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序章
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そっと身を屈めて、死体らしきモノを覗き見る。肌が透けているのは、何かしらの病気を抱えているからだろうか。彼の身体の下には大きな血だまりが出来ているが、その血は固まって黒く変色している。
樹塚城跡へ観光にきた折りに、猟師に間違って撃たれたのかもしれない。
この辺りは猪や雉が生息しており、猟師を兼業している者も多く暮らしていた。
自らの胸の辺りをぎゅっと掴んで、小毬はさらに青年に近づいた。
「あ、あの」
そっと声をかけて、恐る恐る青年に近づく。
「生きて、ますか?」
反応はない。
小毬は思い切って青年の傍にしゃがみ、そっと手を伸ばした。小毬の手が青年の頬に触れようかというとき、唐突に青年の瞼があがる。
驚きから、小毬の身体が大きく震えた。
青年の目はぎょろりとしており、図鑑やテレビで見た爬虫類のようだ。そして瀕死の重傷とは思えない、意志の強さをその瞳に宿している。
青年の瞳はじっと小毬を見据えており、小毬もその瞳を見つめ返した。
ほとんど反射的に手を伸ばした。
小毬は真っ直ぐに、ただ青年の瞳だけを見ていた。日本人特有の、漆黒や濃茶の色ではない。彼の瞳は、透明ガラスのような翡翠色をしていた。
頭のなかが、真っ白だった。
小毬の意識は青年の瞳の色にのみ向いており、触れてみたいという欲求に抗えない。
小毬の手が青年の顔に近づくにつれ、青年の瞳が爛々と輝きを増す。まるで手負いの獣のようだ。近づくな、とけん制しているのだろう。
伸ばした小毬の手が、青年の透明な肌色の頬に触れる。頬はほんのりと温かかった。
「きれいな、目」
青年が、こぼれんばかりに目を見張った。
彼の瞳が揺れるのを見て、小毬は我に返る。
慌てて手を引っ込めた。
自分がしようとしたことに対して青くなる。
小毬は青年の瞳に触れ、そしてそのまま瞳をえぐりだそうとしたのだ。
あまりにも、綺麗だったから。
「あ、あの。だ、大丈夫、ですか」
とっさに紡いだ言葉は、我ながら違和感の塊でしかなかった。
変色した血だまりに横たわる、肌の透けた青年に対して言う言葉にしては、やや社交辞令じみている。どう見ても瀕死に近い姿だというのに、大丈夫なわけがない。
そもそも、この青年は何故こんな山奥にいるのだろう。間違えて撃たれたのならば、山を下りて人を呼びにいくべきだろうに。
小毬はじっと青年を見つめた。返事が欲しいという願いを込めて。
けれど青年は何も言わず、ただ小毬を信じられないものでも見るような目で見つめてくる。
「そうだ、救急車。救急車、呼びます!」
一体、何をぼうっとしているのだろう。
目の前に大けがを負った――おそらくだが――者がいるのに、何もしないわけにはいかない。
あいにくと小毬は携帯電話なるものを持っていないので、救急車を呼ぶには一番近くの民家まで降りていき、電話を貸してもらうしかない。途中ですれ違うかもしれない農家の人に携帯電話を借りるという手もある。
立ち上がった小毬が、踵を返した瞬間。
抗えないほどの力で後ろに引っ張られ、たたらを踏んでそのまま後方に転んだ。掴まれた腕がじんじんと痺れるほどに痛み、顔をしかめる。
「やめろ」
低い、バリトンボイスが耳に届く。
振り返ると、青年の翡翠色の瞳が小毬を射抜いた。恐怖から、そして驚きから、小毬はびくりと身体を震わせる。
「誰も呼ぶな。……誰も」
鬼気迫るものを感じて、とっさに頷いた。
何度も、何度も。
「呼ばない。わかりましたから」
だから、手を放して。そう告げる前に、頑なに掴まれたと思っていた手が離れた。青年は億劫そうに手をおろし、痛みに堪えるような表情で目を閉じる。
小毬はそろそろと四つん這いになり、青年を見下ろす。人は呼ばないでほしいという。けれど、怪我を負っているのは確かなようだ。
このまま何も見なかったふりをして、帰るという手もある。
だが、この綺麗な色をした瞳が暗く濁っていくさまを想像すると、腹の底に泥が溜まったような不快感を覚えてしまうのはなぜだろうか。
どうしてこの青年がここにいるのか、いつ頃からいるのか、何者なのか、何もわからない。わかっているのは、このまま放置すれば死んでしまう可能性がある、ということだ。
