私が感じた印象とは違うようだ。
「私は、あれを見て、どちらかというと赤子を想像しました。自然のなかでも、新芽に近い、命の息吹を感じて。だからかな、本物っぽく見え――ひゃっ」
唐突に腕を引かれて、否応なく足を止める。引っ張られるまま歩道の端へよけた。薄墨が下りてきた丁度よい時間帯だからか、頭上で電灯がぱっとつく。足元に敷いた影は、染み込んだようにそこにあった。
先生の顔が、すぐ近くにある。瞳をらんらんと輝かせて、まるで、面白いものを発見した子どものような表情で、私を見ているのだ。すぐ後ろを、ちゃりん、と自転車が通り過ぎていく。どうやら自転車から身を守ってくれたらしい。だが、先生は私を見たまま動かない。先生も、動かなかった。
近くを通り過ぎる人たちが、ちらちらと見てくる気配がする。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
翡翠の歌姫-皇帝が封じた声-サスペンス×中華×切ない恋
雪城 冴 (ゆきしろ さえ)
キャラ文芸
宮廷歌姫の“声”は、かつて皇帝が封じた禁断の力? 翠蓮は孤児と蔑まれるが、才能で皇子や皇后の目を引き、後宮の争いや命の危機に引きずり込まれていく。
『強情な歌姫』翠蓮(スイレン)は、その出自ゆえか素直に甘えられず、守られるとついつい罪悪感を抱いてしまう。
そんな彼女は、田舎から歌姫を目指して宮廷の門を叩く。しかし、さっそく罠にかかり、いわれのない濡れ衣を着せられる。
翠蓮に近づくのは、真逆のタイプの二人の皇子。
優しく寄り添う“学”の皇子・蒼瑛(ソウエイ)と、危険な香りをまとう“武”の皇子・炎辰(エンシン)。
嘘をついているのは誰なのか――
声に導かれ、三人は王家が隠し続けてきた運命へと引き寄せられていく。
【中華サスペンス×切ない恋】
ミステリー要素あり/ドロドロな重い話あり/身分違いの恋あり
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
愛しているなら拘束してほしい
守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
後宮の偽花妃 国を追われた巫女見習いは宦官になる
gari@七柚カリン
キャラ文芸
旧題:国を追われた巫女見習いは、隣国の後宮で二重に花開く
☆4月上旬に書籍発売です。たくさんの応援をありがとうございました!☆ 植物を慈しむ巫女見習いの凛月には、二つの秘密がある。それは、『植物の心がわかること』『見目が変化すること』。
そんな凛月は、次期巫女を侮辱した罪を着せられ国外追放されてしまう。
心機一転、紹介状を手に向かったのは隣国の都。そこで偶然知り合ったのは、高官の峰風だった。
峰風の取次ぎで紹介先の人物との対面を果たすが、提案されたのは後宮内での二つの仕事。ある時は引きこもり後宮妃(欣怡)として巫女の務めを果たし、またある時は、少年宦官(子墨)として庭園管理の仕事をする、忙しくも楽しい二重生活が始まった。
仕事中に秘密の能力を活かし活躍したことで、子墨は女嫌いの峰風の助手に抜擢される。女であること・巫女であることを隠しつつ助手の仕事に邁進するが、これがきっかけとなり、宮廷内の様々な騒動に巻き込まれていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる