新人種の娘

如月あこ

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第一章 新たな世界へ

9、

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 破裂音に近い銃声が耳をつんざき、驚いてよろけてしまう。
 自分が撃たれたかのような錯覚を覚えて身体を確認するが、どこも怪我はないようだ。
 続いて青年を見上げると、彼は肩口を抑えながら小毬の背後を睨んでいる。
 青年の視線を追って振り返れば、道のわきに並ぶつつじの茂みに人影があった。人影は緩慢な動きで道へ移動し、はじめて月光によってその顔が明らかになる。
 見覚えのあるその姿に、小毬は大きく目を見張った。
 そこに立っていたのは、猟銃を持った担任の東堂だった。
「先生? どうして、ここに」
「霧島は、新人種について調べていただろう? そこに、今回の緊急警戒警報だ。もしかしたら霧島が新人種と関わりあるんじゃないかと思ってな。ほとんど賭けだったが、当たりだったようだな」
 東堂は猟銃を構え、その先端を青年へ向ける。
「待ってください、彼は何もしてません!」
「俺は正義感ぶって新人種を退治しにきたわけじゃない。猪や兎には、もう飽きたんだ。一度、人を撃ち殺してみたかった。新人種はヒトではないが、人型をしているうえに殺しても罪にはならない」
 東堂がにやりと笑い、引き金を引く。
 腹の底に響くような破裂音が聞こえたと思った瞬間には、小毬は抱きかかえられるようにして地面に伏せていた。青年が小毬の腰をさらい、横へ飛んだのだ。
「気持ちの悪い新人種め。次ははずさない」
「やめろ。この少女に当たる可能性がある」
 青年が静かな声音で言った。
 東堂は目を眇め、なぜか笑い声をあげた。
「新人種を手引きした者は、重罪人だ。たまたま弾が当たって死んだところで、さほど罪にはならないさ。それに、クラスの問題児をひとり処分できるんだ。むしろ好都合だと思わないか」
「それを聞いて安心した。躊躇なく戦える」
 青年はそう言うなり小毬から手を放し、東堂へ向かって駆けだした。
 東堂は猟銃の引き金を引く。青年はまるで読んでいたかのように地面に伏せる。すぐさま転がるように立ち上がる。東堂が弾薬を新しく装填しようと腰に手を伸ばした隙に、青年は東堂のすぐ近くまで迫っていた。
 東堂は驚きに目を見張る――ことはなく、不敵な笑みで猟銃の引き金を引いた。
 弾はもう一発残っていたのだ。
 けれど、青年はそれさえも読んでいた。
 俊敏な動きで飛びあがる。
 ヒトにはありえない跳躍力を見せて東堂の背後に回り込むと、東堂の猟銃を後ろから取り上げて捨てた。猟銃が地面にぶつかり、かつんと音をたてる。
 そして、後ろから東堂の首を締め上げた。
「私は新人種だ。新人種は極悪人なのだろう? 人殺しなどに躊躇いはない」
 猟銃も奪われ至近距離で捉えられた東堂は、顔を青くして両手で首元を探る。
 青年の手をなんとか退けようともがくが、彼の力では到底かなわない。
 青かった東堂の顔色が徐々に赤くなっていく。
 息を吸おうと大きくひらいた口からは、声にならない音が漏れた。
 東堂が殺される。
 そう思った瞬間、叫んでいた。
「やめて! 殺さないで」
 青年の視線が、つと小毬に向けられる。
「こいつはお前も殺そうとしたんだぞ」
「だからって、あなたまで人殺しをする必要ない。私は卑屈で要領も悪いけど、でも、人殺しを容認するほど腐ってない!」
 本心だった。
 自分まで殺されそうになったことに対して、腹立たしさも悲しみも湧かなかった。殺されることより、殺すことのほうに心が痛む。
 卑屈で愚かな自分だが、人を殺めるという大罪だけは決して犯したくはなかった。
 それをしてしまえば、小毬は人でさえなくなってしまうだろう。
 青年はややのち、東堂から手を放した。
 東堂は崩れるように地面へ倒れ込み、何度も呼吸を繰り返したのちにぎらつく目で青年を、そして小毬を睨んだ。
「霧島、お前が新人種を手引きしたんだ。お前は重罪人で刑務所行きだ! 死刑になるだろうな!」
 東堂の叫びが、小毬の胸に落ちてくる。
(そっか。私はもう、ここにいられないんだ)
 さすがに死刑にはならないと思うが、重罪人となれば終身刑くらいにはなるかもしれない。
 将来など想像できないと、大人にはなりたくないと思うのに、刑務所に入って淡々とした日々を過ごすのは嫌だった。
(私は、我侭だな……本当に)
 思わず苦笑が漏れる。
「やはり殺すか」
 青年の静かな声に、小毬は顔をあげて首を横に振る。
 そのとき、児童養護施設のほうからこちらに向かって駆けてくる人影が見えた。人が来る。そしたら、東堂は小毬が新人種を手引きしたと言うだろう。
 そうなれば、小毬はもうここにいられない。
 手引きなどしていないと言っても、きっとこれまで通り、誰も小毬の言葉など信じてくれない。実際に、小毬自身青年と何も関わりがないわけではないのだし。
「すまない」
 静かな声音に振り返ると、青年もまたこちらに走ってくる人影を見ていた。
「きみには迷惑をかけた」
「あなたはどうするの」
「逃げる。目的は果たした。故郷へ帰るさ」
「だったら」
 一度、言葉を止める。
 本当に言ってしまっていいのかと自問し、すぐに答えは出た。
 むしろ、小毬にはこの道しか残されていないような気がした。
「だったら、私も連れていって」
 青年が驚いたように振り返る。爬虫類のような目がより一層ぎょろりとこぼれそうになっていた。
「意味がわかっているのか」
「私はもうここにはいられない。ここに未練もない。だから、連れていって。迷惑はかけないから、私も一緒に行かせて」
「きみは人間だ。私は新――」
「関係ないよ。私はあなたと一緒に行きたいの!」
 思わず叫んでいた。
 握りしめた拳が震える。
 青年はこちらに走ってくる人影が近づいているのを確認したあと、小毬のほうへ飛んだ。ヒトにはない跳躍力を見せて、小毬のすぐ目の前へ着地する。
 そして小毬を肩に担ぎあげた。
「あ、あう。お、お腹苦しい」
「我慢しろ」
 青年はまた人影を見据え、大声で叫んだ。
「この娘は貰っていく!」
 青年は言い終えるなり、地面を蹴った。
 ふわりと身体が一瞬軽くなり、まるで空を飛んでいるような感覚がする。しかし、青年が地面に着地すると腹に衝撃がきて、「ぐえ」とカエルのような声が漏れた。
 それが繰り返されて衝撃にも慣れてきたころに、小毬は顔をあげた。
 見覚えのない山林のなかだった。
 杉の木々が流れるように後ろへ過ぎ去っていく。
 青年は忍者のように木々の間をすり抜けて飛び、移動している。
 どんなに運動神経のいい人間であっても、この動きは不可能だろう。新人種というのは、身体の造り自体が根本的にヒトと違っているのかもしれない。
 小毬はじっと、過ぎ去る木々を眺めた。
(私は、もう帰らない)
 小毬は義理の家族を、学校を、生活を、それらがつまった樹塚町を、捨てたのだ。
 虚無感や悲壮感はなかった。
 もうあの日々に戻らなくてもいいのだと、このときはただただ安堵した。
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