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第一章

二十二、

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「それはまさか、田中静子のことか」
 新居崎の声で、麻野は我に返るように視線をそらした。あまりにもじっくりと瞳を眺めすぎていたと気づくと、途端に恥ずかしくなる。
「そ、そうですよ。……あ、そろそろ動くみたいです」
 発車の音が鳴り、ドアが閉まる。東京駅からすべるように新幹線が動き出した。
「京都、いいですよね。平安京ですよ。御所ですよ。新選組ですよ。お漬物ですよ」
「きみは、この座席を指定したのか? 個人で?」
「え? いえ、新幹線もホテルも、しーちゃんに頼みました。えへへ、本当に頼りになる友達で――」
「依存するな、自分でやれることはやるべきだ。出来ないのなら学べ」
 吐き出すように告げられて、むっとするが、その通りなので大人しく頷いた。新居崎も頷くと、麻野のほうへ手のひらを向けた手を出した。
「……あ、はい、どうぞ」
 トレー置き場に置いてあった、新居崎のものだろうお茶のペットボトルを差し出す。いつだったか、悪魔の森で飲んでいたお茶と同じパッケージだ。
「いらん」
「じゃあ、どれです?」
「きみはあれか、私が手を差し出すということは、何かを取れと言っていると同義、そう思っているのか?」
「違うんですか。あっ、わかりました、握手ですね!」
 ぎゅ、と手を握ると、あっさり振り払われる。
「一応確認したい。新幹線ならば、一緒にまとめただけという可能性もあるからな」
「確認?」
「きみのいう、ホテルだ。私は旅館なので、関係ないとは思うが、一応な」
 ホテルの予約票だ、と言われて、鞄から印刷してきたホテルの予約表を取り出した。広げた瞬間、新居崎の眉に渓谷のような皴が寄る。
「これです。これが、なにか?」
「……お前、ここがどこかわかっているのか。老舗とまではいかないが、京都でも有名な旅館だぞ。なかなか値がはるはずだが」
「そうなんですか、知りませんでした」
 新居崎は、頭を押さえた。
 麻野は本当に、旅行の予約すべてを静子に任せきりだったのだ。静子のほうから任せてと言ってきて、いつの間にか神田教授と静子が二人で麻野の予定を決めていたので、有難く受け取ることにしたのだが。まさか、値の張る旅館だったなんて。
 いつの間に知り合ったのか、神田教授も静子がたてた予定に満足気であったし、静子が独断でこの旅館を予約したわけではないだろうから、心配はない。けれど。
 隣で、盛大すぎるため息が聞こえた。
「学生のきみが休暇中に、人任せで取り付けた旅行を楽しもうが勝手だが。旅行費くらい、最初から捻出しておき、その範囲で楽しみたまえ。あとで莫大な請求が、これ以上きたらどうする」
 これ以上、のところを強調される。明らかに時計の弁償金のことを言っていた。
 新居崎のえげつないほど小ばかにした、抑揚のつけた話し方に、麻野はぽかんとした。初めて会ったときと、同じ新居崎だ。大学で見かける新居崎はいつもにこやかで、常に女生徒が傍にいたため、別人かと思ってしまうときもあったのだが。
 やはりあれは、処世術だったらしい。
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