上 下
37 / 106
第二章

十三、

しおりを挟む
 まだ箸をつけていない卵焼きを、皿ごと差し出す。新居崎はさして考えることなく、指先でつまんで卵焼きを食べた。勧めていない漬物まで、ひょいひょいとつまみ始める。
「やっぱり足りないんじゃないですか。追加で何か頼みましょうよ」
「いや、いい。これで充分だ」
「あの、これ私のなんですけど」
 麻野的には、思っていたよりも量が多かったので、食べて貰っても構わない。食べれない量ではないが、どうしても食べたいという味でもなかった。まさに、B級グルメだ。
 新居崎は、残り一つだった若鳥のからあげも摘まんで、煮物もつまむ。
そうして、煮物に入っていた茄子以外が消え去った。
 どうやら新居崎は、茄子は苦手らしい。残った茄子は麻野が食べた。
 それから三分くらい、それぞれ無言で携帯電話をさわった。麻野は静子からの返事がないか確認するが、新幹線のなかで送った返事に既読もついていなかった。
「さて、そろそろ行くか」
「はい」
 支払いを済ませて、外に出る。途端に、むっとする熱気に包まれて、先生の足が止まった。外は暑い。ただの夏日ならよい。だが、今は梅雨真っ最中。からっと晴れた日はそうそうなく、湿気のじめじめした空気が常に体にまとわりつくのだ。
 じめじめ感について今日はまだマシなほうだが、京都ゆえの暑さは、半端ない。
 少し歩いて、また、新居崎は服の裾をぱたぱたと動かし始める。額に浮かぶ汗を、その裾で拭うたびに、無駄に鍛えてある腹がちらっと見えるのが、ある意味セクハラだ。通報されてもおかしくないのに、すれ違う女性は頬を染めて「きゃあっ」と色めきたち、男性もまた、見て見ぬふりをしたり、割れた腹筋をガン見したり。
 徒歩十分弱。
 白峰神宮につくと、すっ、と辺りに影が差した。表門をくぐり、右近の立花と左近の桜を眺めた。これらの植物があることで、白峰神宮が天皇家ゆかりの場所であるとわかる。
「ここ、白峰神宮って知ってますか? 崇徳天皇が奉られていて――先生?」
 しん、と静まり返っていることに気づいて、辺りへ視線をさまよわせた。丁寧な説明書きが置かれた手水舎、古びた木製の社殿、俵型の鈴が置かれた拝殿の傍にはスポーツにゆかりのある有名人のサインや、スポーツに関する願いを書いた絵馬などが見える。そう、違和感を覚えるほどに、よく見渡せる。
「……先生?」
 じめじめとした気候はそのままに、風が止んでいる。
 そして、なぜか誰もいないのだ。
 ぞくっ、と背筋に冷たいものが流れた。
 ここは、白峰神宮。崇徳天皇とゆかりのある神宮だ。神社には、合う合わないがあるというが、もしかしたら、麻野と白峰神宮とは合わないのかもしれない。
 なぜならば、麻野は――。
「おい!」
 はっ、と我に返った麻野は、え、と小声でつぶやいた。
 麻野はまだ、くぐったと思った表門のすぐ手前に立っていたのだ。新居崎が、社殿のほうから歩いてくるのが見えた。その表情は不機嫌にしかめられていたが、麻野を見るなり、軽く目を見張った。
しおりを挟む

処理中です...