震える拳を握りしめて、静かに息を吐きだした。
そして。
小毬は決意した。
樹塚城跡へ観光にきた折りに、猟師に間違って撃たれたのかもしれない。
この辺りは猪や雉が生息しており、猟師を兼業している者も多く暮らしていた。
自らの胸の辺りをぎゅっと掴んで、小毬はさらに青年に近づいた。
「あ、あの」
そっと声をかけて、恐る恐る青年に近づく。
「生きて、ますか?」
反応はない。
小毬は思い切って青年の傍にしゃがみ、そっと手を伸ばした。小毬の手が青年の頬に触れようかというとき、唐突に青年の瞼があがる。
驚きから、小毬の身体が大きく震えた。
青年の目はぎょろりとしており、図鑑やテレビで見た爬虫類のようだ。そして瀕死の重傷とは思えない、意志の強さをその瞳に宿している。
青年の瞳はじっと小毬を見据えており、小毬もその瞳を見つめ返した。
ほとんど反射的に手を伸ばした。
小毬は真っ直ぐに、ただ青年の瞳だけを見ていた。日本人特有の、漆黒や濃茶の色ではない。彼の瞳は、透明ガラスのような翡翠色をしていた。
頭のなかが、真っ白だった。
小毬の意識は青年の瞳の色にのみ向いており、触れてみたいという欲求に抗えない。
小毬の手が青年の顔に近づくにつれ、青年の瞳が爛々と輝きを増す。まるで手負いの獣のようだ。近づくな、とけん制しているのだろう。
伸ばした小毬の手が、青年の透明な肌色の頬に触れる。頬はほんのりと温かかった。
「きれいな、目」
青年が、こぼれんばかりに目を見張った。
彼の瞳が揺れるのを見て、小毬は我に返る。
慌てて手を引っ込めた。
自分がしようとしたことに対して青くなる。
小毬は青年の瞳に触れ、そしてそのまま瞳をえぐりだそうとしたのだ。
あまりにも、綺麗だったから。
「あ、あの。だ、大丈夫、ですか」
とっさに紡いだ言葉は、我ながら違和感の塊でしかなかった。
変色した血だまりに横たわる、肌の透けた青年に対して言う言葉にしては、やや社交辞令じみている。どう見ても瀕死に近い姿だというのに、大丈夫なわけがない。
そもそも、この青年は何故こんな山奥にいるのだろう。間違えて撃たれたのならば、山を下りて人を呼びにいくべきだろうに。
小毬はじっと青年を見つめた。返事が欲しいという願いを込めて。
けれど青年は何も言わず、ただ小毬を信じられないものでも見るような目で見つめてくる。
「そうだ、救急車。救急車、呼びます!」
一体、何をぼうっとしているのだろう。
目の前に大けがを負った――おそらくだが――者がいるのに、何もしないわけにはいかない。
あいにくと小毬は携帯電話なるものを持っていないので、救急車を呼ぶには一番近くの民家まで降りていき、電話を貸してもらうしかない。途中ですれ違うかもしれない農家の人に携帯電話を借りるという手もある。
立ち上がった小毬が、踵を返した瞬間。
抗えないほどの力で後ろに引っ張られ、たたらを踏んでそのまま後方に転んだ。掴まれた腕がじんじんと痺れるほどに痛み、顔をしかめる。
「やめろ」
低い、バリトンボイスが耳に届く。
振り返ると、青年の翡翠色の瞳が小毬を射抜いた。恐怖から、そして驚きから、小毬はびくりと身体を震わせる。
「誰も呼ぶな。……誰も」
鬼気迫るものを感じて、とっさに頷いた。
何度も、何度も。
「呼ばない。わかりましたから」
だから、手を放して。そう告げる前に、頑なに掴まれたと思っていた手が離れた。青年は億劫そうに手をおろし、痛みに堪えるような表情で目を閉じる。
小毬はそろそろと四つん這いになり、青年を見下ろす。人は呼ばないでほしいという。けれど、怪我を負っているのは確かなようだ。
このまま何も見なかったふりをして、帰るという手もある。
だが、この綺麗な色をした瞳が暗く濁っていくさまを想像すると、腹の底に泥が溜まったような不快感を覚えてしまうのはなぜだろうか。
どうしてこの青年がここにいるのか、いつ頃からいるのか、何者なのか、何もわからない。わかっているのは、このまま放置すれば死んでしまう可能性がある、ということだ。
震える拳を握りしめて、静かに息を吐きだした。
そして。
小毬は決意した。
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