72 / 76
第四章 隠された真実
13-1、
しおりを挟む
潮の香りは、こんなにも懐かしかっただろうか。
静かな波音に耳を澄ませながら、私は防波堤に腕を置いて、ぼうっと眼下の海を眺めていた。
インターで時折休憩しつつ、車を飛ばして三時間ほど。
ドライブ途中で立ち寄った、海の見える展望台。姫島屋先生が携帯電話で見せてくれた、あの辺りだ。
山を登った山間に立つ展望台は、海を一望できる。
展望台へのぼるのは有料で、ほどほどに人がいるため、私は駐車場から続く細道沿いに散歩に出た。姫島屋先生は手洗いにいくというので、その間の暇つぶしだ。
海からこの辺りまでは結構な高さがあるのに、展望台から少し傾斜を下ると、今私がいる防波堤へたどり着く。
嵐になると、水位がこの辺りまでくるということだろうか。展望台付近は、木の柵で囲われているところを見ると、やはり私が今いる辺りの石壁は、防波堤なのだろう。
防波堤沿いに歩行できる細道があるけれど、この辺りに人はいなかった。
展望台と言っても、一種の休憩所のような場所で、観光客はそれぞれほかに目的地があるようだ。展望台入り口に置かれた多種多様な観光用パンフレットからも、それは伺えた。
「……海なんて、久しぶりにみた」
私の故郷に、海はない。
最初に見たのは、小学校の修学旅行だっただろうか。
海に馴染みがない私なのに、どうしてこんなに海を懐かしく思うのだろう。
「菜緒子」
振り返ると、こちらへ向かって姫島屋先生が下りてくるところだった。
「あ、すみません。こっちのほうが、海が近かったから、つい」
「いや。……近くに観光地もあるそうだが、行かなくてもいいのか?」
「うーん。正直、このままぼうっとしていたいです。せんせ……聡さんは、どこか行きたいところはありますか?」
「とくにはないな」
隣へ並ぶと、姫島屋先生も防波堤に腕を置いて、海を眺めた。
こうして並んで海を見つめる日がくるなんて、思わなかった。ううん、それを言うなら、ふたりきりで過ごす時間がもてるなんて――恋人同士になれるなんて、願望はあっても現実になるなんて、思えなかった。
「懐かしいな」
「え?」
ぽつりと呟いた姫島屋先生を振り返ると、目が合う。なぜか気まずそうに視線をそらした姫島屋先生は、軽い咳ばらいをした。
懐かしい?
姫島屋先生と海へ来たのは、初めてのはず。
もしかして、誰かと間違えてる?
過去は変えられないし、過去があるから今がある。そんな当たり前のことはわかっているつもりだけれど、なんだか、無性に悔しい。
「……菜緒子」
「なんですか?」
「む、怒ってるか? ……待たせてすまなかった。少々手洗いが混んでいて」
「怒ってませんよ」
確かにショックを受けたけれど、待たせたとか、そこではない。
姫島屋先生は、ちら、と私を見て、視線をそらしてから――また、ちら、と私をみた。
「……なんです?」
「いや。……はぁ」
「な、なんですか、そのため息はっ。退屈ならそう言ってくださいよ」
「違う、退屈なわけがないだろう。……そうではなくて、だな。きみに、これを渡そうと思っていて」
そういえば、さっきから姫島屋先生が上着のポケットに手を突っ込んでいる。何かを握り締めているようだが、それのことだろうか。
「いいか、引くなよ」
「……引きませんよ?」
「きみは、幻滅しないと言ったからな。今更嫌いだと言っても、別れないぞ」
「しませんって! なんなんですか、教えてくださいよ」
それからも、少しの間、姫島屋先生のなかで葛藤があったようだが、ややのち、握り締めたそれを差し出した。
差し出されたそれを、手のひらで受け止める。
ころん、と転がったのは、ニコイチで販売されている和風狐のストラップだった。それぞれ青と桃色の前掛けをしており、根付けに小さな鈴がついている。
随分と年季が入ったストラップで、今時の土産物屋でもあまり見ないタイプの、レトロ感があった。
「わぁ、可愛いですね!」
「……そうか」
「もしかして、買ってくださったんですか? お揃いで持てるように」
「まぁ」
姫島屋先生が、こんなサプライズをしてくれるなんて。
嬉しくて満面の笑みを浮かべる私は、先生の表情が強張っていることに、すぐには気づけなかった。
喜んではいけなかったのか、と思うほど、姫島屋先生はそわそわとしている。何か言いたそうにも見えた。
「……あの、何か?」
静かな波音に耳を澄ませながら、私は防波堤に腕を置いて、ぼうっと眼下の海を眺めていた。
インターで時折休憩しつつ、車を飛ばして三時間ほど。
ドライブ途中で立ち寄った、海の見える展望台。姫島屋先生が携帯電話で見せてくれた、あの辺りだ。
山を登った山間に立つ展望台は、海を一望できる。
展望台へのぼるのは有料で、ほどほどに人がいるため、私は駐車場から続く細道沿いに散歩に出た。姫島屋先生は手洗いにいくというので、その間の暇つぶしだ。
海からこの辺りまでは結構な高さがあるのに、展望台から少し傾斜を下ると、今私がいる防波堤へたどり着く。
嵐になると、水位がこの辺りまでくるということだろうか。展望台付近は、木の柵で囲われているところを見ると、やはり私が今いる辺りの石壁は、防波堤なのだろう。
防波堤沿いに歩行できる細道があるけれど、この辺りに人はいなかった。
展望台と言っても、一種の休憩所のような場所で、観光客はそれぞれほかに目的地があるようだ。展望台入り口に置かれた多種多様な観光用パンフレットからも、それは伺えた。
「……海なんて、久しぶりにみた」
私の故郷に、海はない。
最初に見たのは、小学校の修学旅行だっただろうか。
海に馴染みがない私なのに、どうしてこんなに海を懐かしく思うのだろう。
「菜緒子」
振り返ると、こちらへ向かって姫島屋先生が下りてくるところだった。
「あ、すみません。こっちのほうが、海が近かったから、つい」
「いや。……近くに観光地もあるそうだが、行かなくてもいいのか?」
「うーん。正直、このままぼうっとしていたいです。せんせ……聡さんは、どこか行きたいところはありますか?」
「とくにはないな」
隣へ並ぶと、姫島屋先生も防波堤に腕を置いて、海を眺めた。
こうして並んで海を見つめる日がくるなんて、思わなかった。ううん、それを言うなら、ふたりきりで過ごす時間がもてるなんて――恋人同士になれるなんて、願望はあっても現実になるなんて、思えなかった。
「懐かしいな」
「え?」
ぽつりと呟いた姫島屋先生を振り返ると、目が合う。なぜか気まずそうに視線をそらした姫島屋先生は、軽い咳ばらいをした。
懐かしい?
