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第三章

一、

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 二日目の取材は、麻野自身が気になっていた「狐」についての事柄にしぼられた。
 これもまた、神田教授の指示であり、麻野にとっては大変に興味のある分野でもある。ゆえに、やる気いっぱいで、挑む取材――だった、はずだ。
 麻野は、伏見稲荷駅で降りて、観光名所として半開拓された駅前を眺め、その偉大さに目を瞬く。
「わぁ、すごい。この向こうに、例の千本鳥居があるんですよね。先生!」
 そう言って振り返った麻野は、見知らぬ年配の男性と目が合った。相手は苦笑をして、そうですねぇと返事をしてくれたけれど、見知らぬ人に違いはない。
 すみません、と頭をさげると、男性は笑って、連れの年配女性と歩いて行った。夫婦で観光だろうか、なんだかほっこりとしていてよい雰囲気だ。
 見渡せば、麻野のように一人で来ている者は少ない。
 梅雨の平日は、いくら夏休み前とはいえ人が少なかった。
 麻野は早朝、神田教授から来たメールを思い出しながら、正面の鳥居をくぐった。
 二日目は、麻野が一人で取材を行うこと。一緒にいる新居崎には、休暇らしく自由をあげてください、とのことだった。そしてこれは、麻野一人の力を見るためでもある、と。
 よって、朝方二人で出かける気満々だった麻野は、露骨にしょんぼりした雰囲気をかもしながら、メールの内容を新居崎に見せたのだ。彼は無表情で頷くと、麻野を置いてさっさと一人でどこかへ出かけてしまった。
 もともと、休暇のあいだやる予定だったことをやるのだろう。新居崎にばかり頼っていられないし、彼の休暇を取り戻すことができたのだから、よしとしたい。
 なのに、一人での取材がここまで心細いとは。
 麻野は首をぶんぶんと振ってネガティブな思考を振り払い、取材に専念した。
 狐は、神聖なものとされている。もともと、京都では狐は神に近しい存在とされていたが、逸話として有名なのは、やはり秦氏の話だろう。
 秦氏の伊侶具は、餅を使って的を矢で射ったところ、餅が白鳥に代わり、飛び立って山に下りた。下りたところに稲がなり、そこを社名としたという。これは、山城国風土記に記載されていることで、これが「イナリ」という名の根底にあるという。この稲がなった場所が伏見稲荷となったという話もある。
 そもそも、なぜ、白鳥が飛び立ったのに、狐を奉っているのか。
 現在でも様々な憶測がされているが、理由は定かではない。京都で狐が神聖な生き物として扱われ始めたのも、この秦氏の件が先なのか、あとなのか。
 だが、狐が特別な存在であることは、確かなのだ。
 安倍晴明には、狐の血が流れていたという。だからこそ、強い力をもって、陰陽師として地位を得た。京都からは離れるが、九尾の狐という妖怪もいる。狐の嫁入り、などという言葉もある。
 平安京の人々は、狐に対してどんな印象を得ていたのだろう。
 また、神聖なものとして扱ったのならば、怪異や怨霊とは別物であると解釈していたのだろうか。
 麻野は、昨日の経験をもとに、笑顔ではきはきとした口調を心掛けて、いろいろな人に声をかけた。王道の観光案内所で聞き込みをしてから、アポが必要だろう場所へは電話を入れて、なんとか少しだけでもと頼み込む。
 伏見稲荷をスタート地点とし、他の神社へも足を向けて、取材許可が下りた、老舗といわれる名家まで足を運んだ。狐の伝承の多くは、美しい女性に変化した狐に化かされたなどという昔話を想像していたが、どうも、少し違うらしい。
 もちろんそういった話はあるが、神格化されている伝承が多いせいか、京都の人にとって狐は神様の使いであるという認識のほうが強そうだ。
 次から次へと、狐についてたどっていくときりがない。それでも麻野は、知りたいことを中心に取材をすすめ、それらをまとめて行った。
 淡々と取材は進み、時間が過ぎていく。
 やるべきことはやっている。
 なのに、なんだか無性につまらない。仕事なのだから当たり前だろうけれど、昨日よりも、退屈なのだ。新鮮さがなくなってしまったのだろうか。一人でやらねばならないと緊張しているのだろうか。
 それらもあるだろう。けれど、本当の理由はわかっている。
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