上 下
55 / 106
第三章

四、

しおりを挟む
 部屋では、変わらず新居崎が酒を飲んでいる。先ほどまでとは雰囲気が違い、ゆったりと味を楽しんでいるように見えた。
「もうすぐ夕食ですね。楽しみだなぁ」
「そうだな、腹も減った」
「また来たいですね、こんなに美味しい料理が食べれるなんて。なんだか、明日で旅行が終わるのが勿体ないです。先生は、まだ宿泊されるんですか?」
「いや、私も明日帰る。といっても、夕方の新幹線だから、それなりに観光はできるが」
「わ、一緒ですね! 私もです」
 まさか、と思いながら予約席を確認する。新居崎も携帯電話で予約のメールを確認しており、お互いに見せ合うと、やはり隣席だった。
「……しーちゃん」
「二席ではなく、ひと席ずつ別でとるあたり、彼女の画策具合がうかがえるな」
 ふ、と新居崎が笑う。
 昨日、新幹線でばったり会ったときの新居崎は、もっと眉間にしわが寄っていた。不愉快な顔をした先生だったのに、こうして今、微笑む姿に不愉快さは微塵も感じられない。
 いい具合に旅行を満喫できたのか。
 それとも、新居崎と麻野の距離が近づいたのかもしれない、などいう考えは自惚れだろか。
 新居崎は、すぐに人を小馬鹿にする。たいていが事実だが、言葉が棘のようにささる。だがそれも、慣れてしまえばご愛敬だ。
 馬鹿にするだけではなく、怒ることもある。本当に関わりたく相手ならば、怒ることすらせずに笑ってスルーするのだろう、となんとなくだが、新居崎を見ていて思うようになっていた。新居崎は、麻野を蔑ろにしない。怒ったり叱ったりというのは、それだけ本気で向き合おうとしてくれているのだ。
 昨日の取材では、さり気なく言葉を足したり、正面から麻野へ意見をくれた。それに、麻野のことを「明るいね」と褒める人はいても、卑屈だと指摘されたことはなかった。
 それを聞いて嫌な気分にならなかったのは、内面まで見ようとしてくれていると感じたからだ。
 出会いは数か月前とはいえ、こうしてぽんぽんと会話を交わすこともなく、連絡アプリでやり取りする日々だったけれど。
 この旅行がきっかけで、新居崎を知ることができたのだ。
 それだけで、今回の取材旅行京都旅は、大成功かもしれない。
 そのとき、携帯電話が震えた。
 パソコンと連動させてあるアプリで、神田教授からの返事が来た知らせだった。パソコンのほうへ連絡が来たということは、データファイルを送ってきたのかもしれない。
 麻野はパソコンへ向かい、神田教授からの連絡内容を確認する。
 おおむねよし、とのことだった。というか妥協されたのだろうが、神田教授から「可」をもらったのだから、とりあえずほっとする。
 明日の取材も、あまり長居はできないが、出来ることはやろう。
 そう思いながら、明日の行動について記された箇所を見た麻野は、ぽかんとした。見間違いかと何度も見るが、見間違いではないようだ。
「うそぉ」
 思わず声をあげると、目ざとく聞きつけた新居崎が腰をあげた。
しおりを挟む

処理中です...