姫島屋先生と海へ来たのは、初めてのはず。
もしかして、誰かと間違えてる?
過去は変えられないし、過去があるから今がある。そんな当たり前のことはわかっているつもりだけれど、なんだか、無性に悔しい。
「……菜緒子」
「なんですか?」
「む、怒ってるか? ……待たせてすまなかった。少々手洗いが混んでいて」
「怒ってませんよ」
確かにショックを受けたけれど、待たせたとか、そこではない。
姫島屋先生は、ちら、と私を見て、視線をそらしてから――また、ちら、と私をみた。
「……なんです?」
「いや。……はぁ」
「な、なんですか、そのため息はっ。退屈ならそう言ってくださいよ」
「違う、退屈なわけがないだろう。……そうではなくて、だな。きみに、これを渡そうと思っていて」
そういえば、さっきから姫島屋先生が上着のポケットに手を突っ込んでいる。何かを握り締めているようだが、それのことだろうか。
「いいか、引くなよ」
「……引きませんよ?」
「きみは、幻滅しないと言ったからな。今更嫌いだと言っても、別れないぞ」
「しませんって! なんなんですか、教えてくださいよ」
それからも、少しの間、姫島屋先生のなかで葛藤があったようだが、ややのち、握り締めたそれを差し出した。
差し出されたそれを、手のひらで受け止める。
ころん、と転がったのは、ニコイチで販売されている和風狐のストラップだった。それぞれ青と桃色の前掛けをしており、根付けに小さな鈴がついている。
随分と年季が入ったストラップで、今時の土産物屋でもあまり見ないタイプの、レトロ感があった。
「わぁ、可愛いですね!」
「……そうか」
「もしかして、買ってくださったんですか? お揃いで持てるように」
「まぁ」
姫島屋先生が、こんなサプライズをしてくれるなんて。
嬉しくて満面の笑みを浮かべる私は、先生の表情が強張っていることに、すぐには気づけなかった。
喜んではいけなかったのか、と思うほど、姫島屋先生はそわそわとしている。何か言いたそうにも見えた。
「……あの、何か?」
0
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
行き遅れた私は、今日も幼なじみの皇帝を足蹴にする
九條葉月
キャラ文芸
「皇帝になったら、迎えに来る」幼なじみとのそんな約束を律儀に守っているうちに結婚適齢期を逃してしまった私。彼は無事皇帝になったみたいだけど、五年経っても迎えに来てくれる様子はない。今度会ったらぶん殴ろうと思う。皇帝陛下に会う機会なんてそうないだろうけど。嘆いていてもしょうがないので結婚はすっぱり諦めて、“神仙術士”として生きていくことに決めました。……だというのに。皇帝陛下。今さら私の前に現れて、一体何のご用ですか?
翡翠の歌姫-皇帝が封じた声-サスペンス×中華×切ない恋
雪城 冴 (ゆきしろ さえ)
キャラ文芸
宮廷歌姫の“声”は、かつて皇帝が封じた禁断の力? 翠蓮は孤児と蔑まれるが、才能で皇子や皇后の目を引き、後宮の争いや命の危機に引きずり込まれていく。
『強情な歌姫』翠蓮(スイレン)は、その出自ゆえか素直に甘えられず、守られるとついつい罪悪感を抱いてしまう。
そんな彼女は、田舎から歌姫を目指して宮廷の門を叩く。しかし、さっそく罠にかかり、いわれのない濡れ衣を着せられる。
翠蓮に近づくのは、真逆のタイプの二人の皇子。
優しく寄り添う“学”の皇子・蒼瑛(ソウエイ)と、危険な香りをまとう“武”の皇子・炎辰(エンシン)。
嘘をついているのは誰なのか――
声に導かれ、三人は王家が隠し続けてきた運命へと引き寄せられていく。
【中華サスペンス×切ない恋】
ミステリー要素あり/ドロドロな重い話あり/身分違いの恋あり
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
後宮なりきり夫婦録
石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」
「はあ……?」
雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。
あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。
空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。
かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。
影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。
サイトより転載になります。
エリート警察官の溺愛は甘く切ない
日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。
両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる